『追龍』は香港ノワール全盛期の醍醐味をとことん堪能させてくれる、実録クライムドラマ。

『追龍』
7月24日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
配給:インターフィルム/配給協力:アーク・フィルムズ
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公式サイト:http://www.tsuiryu.com/

 香港映画が輝いていたのは1980年代、1990年代(厳密にいうなら1997年の中国本土復帰まで)だった。

 ジャッキー・チェンが『プロジェクトA』をはじめとする代表作を量産し、いわゆる香港ノワールやジェット・リーの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズがヒットを飛ばした。他愛のないコメディや青春映画にも勢いが感じられた時代だった。

 本作で製作総指揮、製作、脚本、監督に名を連ねるバリー・ウォンはまさに香港映画隆盛の時代からヒットメーカーとして名を馳せていた。

 チョウ・ユンファの人気をいっそう高めたコメディ『ゴッド・ギャンブラー』シリーズを送り出し、ジャッキー・チェンの日本コミックの映画化『シティーハンター』、ジェット・リーの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地雄覇』に『新・少林寺伝説』。またプロデューサーとしても実力を発揮し、アンドリュー・ラウの『欲望の街・古惑仔 I /銅鑼湾(コーズウェイベイ)の疾風』を手がけ、シリーズ化したことも記憶に新しい。もともと父親が有名な映画監督で脚本家としてスタートしたこともあり、コメディ、アクション、香港ノワールなど何でもござれ、そつなくエンターテインメントに仕上げることに定評がある。1980年代から蓄積したノウハウを駆使して、今も輝きは衰えていない。

 本作では『プロジェクト・グーテンベルグ 贋札王』などの撮影監督ジェイソン・クワンを自分と同格の監督に据え、『ゴッド・ギャンブラー/無名の物語』のアマン・チェンを共同監督に起用。1960年代から1970年代前半に至る、狂騒、混沌の香港を魅力的に再現してみせる。胡散臭く危険な匂いが漂い、一攫千金も夢ではないと思わせる魔都・香港を背景に、一旗揚げんと中国本土からやってきた男たちと悪徳警官との不思議な縁を綴っていく。なによりこれが実話であるということに驚かされる。まさに波乱万丈、裏社会のサクセスストーリーが繰り広げられる。

 しかも主演が『イップ・ン』シリーズでお馴染み、ハリウッド作品にも足跡を残すドニー・イェンに、『インファナル・アフェア』をはじめ数々のヒット作、名作で知られるアンディ・ラウというから豪華絢爛だ。ふたりを盛り上げるべく『SHOCK WAVE ショック ウェイブ 爆弾処理班』のフィリップ・キョン、『イップ・マン 継承』のケント・チェン、『スーパーティーチャー 熱血格闘』のユー・カン、『奪命金』のフェリックス・ウォン、『全力スマッシュ』のウィルフレッド・ラウなど、個性派が結集しているのも嬉しい。

 1960年、ン・シーホウ(呉錫豪)は中国本土・潮州から不法移民として、仲間たちと一緒に成功を夢見て香港に渡って来た。

 力はあるが金はないシーホウたちは日銭につられてマフィア同士の暴動に加わるが、暴動の鎮圧に来た英国人警司ヘンダーに暴行を加え、拘束されてしまう。イギリス人に歯向かえば殺されても文句が言えない。香港警察のリー・ロック(雷洛)は、シーホウを助け強引に保釈した。シーホウはロックに恩義を感じる。

 仲間のカジノでの不正行為の落とし前として、シーホウは黒社会に身をおくことになった。数年後、ロックは長年に渡り対立していた警察幹部とマフィアの陰謀により追いつめられ、シーホウに助けられたが、シーホウは、親分のチウに足を砕かれてしまう。ロックは深く感謝し、ふたりの間には友情と信頼が生まれた。当時は、警察と黒社会が結託し汚職が横行していた時代。手を組んだふたりは、シーホウは麻薬王として、ロックは警察上層部へ出世し、闇の階段を駆け上がって行く――。

 闇社会と警察機構に身を置くふたりの成り上がり物語は魔都・香港の猥雑な雰囲気のなかで精彩を放つ。腕力でのし上がれる世界で、香港の禁忌を身をもって学んでいくン・シーホウと、腐敗した警察機構で上手く生き抜こうとするリー・ロック。ふたりの軌跡のなかでイギリスの植民地だった香港のいびつな姿が浮かび上がる。「イギリス人に盾つかなければ無事」ということばが証明するごとく、宗主国として香港に君臨するイギリス人の傲慢さがくっきりと焼きつけられる。

 香港人の悲しさは、現在も含めて自分たちが選んだ政府を戴かないことだろう。現在の中国本土の政策をみると、なおさらその感を強くする。当然ながら警察は為政者の手足と化す。現在の民主的デモを弾圧する現実の映像をみると、本作で描かれる腐敗した時代と少しも変わっていないことが明らかになる。

 バリー・ウォン率いる監督たちはそうしたリアルな現実を押さえながら、あくまでも裏社会の階段を上がる男たちの痛快なドラマとして成立させている。当時のヒット曲、衣装、風俗も巧みに再現されているが、なにより香港のビルの間に着陸せんとする飛行機の映像から啓徳空港(カイタック空港)のことが思い出されるばかりか、悪名高きスラム九龍城砦のセットも登場する趣向が心憎い。いずれも今はなくなってしまっているだけに、魔都の匂いを醸し出す要素として出色である。多少、ストーリーが駆け足になったところはあっても、緊迫した展開に最後まで惹きつけられた。実話でここまで面白ければ文句のつけようがない。

 ン・シーホウ役のドニー・イェンは時代と社会に翻弄されながらも懸命に生きるキャラクターを熱演し、リー・ロック役のアンディ・ラウが受けの芝居で支える。アクションもふんだんなのはドニー・イェンの持ち味を考えれば当然のこと。凄まじいスタントはないものの、ひとつひとつに凄味が出ている。一方のアンディ・ラウは抑えに抑えて、知恵で行動する策士を表現する。初の共演とのことだが、それぞれの個性を活かす展開にしているのはバリー・ウォンのバランス感覚というべきか。

 往年の香港エンターテインメントの楽しさをたっぷりと味わえる快作。ハリウッド大作が公開を敬遠しているコロナ禍の今、もろ手を挙げて応援したくなる。