ジョエルとイーサンのコーエン兄弟といえば、1984年の『ブラッド・シンプル』でコンビとしてデビューして以来、『赤ちゃん泥棒』、『ミラーズ・クロッシング』、『バートン・フィンク』、『ファーゴ』、『ビッグ・リボウスキー』に『バーバー』、『ノーカントリー』など、多彩な作品歴を誇っている。最近でもシニカルなコメディ『シリアスマン』や骨太なウエスタン『トゥルー・グリット』を発表し、健在ぶりをアピール。本作は待望の新作だ。
アカデミー賞では残念ながら撮影賞、音響賞にノミネートされただけだったが、すでに昨年のカンヌ国際映画祭では審査員特別グランプリを手中に収め、各映画賞で激賞を受けている。映像は情感に富み、温もりがあり、ユーモアを内包しつつ演出の切っ先が鋭い。兄弟の最高傑作という声が頷けるほど、愛おしい作品だ。
描くのは1961年のアメリカのフォークミュージック・シーン。この年はジョン・F・ケネディが大統領に就任し、ソ連のユーリィ・ガガーリンが地球を1周した宇宙飛行士となり、ベルリンに東西を分ける壁がつくられた。新たな時代を迎えるとば口の時期だが、本作では、ルーウィン・デイヴィスという、才能はあるが売れないシンガーを主人公に、稀代の天才ボブ・ディランがデビューしてフォークに革命をもたらす直前の空気を、デイヴィスの軌跡とともに紡ぎだしていく。
アメリカでフォークソングが盛り上がったのは1959年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルがきっかけだったといわれている。日本では遅れて1964年前後から、学生を中心にフォークソングのブームがあり、キングストン・トリオやブラザース・フォー、ピーター、ポール&メリー、ピート・シガーなどに注目が集まった。社会に対してストレートなメッセージを込めた詞、シンプルで心に沁みるメロディは、あの時代を経験した筆者のような人間にとっては今も鮮烈に焼きついている。
この作品は時代の気分を活写しながら、フォークシンガーの矜持をきっちりと浮き彫りにした点で、なにより評価したくなる。もちろん、当時を知らない世代であっても、生きるのが下手で、懸命に日々を送る主人公デイヴィスの姿は共感を禁じえないはずだ。
主演は『ロビン・フッド』や『ドライヴ』などで個性をみせたオスカー・アイザック。演技はもちろん、ギター演奏とみごとな歌声がコーエン兄弟に抜擢された理由だ。続いて『ソーシャル。ネットワーク』のジャスティン・ティンバーレイク、『父親たちの星条旗』のスターク・サンズなどが、喉に自信のある存在が当時のフォークシンガーを演じている。
加えて『17歳の肖像』のキャリー・マリガン、『赤ちゃん泥棒』などで6本目のコーエン作品となるジョン・グッドマン、『トロン:レガシー』のギャレット・ヘドランド、『アマデウス』のF・マーレイ・エイブラハムなどくせもの俳優が選りすぐられている。
なによりも音楽プロデュースを『オー!ブラザー』でも協力したT・ボーン・バーネットが担当し、さらにマムフォード&サンズのマーカス・マムフォード(実生活でマリガンの夫)も参加して素敵な歌を披露してくれる。
ニューヨークのグリニッジヴィレッジのコーヒーハウス、ガスライト・カフェでステージを終えたデイヴィスが殴り倒される。
そもそものケチは、住所不定の彼が大学教授のゴーファイン夫妻のマンションに泊ったときに、夫妻の飼い猫のユリシーズを外に出してしまったことだ。デイヴィスは猫を外で捕まえて、ミュージシャン仲間のジーンとジムのもとを訪ねると、ジーンから妊娠を告げられる。
一文無しの彼は中絶費用を工面するためにレコード会社で印税40ドルを手に入れ、軽蔑していたコマーシャルな歌のレコーディングにも参加する。
困ったことは続く。ゴーファイン夫妻に猫を返しに行くと、歌を強要され、拒否して不興を買った上に猫がユリシーズでないことが判明。
すっかりニューヨークに嫌気がさした彼はシカゴに向かう。そこで大物プロデューサーから男女ユニットの一員になるか誘われるが、デイヴィスは自分のスタイルを変えることはできない。かつてデュオを組んでいた相方マイクの自殺がデイヴィスの生き方に大きな影を与えていた。
ニューヨークに舞い戻ったデイヴィスだったが、フォークソングは気取った若者たちに席巻されようとしていた。怒りに燃えて暴言を吐き、暴れるデイヴィス。これが殴られる要因になると知るよしもなかった。
彼が殴り倒されたとき、カフェのステージではフォークソングに新風を吹き込む、ボブ・ディランが歌っていた――。
主人公ルーウィン・デイヴィスのモデルは、ディランにも多大な影響を与えたといわれる伝説のフォークシンガー、デイブ・ヴァン・ロング。コーエン兄弟はヴァン・ロングの回想録に触発されてこのストーリーを生み出した。もっとも、ヴァン・ロング自身の軌跡に縛られることはなかった。デイヴィスはヴァン・ロングの気質、思いを継ぎながら、もっとドジで格好の悪い生き方に終始する、誇張された存在なのだ。それゆえにフォークソング、自分の表現に対する真摯な姿勢がいっそう際立つ仕掛けだ。
このデイヴィスの日々には1961年の社会的な動きや事件は登場しない。あくまでその日暮らしに悪戦苦闘する彼の行動が綴られるだけ。コーエン兄弟は、才能はあるのにうまくいかない男の漂流する日々を、共感をこめて紡ぎだす。恵まれていないが、悲惨というほどでもなく、行き当たりばったり、うだうだと時間を費やすデイヴィスの姿は多くの人が我がことのように思えるに違いない。監督たちはこの愛すべき主人公の哀愁を、陰影豊かな映像のなかに際立たせている。
圧倒的なのは随所にちりばめられた曲の数々だ。デイヴィスが歌う名曲「ハング・ミー、オー・ハング・ミー」からはじまって、かつてデュオ時代だったデイヴィスとマークの「フェア・ジー・ウェル」(歌っているのはアイザックとマムフォード)、さらにボブ・ディランの「フェアウェル」まで、どれも惹きつけられる。デイヴィスを演じるアイザックが起用された理由は、その歌声にあることがそのパフォーマンスから得心できる。映画を通してこれほど素敵な歌い手が登場した。これは快挙といえる。
撮影が『アメリ』などで知られるフランス出身のブリュノ・デルボネル。しっとりとした情感が画面に漂う。
生き方の下手な人に贈る、コーエン兄弟の心やさしき応援歌。近年の作品のなかでも屈指の仕上がりといいたくなる。