石井裕也といえば、2009年の商業映画デビュー作『川の底からこんにちは』以降、『君と歩こう』、『あぜ道のダンディ』、『ハラがコレなんで』などを脚本・監督。卓抜したユーモアのセンスとオリジナリティに溢れた語り口によって、日本のみならず、海外からも香港アジア・フィルム・アワードで第1回エドワード・ヤン記念アジア新人監督賞を獲得するなど、熱く注目される存在だ。
昨年、脚本を渡邉謙作にゆだねて監督に専念した、三浦しをん原作の『舟を編む』が日本アカデミー賞において13部門にノミネート、作品・主演男優・監督・脚本・録音・編集・新人俳優賞に輝いたのは記憶に新しいところ。アメリカ・アカデミー賞外国語映画部門の日本代表にも選ばれた。まこと、名実ともに日本映画の期待の星になった印象である。
本作は、早見和真の同名小説をもとに、石井裕也自身が脚本を書き上げている。原作を一読するや“僕自身の物語だ”と驚き、自ら脚色することを決意。完成に至るまで19稿を数えたという。これまでさまざまなかたちで“家族”を描いてきた監督が、よりリアルに家族の在り様をみすえた内容になっている。
ごく平凡で幸せそうな4人家族が、母の異変から一転。夫はただうろたえ、家を出て距離を置いていたふたりの兄弟も否応なく、家族の実像に向き合うことになる。どんな家族にも訪れそうな出来事に直面した登場人物が、うろたえ、それでも先に進んでいく姿を誠実かつ温もりを持って描き出していく。
出演は、今年『ジャッジ!』、『小さいおうち』と作品が続く妻夫木聡に、『愛を乞うひと』の熱演が忘れ難い原田美枝子。『大人ドロップ』の池松壮亮、『長い長い殺人』の長塚京三の4人が、家族を演じてみごとなアンサンブルを披露している。
東京郊外の新興住宅地に住む若菜家は、小さい会社を経営する克明と専業主婦の玲子のふたり暮らし。長男の浩介は大手電機メーカーに勤め、結婚して独立。次男の俊平は大学生で東京のアパートでひとり暮らしをしている。
もの忘れがひどくなったと嘆いていた玲子が、浩介の妻が妊娠した祝いの席で、突然に壊れる。意味不明のことばをつぶやき、浩介の妻の名を間違える。妻の両親のいる前での度を越した行動に、色を失った克明と浩介は、翌朝、玲子を病院に連れていく。
検査を受けて下された診断は、脳腫瘍。余命は1週間と宣告される。あまりのことに狼狽し取り乱すだけの克明に、呆然としていた浩介は努めて冷静に入院の手続きをとる。克明に入院費の工面を頼まれて、浩介は引き受けるしかない。だが、妻は節約しない浩介の両親を責め立てて、生まれてくる子供のために貯めたお金に手をつけないようにと突っぱねる。
弟の俊平も戻ってきて、兄弟は若菜家の実情を知って愕然とする。玲子はやりくりのためにサラ金をいくつも利用し、借金が300万円もある。克明は会社の借金と家のローンが6500万円もあり、ローンは浩介が保証人になっているから自己破産はできないという。
あらゆることが浩介の肩にかかってきていた。かつて彼は引きこもりになった時期があった。俊平はその時から家族は壊れていたとつぶやく。
浩介は懸命に耐えながら、母の治療を模索すべく、俊平とともに引き受けてくれる病院を求めて訪ね歩く。その熱意は思わぬ結末をもたらすことになる――。
どんなに理想的にみえる家族でも、ひとりひとりに欠点もあれば、隠しておきたいこともある。そんな当たり前の事柄を、石井監督はとことんリアルに浮かび上がらせる。人がいいが見栄っ張りな面のある父、不満をため込んで他人に合わせて生きてきた母。長男は神経質で脆さを押し隠して自分を守るのに精いっぱい。次男は、愛嬌はあるがエゴイスト。この4人が母の病という試練にどう立ち向かったか。これまでは家族というものはとかく美化されたり、あるいは逆にシリアスに誇張されがちだった。だがここにはまったく飾らない、ありのままの家族の姿がある。
家族ひとりひとりが直面しようとしなかった現実に目を向けざるを得なくなる。余命1週間という時間刻みのサスペンスのなかで、見る者は浩介とともに両親の語られなかった事実に直面する展開だ。確かに、親は子供に対してはいいところをみせたいものだ。ここまで借金がありながら、楽しげに生きる克明と玲子の能天気さに、見ていて呆れながらも、多くの親と同様に子供に面倒をかけたくないという気持ちも理解できる。
一方で、ひとりで問題に対処しようとあがく浩介の姿に共感を抱かざるを得ない。見るからに神経質そうな浩介がぎりぎりの状況に追い込まれて壊れるのではないか。そのサスペンスがストーリーに緊迫感を与えている。
石井監督は、今回ストレートな語り口を貫いていくが、ところどころに持ち味である巧まざるユーモアが浮かび上がる。深刻な状況である人間の、ふとした何気ないひとことが思わぬ笑いを誘うことを、監督は知っているのだ。
なにより深刻な事態を軸にして、映画は家族ひとりひとりの再生というポジティヴな結末を用意する。
この作品が感動的なのは、家族の成長を、温もりを持って紡いでいるからに他ならない。徹底的に家族というものに向き合い、胸に沁みるエンターテインメントに結実させたいという監督の思いが、映像に漲っている。
それにしても過不足なく描き切った石井監督には脱帽するばかりだ。他人の脚本になる『舟を編む』で新たな世界を拓いたわけだが、ここで自らの脚色の作品を手がけることで、自分のセンス、語り口を再確認する必要があったのだろう(次作が『八日目の蟬』などで知られる奥寺佐渡子脚本の大作『バンクーバーの朝日』で、本年12月の公開を控えている)。実体験をもとに書かれた原作であることを踏まえ、背景となる場所、お店などはすべて原作者の居住地にロケーションを敢行。どこまでも感情のリアルさにこだわってみせた。
4人家族の次男として生まれた石井監督は7歳の頃に母を亡くす体験をしている。この原作を“僕自身の物語だ”といったのは故なきことではない。家族を構成するそれぞれの人間を真摯に見つめた直球勝負。登場人物と同じように監督自身も大きく成長した。
出演者はいずれもすばらしいパフォーマンスを披露してくれる。妻夫木がじっと耐えるキャラクターをスリリングに演じれば、池松は今どきの学生のリアリティを体現してみせる。長塚のあたふたぶり、原田の壊れぶりも説得力がある。4人の演技をみるうちに、いつのまにか共感を禁じえなくなる。
最後に本作はRIKIプロジェクトの企画作品で、プロデューサーにあの個性派俳優の竹内力がクレジットされている。本作の実現に尽力した彼に拍手を送りたい。