『ペイン・アンド・グローリー』は黄昏を迎えたペドロ・アルモドバルの、心に沁みる“心境”映画。

『ペイン・アンド・グローリー』
6 月 19 日(金)より、TOHO シネマズ シャンテ、 Bunkamura ル・シネマほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
©El Deseo.
公式サイト:http://pain-and-glory.jp/

 スペインの映画監督というと、巨匠ルイス・ブニュエルの印象が強いためか、その作品には奇想のイメージが浮かぶ。実際、名前を挙げるだけでも、フラメンコ映画のカルロス・サウラ、静謐なビクトル・エリセ、あるいはスリラーの多いアレハンドロ・アメナーバルなど、個性に飛んだ監督が居並ぶ。

 そのなかでも、とりわけ華やかで際立った存在が、ペドロ・アルモドバルだ。1980年に『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の娘たち』で長編映画デビューを飾って以来、常に作品が高い評価を集めてきた。

 フランシスコ・フランコ大統領の独裁政権下で生まれたアルモドバルは、反体制的な資質を育み、スペインの民主化とともに、独学で身につけた演出力で映画監督として才能を開花させた。

 弾けた世界観と強烈な色彩感覚。ブラックなストーリーの作品を生み出し、熱狂的なファンが世界中に生まれた。辛辣なユーモアを誇り、キッチュで風刺の効いたテイストが身上だ。

 日本では1987年の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』や1989年の『アタメ』の頃から熱狂的なファンを擁し、カンヌ国際映画祭監督賞とアカデミー賞外国語映画賞に輝いた1998年作『オール・アバウト・マイ・マザー』、2002年のアカデミー脚本賞受賞作『トーク・トゥ・ハー』あたりから、世界が注目すべき匠として広く認知されるようになった。

 アルモドバルの選ぶ題材はドラッグやエイズ、SMに同性愛など、一見するとスキャンダラスにみえるが、細やかな描写で紡がれる母親への愛や、情愛の在り方、女性に対する賛美まで、作品から放たれるテーマは誰しも深い共感を覚えるものばかりだった。作風は年齢を重ねるごとに円熟し、スランプもあったが、近年は人間の深奥に迫る作品が多くなっていた。

 最新作『ペイン・アンド・グローリー』は1951年生まれ、70歳を目前に控えたアルモドバルの心境を素直に映像化した作品である。

 これまでの作品よりも自伝的要素に満ちていて、ストーリーは人生を歩んだことによって生じた痛みや苦み、それぞれの時期に体験した哀歓に彩られている。年齢を重ねた者だけが実感できる、切なさと哀しみが映像に焼きつけられているのだ。

 主人公はアルモドバルと同様、世界的に知られた映画監督。気力を失いかけた男がいかにして過去と折り合いをつけて、現在を生きるようになるかが綴られる。脚本もアルモドバル自身が手がけ、自らの思いをてんめんと盛り込んだ。

 撮影は『神経衰弱ぎりぎりの女たち』から『アイム・ソー・エキサイテッド!』(2013)まで、数多くのアルモドバル作品に参加しているホセ・ルイス・アルカイネ、プロダクション・デザインは同世代で『ジュリエッタ』(2016)をはじめ後年の3作品でチームを組んだアンチョン・ゴメス。音楽はアルモドバル作品にはおなじみのアルベルト・イグレシアスが起用された。まさに万全の布陣だ。

 しかもキャスティングが素晴らしい。アルモドバル作品『セクシリア』(1982)でスクリーン・デビューを果たして、セクシーなスターとしてセンセーションを巻き起こし、ハリウッドに渡ったアントニオ・バンデラス。アルモドバル作品はアイム・ソー・エキサイテッド!』以来だが、長年、絆を育んだ成果はパフォーマンスに表れている。人生の黄昏を意識した男のペーソスが画面から滲み出ている。本作でカンヌ国際映画祭主演男優賞に輝き、アメリカの第92回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたことも頷ける。

 さらにアルモドバル作品の女神ペネロペ・クルスも重要な役で顔を出す。共演は『あなたのママになるために』(2015)のアシエル・エチェアンディア、『人生スイッチ』(2012)のレオナルド・スバラーリャ、『笑う故郷』(2016)のノラ・ナバスなど、日本では知名度は低いが実力派俳優で固めている。

 映画監督のサルバドールは長年に渡る脊椎の痛みと母親の死によって、引退同然の日々を送っていた。

 そんな彼のもとに、32年前に撮った作品がシネマテークで上映される知らせが届き、ティーチインへの出席依頼を受ける。その作品の演技に激怒し、絶交していた俳優アルベルトとの再会。彼から譲ってもらったヘロインが痛みを和らげたことから、彼を過去へと遡らせる。

 愛しい母親との子供時代、思春期を迎えたバレンシアの村での忘れえぬ出来事。そしてマドリッドでの恋と破局。このときの激しい悲しみは1本の脚本に収められていた。アルベルトがこの脚本を一人芝居で演じたことから、サルバトールの予想を超えた展開が待ち受けていた。彼はその体験を受け止めることができるだろうか――。

 本作ほど、アルモドバルの素直な心情が描きこまれたものもない。功成り名を遂げたものの、悔いは誰にもついてまわる。加齢とともに心身は疲れ果て、生きる気力を失くしかけた男の心境を、アルモドバルは繊細に紡いでいく。誰でも過去の記憶を再検証することができれば、その生涯がかけがいのないものであることに気づくはずだ、とアルモドバルは優しく語りかける。

 画面に散りばめられた情の機微に、見る者は共感を禁じ得ない。母に対する愛憎の感情や、幼い頃の性の目覚め、愛する人への思い。画面に描かれる、成長する愛の軌跡は、見る者すべての琴線に触れるはずだ。

 人間が限りある存在であるならば、自分の軌跡の痛みも輝きも抱きしめて最後の最後まで楽しもうと映画は語りかける。アルモドバル作品のなかでも屈指の仕上がり。心に沁みる作品である。