『リチャード・ジュエル』は老いて味わい深いクリント・イーストウッドの素敵な最新作!

『リチャード・ジュエル』
1月17日(金)より、TOHOシネマズ日比谷、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
© 2019 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
公式サイト:richard-jewell.jp

 

今さら言うまでもないことだが、クリント・イーストウッドはアメリカ映画界が誇るべき至宝である。

イーストウッドは1930年生まれ、今年90歳を迎えるという高齢にもかかわらず、コンスタントに作品を生み出し、そのいずれもが高い評価を受けているのだから、脱帽するしかない。前作『運び屋』では主演も引き受け、ドラッグの運び屋という仕事に才能を発揮した爺さんの顛末を軽快に描き出したが、その余韻の残るうちに本作を送り出す。その衰えない創作意欲は驚異的というしかない。

前作同様、本作も実話の映画化である。イーストウッドは名もなき庶民の驚くべき体験に惹かれるらしく、本作もまたひょんなことから脚光を浴びた男に焦点を当てる。

題名はそのまま男の名前だ。リチャード・ジュエルは1996年アトランタ・オリンピック開催中に警備員として働いた男だ。普通であれば注目されることもない彼は、イベントの最中にパイプ爆弾を発見したことで人生が一変する。

仕事に忠実な彼は、事態を報告し、観衆の避難に全力を挙げ、爆発の被害を最小限に抑えた。その行動は当初、英雄としてマスコミに華々しく取り上げられたが、FBIがジュエルを容疑者のひとりとして扱っていることが漏れると、事態は一転。彼はテロの容疑者としてマスコミに追われ、世間の冷たい目にさらされることになる。

イーストウッドはジュエルが今も「アトランタ・オリンピックの爆弾テロ犯人」として語られることに衝撃を受けた。身の潔白は証明されたはずなのに、人々は最初の印象だけで片づけてしまう。過剰に騒ぎ立てるマスコミ、無責任な警察権力に対して一石を投じたいとの思いで本作の製作に乗り出したという。

もともとはマリー・ブレナーが1997年にヴァニティ・フェア誌に寄稿した記事“The Ballad of Richard Jewell”がはじまり(もっともこの題材に興味を抱いたのはイーストウッドだけではなかった。レオナルド・ディカプリオとジョナ・ヒルも映像化を考えていたが紆余曲折あって流れ、イーストウッドが引き受けたために、配給権がワーナー・ブラザースになった経緯がある。製作にディカプリオ、ジョナ・ヒルの名があるのはこの理由からだ)。この原作を『ニュースの天才』や『アメリカを売った男』などで知られるビリ・レイが脚本化。サスペンスとユーモアが散りばめられた人間喜劇に仕上げてみせた。

しかも出演者が個性派ぞろいだ。まず主人公リチャード・ジュエルには『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』で圧倒的な存在感を披露したポール・ウォルター・ハウザーが抜擢された。アメリカの中西部や南部にいそうなブルーカラーを演じさせたら抜群の個性を発揮する、唯一無二の存在だ。保守的で警察や軍隊に憧れを持ち、銃火器のコレクションを誇る、善良ながら共和党を支持していそうなジュエルというキャラクターにはまさにピッタリとはまる。彼の起用が作品のリアリティをさらに高めることになった。

共演は『スリー・ビルボード』でアカデミー賞助演男優賞に輝いたサム・ロックウェル、『ミザリー』のキャシー・ベイツ、テレビシリーズ「MAD MEN マッドメン」で注目されたジョン・ハム、『ラッシュ/プライドと友情』のオリヴィア・ワイルドなどがキャスティングされている。

 

警察官に憧れるリチャード・ジュエルは母親と二人暮らし。アトランタ・オリンピックの警備員の職を得て、正義の行使者の誇りのもと、日々、真剣に業務にあたっていた。

その真剣さがイベント会場に置かれていたパイプ爆弾の発見につながった。ジュエルは直ちに警察に報告し、懸命に観衆を避難させる。間一髪、爆弾は爆発したが、被害者は最小限度に収まった。

この活躍により、ジュエルは一躍、時の英雄となり、マスコミの英雄となった。だが、彼の夢のような時間は突然終わる。

FBIが犯人のプロファイリングをしていくと、ジュエルが容疑者の条件に合致することが判明したのだ。世界的イベントの最中に起こった事件、解決が急がれるなかで、FBIはジュエルに捜査の標的を定め、その事実を色仕掛けで入手した女性記者が記事にしたことから、大騒動になる。

大挙して押し寄せたマスコミ、あの手この手で責め立てるFBIに対して、ジュエルは唯一知っていた弁護士ワトソン・ブライアントに助けを求める。こうしてブライアントが後ろ盾となって、ジュエルとFBI、マスコミ、世間との戦いが始まる――。

 

イーストウッドはジュエルを襲った災難は今も起こりうると考えている。

いや、いわれなき誹謗中傷の凄まじさはSNSが根付いたことで激しさを増している。ネットの匿名性のもとで、容易く人が傷つけられてしまう。真実はどうであろうと、面白おかしいネタになればいいと考える風潮はさらに加速度を増している。イーストウッドは報道の名のもとに、モラルを失い、特ダネを求めて狂乱するマスコミに警鐘を鳴らす。と同時に、容易く情報を受け入れる私たちにも疑問符を投げかけている。

本作がどこかユーモラスなのはリチャード・ジュエルのキャラクターに負うところが多い。ドナルド・トランプを支持しそうなキャラクターといえば分かりが速い。単純に正義を信じ、銃を集め、善良で疑うことを知らない。どちらかといえば軽んじられるタイプで、真剣に向き合ってくれる人は少ない。彼がワトソン・ブライアントを指名したのは、彼が唯一過去にジュエルに向き合ってくれた人間だったからだ。

イーストウッドはそうしたキャラクターを軽やかに紡ぎだす。欠点も含め、ありのままに描くことで、キャラクターに対する親しみも生まれる。ジュエルと母親との仲の良さを目の当たりにさせられると、思わず彼への好感度も上がってしまうのだ。

さらに本作で思い至るのは、イーストウッドの人生に対する諦観の深さだ。どんな出来事が起ころうとも、人間は受け止めるしかない。いいことも悪いことも紙一重。時の流れに任せるしか方法はないという境地に、イーストウッドはいる。

 

ジュエルに扮したポール・ウォルター・ハウザーはどこまでもリアルにキャラクターを体現してみせる。愛すべき部分とちょっと引いてしまう部分を併せ持った、どこまでも普通の庶民を演じ切る。彼の熱演を、母親役のキャシー・ベイツが優しく包み込み、ワトソン・ブライアント役のサム・ロックウェルが巧みな演技でウォルター・ハウザーの熱演をサポートしていく。ベイツ、ロックウェルが演技の達者なことはいうまでもないが、ウォルター・ハウザーと対することで化学変化をみせている。これもまた演技に対しては俳優を重んじる、イーストウッドの為せる業なのだ。

 

『運び屋』も無視したアカデミー協会が本作をどのように処遇するか興味深いが、賞レースなど関係ない。イーストウッド作品はいつだって称えられるべきだ。本作をみて、心の底から思う。必見といっておきたい。