1976年にノン・コンペティションの映画祭として創設されたトロント国際映画祭は、今やベルリンやカンヌに次ぐ規模の来場者数を誇っている。北米最大の映画祭であり、何より、時期的にアメリカ・アカデミー賞レースの皮切りとなることで知られている。ノン・コンペティションながら、ピープルズ・チョイス・アウォード(観客賞)が設けられていて、受賞作は必ずといっていいほどアカデミー賞を彩ってきた。
ここ数年の受賞作を見ても、2012年『世界にひとつのプレイブック』、2013年『それでも夜は明ける』、2014年『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』、2015年『ルーム』、2016年『ラ・ラ・ランド』、2017年『スリー・ビルボード』、2018年『グリーンブック』と、いずれもアカデミー作品賞に絡んでいる。
この流れでいけば、2019年に同賞に輝いた本作もアカデミー・ノミネートは必至と目される。
本作は第2次世界大戦の敗戦間近いドイツを舞台に、ヒトラー・ユーゲントの一員となった少年ジョジョの成長をユーモアと風刺を込めて描き出し、アメリカ映画でナチス政権下のドイツ庶民の生活を描いたのは興味深く、主人公ジョジョの空想上の友として、ちょび髭アドルフがひょうきんに登場するのも珍しい。
原作はクリスティーン・ルーネンズの書いた「Caging Skies」。ヒトラー・ユーゲントの少年と彼の両親に匿われたユダヤ人少女との絆を描き、高い評価を受けた。この小説に強い感銘を受けたのが2017年の『マイティ・ソー バトルロイヤル』で一躍注目された、ニュージーランド出身のタイカ・ワイティティ。『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』(2014)や『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』(2016)などを手がけ、その才気を注目されていたコメディアン・監督だ。
ワイティティはルーネンズの原作を大胆に脚色。ファンタジー要素とユーモアを存分に織り込み、風刺に満ちたドラマに仕上げた。彼はマオリ族の父とユダヤ人の女性の間に生まれ、マイノリティへの差別やヘイトを自身で体験してきた。そこで育まれた、差別や憎悪に対して辛辣なユーモアで笑い飛ばすスキルが本作でも十分に活かされている。
ワイティティ自身がちょび髭アドルフに扮するのをはじめ、俳優陣も充実している。主人公のジョジョにはオーディションで選ばれたロンドン生まれのローマン・グリフィン・デイヴィス。さらにニュージーランドで活動するトーマシン・マッケンジーがユダヤ人少女を演じる。さらに『CATS キャッツ』でも個性を発揮しているレベル・ウィルソンに加えて、『スリー・ビルボード』でアカデミー助演男優賞に輝いたサム・ロックウェル、『アベンジャーズ』シリーズのブラック・ウィドウでお馴染みのスカーレット・ヨハンソンが作品を締めている。ヨハンソンはNetflixの『マリッジ・ストーリー』とともにアカデミー賞の台風の目となりそうだ。
第2次大戦下のドイツで暮らす10歳のジョジョは愛国少年だ。ナチスドイツを信奉し、ユダヤ人は怪物で最大の敵だと信じていた。彼の空想上の友はちょび髭のアドルフ。アドルフはジョジョの話し相手になり、アドバイスも授けてくれる。
そんなジョジョが青少年集団ヒトラー・ユーゲントに入ることになった。勇んで入隊したものの、ジョジョは訓練でウサギを殺すことができず、ジョジョ・ラビットという不名誉なあだ名をつけられてしまう。
ジョジョの父は2年間も音信不通で脱走兵になったと陰口をたたかれていた。母のロージーはジョジョのすることを受け入れ温かく見守る。ジョジョのためならヒトラー・ユーゲントに怒鳴りこむことも辞さない、勇気ある女性だ。
ある日、ジョジョは若くして亡くなった姉の部屋の隠し扉の奥に、ユダヤ人少女エルサが隠れていることを発見。パニックに陥る。
密告すれば母もジョジョも死刑になるとエルサから脅され、ユダヤ人を撲滅するために観察すると自分自身に言い聞かせるジョジョだったが、エルサのユーモア、知性に次第に惹かれていく。ふたりの仲が親密になるのと並行するように、ドイツの戦局は悪化を辿り、やがてジョジョの身にこの上ない悲しみが待ち受けていた――。
この成長物語には、ワイティティの辛辣で切れ味鋭いユーモアが全編に貫かれている。自らが演じるアドルフはジョジョの心優しい“父親代わり”として登場し、次第に馬脚を露すという設定もいいし、戦時下のドイツ庶民の生活が描きこまれているのも魅力的だ。第2次世界大戦以前に日本にもいた愛国少年のジョジョがユダヤ人少女とのふれあいを通して、次第にナチスドイツの在り方に疑問を持つようになる展開も説得力がある。
ワイティティのうまさはジョジョと母のやり取りでも際立つ。このやり取りが後半に大きな意味を持って来るあたりがこの監督の真骨頂だ。まあ、笑い者にするにしても、アドルフがひょうきんに登場するだけで拒否反応をもつ人も西欧人には多いらしく、それもまた本作が話題になったことの理由のひとつだ。
ワイティティはチャールズ・チャップリンやメル・ブルックスに倣って、アドルフを徹底的に笑い者にすることで、ナチスの罪悪を浮かび上がらせる。政策を妄信したドイツ人たちに待ち受ける瓦礫の世界は現代にも通じる。本作に登場する大人たちは、ヒトラー・ユーゲントの将校をふくめ、根は善良な人ばかりだ。為政者の政策に疑問符を投げかけなければ、ナチスドイツになる危険性をはらんでいるというメッセージが、彼らの姿を通して本作に貫かれているのだ。
いってしまえば、クラシカルな成長物語のスタイルだが、ワイティティは斬新なアプローチを披露する。注目すべきは音楽である。ビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語ヴァージョンからはじめて、トム・ウェイツ、ロイ・オービソン、デヴィッド・ボウイの楽曲が映像に合わせて散りばめられている。彼らのメロディがいかに映像にマッチしているかは見てのお楽しみだ。
ジョジョに扮したローマン・グリフィン・デイヴィスの無垢な表情が全編に瑞々しさを与え、エルサ役のトーマシン・マッケンジーの利発さが映画をさらに爽やかなものにしている。ヒトラー・ユーゲントの教官役のレベル・ウィルソン、将校役のサム・ロックウェルはユーモアをたたえた存在感をみせているが、何といっても母親ロージーに扮したスカーレット・ヨハンソンが素晴らしい。息子を全力で支えつつ、自らの主義信条を貫く母親像は彼女の出演作のなかでも群を抜いている。
ユーモアは辛口ながら、戦火に生きる人たちをくっきりと描いたハートフルなコメディ。アカデミー賞ノミネーションを果たすかどうか、注目しつつ、まずは一見をお勧めしたい。