『ジョーカー』はヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた、アメリカン・コミック原作の心震える人間ドラマ!

『ジョーカー』
10月4日(金)より、TOHOシネマズ日比谷、丸の内ピカデリーほか日米同時全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &© DC Comics
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

 

毎年、アメリカン・コミックを原作にした映画が何作も登場する時代になった。認知度の高いキャラクターが紡ぐ、スケールの大きなドラマ、アクションが当たり前となり、より深いテーマ性やキャラクター造型が求められるようになった。

映画を量産するマーベル・コミックに押され気味だったDCコミックだが、本作を生み出したことで素晴らしい一歩を踏み出した。本作はヴェネチア国際映画祭に出品され、最高賞である金獅子賞を獲得したのだ。コミックの映画化はエンターテインメントの面で評価されることが多く、クオリティが認められることが少なかっただけに喜ばしい限りだ。

本作に登場するキャラクター、ジョーカーは『バットマン』に登場する悪役のひとりであり、これまで数々の個性派俳優が演じてきた。

ティム・バートン版『バットマン』(1989)ではジャック・ニコルソンが演じ、クリストファー・ノーラン版『ダークナイト』(2008)ではヒース・レジャーが鬼気迫る演技を披露するも急死、死してアカデミー助演男優賞に輝くというドラマチックな展開となった。

またDCコミックの悪役ばかりが勢揃いする『スーサイド・スクワッド』(2016)ではジャレッド・レトーが怪演し、ジョーカーというキャラクターの凄味を実感させてくれた。ヒース・レジャーは死後受賞ながら、ジャック・ニコルソンもジャレッド・レトーもアカデミー賞を手にした演技派俳優ばかり。このキャラクターの持つ実存性、人間の底知れぬ悪の深さを体現する存在に惹かれたのに違いない。

 

そして本作の登場である。本作はジョーカーという怪異なキャラクターを軸に据え、その人間的な側面と犯罪者になっていく経緯をくっきりと描き出している。

脚本は、『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』シリーズの監督を務めたトッド・フィリップス。ジョーカーのファンを公言するフィリップスは『8 Mile』や『ザ・ファイター』などで知られるスコット・シルヴァーと共同で脚本を書き上げた。描くのはジョーカーの原点。人を笑わせることを望んだ男がいかにして悪のカリスマになったかが紡がれる。

しかも主演を務めるのがホアキン・フェニックス。『グラディエーター』の昔から、演じさせたら唯一無二。フェニックスにしか表現できない存在感でキャラクターをつくりあげる。ここでも社会に疎外されながらも懸命に生きるジョーカー像をくっきりと映像に焼きつける。ここに登場するジョーカーはまこと映画史上屈指のキャラクターといいたくなる。

共演は名優ロバート・デ・ニーロに、テレビシリーズ「アトランタ」で注目されたザジー・ビーツ。さらに『ストーン』のフランセス・コンロイ、テレビシリーズ「GLOW:ゴージャス・レディ・オブ・レスリング」で注目されたマーク・マロンなどが脇を固めている。

 

1980年代初頭、貧富の格差が拡大する一方の大都会ゴッサムシティで、アーサー・フレックはコメディアンになることを夢みている。現在は職業派遣所でピエロを生業としている彼は、他人に優しくしたいと思いながら、笑いが止まらなくなる病のために周囲からは気味悪がられている。

人と心を通わせたい、社会に認められたいというアーサーの願いが叶うほど、世界は甘くなかった。病身の母と暮らし、テレビのワイドショーの司会者のコメディセンスに憧れる日々は、次第に暗転していく。

ピエロ姿で地下鉄に乗っていたときに、アーサーは持病と偶然が重なって事件を起こしてしまう。そのときに、無視されてきた彼はなぜか生きる実感を覚える。以降、アーサーは受け身の生活を改め、自らの出自を調べることはじめとして積極的に行動するようになるが、それがジョーカーとなる道だった――。

 

ゴッサムシティはニューヨークの代名詞なのか。かつてロバート・デ・ニーロが演じた『タクシードライバー』をほうふつとする仕上がりだ。現在の世界を象徴するような、どこまでも不寛容で異種排除の大都会のなかで、懸命に優しく生きようと努める人間がどのように変貌せざるを得ないかがリアルに綴られている。容姿や病のために気味悪がられ疎んじられる主人公が、次第に怒りを募らせ、感情を爆発させる展開には共感を禁じ得ない。

フィリップスはどこまでも丹念に主人公の心情を綴り、持てる者と持たざる者の溝の広さを実感させる。描かれる主人公がジョーカーになる過程はまことに納得がいくのだ。単純な勧善懲悪とは相いれない、深みのある人間ドラマ。アーサーの妄想と現実が交錯する巧みなつくりに翻弄される。最後の最後までストーリーに惹きこまれ、アメリカン・コミックにおけるジョーカーの設定に収斂させる。エンターテインメントとしても群を抜いている。

ヴェネチア国際映画祭受賞も当然といいたくなる。この世界で生きていくことの困難さ、格差が人間を不寛容にする事実を、トッド・フィリップスはみごとに映像に焼きつけている。『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』シリーズを手がけたときは、ここまで踏み込んだ演出ができるとは思わなかった。描写はシリアスながら、どこかしら残酷なユーモアも見え隠れする。なによりも心優しきアーサーの変貌していくプロセスを繊細に綴った演出には拍手が送りたくなる。アメリカン・コミックを原作に、かくも人間の本質を見すえ、社会に対してメッセージを盛り込んでみせた。トッド・フィリップスに脱帽である。

 

もちろん、アーサー・フレックを演じたホアキン・フェニックスの傑出した演技がまず素晴らしい。肉体を絞り込み、世間に認められないピエロの哀しみをみごとに表現している。心優しい、純なキャラクターの持ち主が、受け入れてもらえない社会に対して、怒りと悲しみを抱くに至る姿を、奥行きのある演技で表現。説得力をもって見る者に迫ってくるのだ。これまでも深い理解力でキャラクターを演じてきたフェニックスだが、このジョーカー役は出色である。アカデミー最有力という呼び声もあながちオーバーではない。

ワイドショーの司会者役のロバート・デ・ニーロ、同じアパートに住むシングルマザー役のザジー・ビーツ、アーサーの母親役のフランセス・コンロイはいずれも適演。アーサーのキャラクターを際立たせている。

 

秋にふさわしく人間ドラマとして堪能できる作品。ホアキン・フェニックスの演技力にしたたか酔いしれる。それにしてもここで描かれる世界は日本の現実そのものではないか。社会を覆う不寛容さ、異種排除を何とかしないと、希望に満ちた明日は来ない。