『帰れない二人』はジャ・ジャンクーが描く、修羅に身を置いた男女の壮大な愛の物語。

『帰れない二人』
9月6日(金)より、Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
配給:ビターズ・エンド
©2018 Xstream Pictures (Beijing) – MK Productions – ARTE France All rights reserved
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/kaerenai/

 

もはや中国は屈指の経済大国だ。

広大な大地と圧倒的な人口を背景に、開放政策で世界の工場を謳い、瞬く間に強大な力を身につけた。今では、桁外れの金持ちの存在も話題になり、富を力にハリウッドに出資するケースも増えてきた。自国製作の勧善懲悪、国威高揚の作品も数多く生産されている。

ジャ・ジャンクーの作品はこうした国威高揚映画とは無縁の存在だ。彼は1995年に中国においてインディペンデントの映画製作グループを組織し、1997年に初めての長編『一瞬の夢』を発表。世界に注目される監督となった。

この監督が発信するのは、豊かさを謳う中国沿岸部ではない。激変する状況に対応しきれない、あるいは豊かさの恩恵を受けない内陸部にカメラを向け、出口なしの閉塞感にあがく人々の姿を浮かび上がらせる。生まれ育った山西省汾陽近辺、あるいは繁栄のために故郷を失う三峡ダム地域を舞台に、時代に翻弄される若者たちの姿をリアルに紡いでいる。

ドキュメンタリー、フィクションの垣根をこえて、中国の庶民の姿を捉えてきたジャ・ジャンクーは、三峡ダム建設のために水没する古都・奉節を舞台にした2006年の『長江哀歌』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いている。インディペンデント性を護るために、日本やフランスとの合作を選択。決して多作ではないが心に残る作品を生み出し続けている。

本作は、ジャ・ジャンクー作品群の集大成とでもいうべき内容である。

2001年の山西省大同からはじまり、三峡ダムの奉節、大同と舞台が移る17年に及ぶ愛の物語が綴られる。ジョン・ウーをはじめとする香港ノワールがお気に入りだったというジャ・ジャンクーが、やくざ者を愛してしまった女性の彷徨とともに、激動の中国の姿をくっきりと映像に焼きつけている。ヒロインの放浪はそのまま、これまでのジャ・ジャンクー作品に焼きつけた場所とシンクロする趣向だ。

撮影に、これまでコンビを組んでいたユー・リクウァイから、フランスのエリック・ゴーティエに変わったことも特筆に値する。ゴーティエはウォルター・サレスの『オン・ザ・ロード』や是枝裕和の最新作『真実』にも参加している、多彩な作品歴の持ち主。ここでは雄大で荒涼とした中国大地をみごとに映像化している。

出演は『プラットホーム』以降のジャ・ジャンクー作品に主演し続けるチャオ・タオ。共演は『薄氷の殺人』のリャオ・ファン。ふたりを囲んで、シュー・ジェン、ティアオ・イーナン、フォン・シャオガン、チャン・イーバイといった映画監督たちが演技を披露しているのも話題となった。

 

2001年の大同、裏社会に生きるビンと恋人のチャオは、華やかな暮らしをしていた。やくざ者は仁義と独自の行動規範に生きることで統制をとっていたが、開放の波とともに、跳ね上がりのチンピラたちが裏世界を牛耳ろうと狙っていた。

ビンはそうしたチンピラの襲撃を受ける。多勢に無勢。ビンがチンピラたちの餌食になりそうになったとき、チャオがビンの銃を発砲。たちまち、チンピラたちは消え去るが、チャオは警察に捕らわれる。

チャオは拳銃所持の罪を被って、5年間服役する。だが、出所したとき、ビンは消えていた。チャオはビンの消息を訪ね、三峡ダム完成間近の奉節にやってくる。財布を盗まれるアクシデントもあったが、なんとかビンを探し当てた。

だが、彼には新たな恋人がいた。失意のどん底に落ちたチャオは行ったことのない新疆ウイグル自治区のウルムチを目指すが、踏み切れない。

やがて歳月は流れ、チャオは中年になった。だが途切れたはずのビンとの縁は2017年まで続くことになる――。

 

ジャ・ジャンクーは次第に変貌するふたりのつながりを、成熟した語り口で紡ぎだす。激動する社会の影響を受けながら、愛を求めるヒロインの歩みがロマンチズムを内包したさりげない語り口で紡がれるのだ。映画はスリリングなフィルムノワールから転じて、壮大な愛の彷徨となり、最後はくされ縁のような繋がりに昇華する。ジャ・ジャンクー作品のなかでも群を抜く、押さえた映像からにじみ出るエモーション。男と女の絆をここまでくっきりと見据えた作品も珍しいのではないか。

同時にふたりの軌跡は、三峡ダム完成、北京オリンピック開催から四川大地震、上海万博など、変貌を続ける中国の出来事にみごとなほど呼応している。その時代に生きた何者も時代の激変に無縁ではない。激しく変貌する時代に翻弄されていくのだ。裏社会に生きた人物に焦点を当てたのも、昔ながらの行動規範にあっても、時代に抗しきれない存在として選んだのだろう。彼らも経済至上主義に踊らされ、飲み込まれていくコマに過ぎない。ジャ・ジャンクーの視点は最初から揺るいでいない。中国のリアルな姿を描き続ける彼を称えたくなる所以である。

またジャ・ジャンクーは時代を喚起すべく、心憎い選曲をみせる。サリー・イップが歌う香港ノワール『狼/男たちの挽歌・最終章』の主題歌をはじめ、ヴィレッジ・ピープルの「YMCA」、フィンツィ・コンティーニの「チャチャチャ」などなど、中国で好まれた懐かしいメロディが次々と挿入される。この選曲からもジャ・ジャンクーが香港映画に大きな影響を受けたことが伺える。

 

出演者ではチャオを演じたチャオ・タオが絶品だ。17年に及ぶ歳月をメイクと表情で表し、その表情に情感を漂わす。いうなれば、男に翻弄されながらも確固たる矜持を持ち、自らの想いを貫く。ハードボイルドで男前の女性像を存在感豊かに演じ切っている。さすがジャ・ジャンクーのミューズとして、作品を重ねていること頷ける。

 

格差の大きな中国にあって、陽の当たる沿岸部の華やかさを喧伝するのではなく、あくまで庶民の側に立ち、地方の現実を映像に焼きつけるジャ・ジャンクー。次作がさらに楽しみになってくる。