まつかわゆま カンヌ・レポート2014(1) カンヌでお披露目、シリア内戦のドキュメンタリー。

 ドキュメンタリー映画は、映画の機能の一つである記録性を生かしたジャンルである。と言ってもドキュメンタリーにもいろいろあって、今は記録性を重視したものこそがドキュメンタリーだとは言えなくなっていることは確か。
 そんな中で15日にカンヌでお披露目されたシリア内戦のドキュメンタリーは、デジタルの機能性を存分に生かした、記録性の高いドキュメンタリーだった。

silverdwater
©OSSAMA MOHAMMED WIAM SIMAV BEDIRXAN

「Silvered Water,Syria Self-Portrait」(銀色の水 シリアの自画像)と題された作品は、シリアの内戦が開始された2011年から、「1011人のシリア人男女によって撮影され、私によってまとめられた」ドキュメンタリーと自称している。

 デジタルビデオカメラどころかタブレットやスマートホン、携帯電話ですら動画記録装置となっている現在、各地で起きている変革を求める市民の活動とそれに対する弾圧は市民の手によって撮影され配信することが可能になっているのだ。その生々しさ、怒りと悲しみは映像としてダイレクトに表現される。メディアとして現地に入るジャーナリストならぱ躊躇してしまうような死体と流血のオンパレードも、その場にいて目の前で撃たれ死んで行く人々を記録しなければという差し迫った気持ちの表現に他ならない。この事実を知ってほしい、という現地からの叫びである。

 この映像は監督オサマ・モハメッドの手によりシリアから持ち出されまとめられたものである。ただ生の映像をそのまま送り出すニュースとしてではなく、これは一体どういうことなのかという整理を加えて作品としてのドキュメンタリーに仕上げられた作品だ。

 日本のジャーナリストたちもドキュメンタリー映画を手がけるが、そこでは自粛されてしまうような映像や、荒れた画面、つなぎの映像のない途切れ途切れの映像の寄せ集めでできあがっている本作の方が、訴求力のあるドキュメンタリーになっていると思う。 日本公開は難しいこんな作品に出会えるのも国際映画祭の存在意義なのだ。

<文・写真 まつかわゆま>