『青天の霹靂』は、劇団ひとりが大泉洋を主演にすえて生み出した、“昭和”へのタイムスリップ・ストーリー。

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『青天の霹靂』
5月24日(土)より、全国東宝系ロードショー
配給:東宝
©2014「青天の霹靂」製作委員会
公式サイト:http//www.seiten-movie.com

 近年、芸人やコメディアンから映画監督に進出するケースが増えてきた。何といっても北野武という存在が大きいのか、いずれも認知度の高さを武器に映画に挑んでいる。すべての作品が成功しているとは思わないが、いずれもつくり手たちが映画という表現に魅了されていることはうかがえる。
 ここに紹介するのは、ユニークな成り切りぶりを持ち味にする劇団ひとりが初めて監督に挑戦した作品。劇団ひとりといえば、小説「陰日向に咲く」を発表してベストセラーにするなど、芸人のマルチな活動を牽引してきたひとり。ビートたけしに憧れて芸人となり、チャーリー・チャップリンの映画をこよなく愛するという彼が、自らの小説を映画化する。
 自ら脚色に乗り出し、テレビドラマ「僕の生きる道」や「フリーター、家を買う。」などで知られる橋部敦子と共同で脚本を仕上げての挑戦だ。なによりも主演に『探偵はBARにいる』シリーズや『清須会議』などで進境著しい大泉洋を招き、自らも俳優として出演する多才ぶりを披露する。共演には柴咲コウ。芸人であることの思いを、タイムスリップという趣向を使ったストーリーのなかに焼き付けている。昭和の時代を背景に、劇団ひとりの個性が発揮された仕上がりだ。

 39歳の売れないマジシャン、晴夫は決して腕も悪くないのに、後輩にも抜かれ、マジック・バーのバーテンとして日々を送っている。もはや普通の生活を選択できる年齢を超えてしまって、毎日を鬱々と過ごしていた。
 そんなある日、彼は警察から父の死を告げられる。生まれて間もなく母に捨てられ、10年以上前から父も消えてしまった。いいことが全くない軌跡だったと、彼は惨めさに浸りながら、父が住んでいたという河川敷のバラックを訪れた瞬間、一筋の雷が彼を射抜く。 
 気がつくと、彼は40年前にタイムスリップをしていた。呆然とする晴夫だったが、ひとりの子供が彼を浅草の興行主に引き合わせる。晴夫のスプーン曲げのマジックに驚嘆した興行主は、マジシャンの夫が消えて困っていた悦子をアシスタントにつけた。彼女は実は晴夫の母だった。晴夫のマジックは昭和の人々にバカ受け。まもなく悦子の夫・正太郎が警察に拘束されていることが分かる。
 興行主は正太郎を体調の優れない悦子の代わりに晴夫のアシスタントに据えるが、面白くない正太郎は舞台で大暴れ。このハプニングから、ふたりのコンビは人気を博すようになる。若き正太郎と悦子に接し、おとなの目でふたりを見るようになった晴夫だったが、彼女が妊娠して様相が変わる。
 出産が大きなリスクを伴うことを医者から聞かされた正太郎は、芸人を辞める。悦子はどんなことがあっても出産すると決意していた。その頃、晴夫と正太郎のコンビにオーディションの話が来ていた。晴夫は生まれてくる自分に対して、父と母がどんな気持ちでいたのかを目の当たりにしていく――。

 劇団ひとりは、ビートたけしが下積みだった昭和の浅草に格別の思い入れがあったに違いない。その浅草を背景にすることで、芸人の自負、情の機微をさらりと紡いでみせる。なによりも余分な枝葉をそぎ落とし、ニヤリとさせるギャグを散りばめながら、96分という上映時間に収めたことに拍手を送りたくなる。
 冒頭、世間に負けてネガティヴな気分に落ち込んでいる晴夫をきっちりと描き出したうえで、人情てんめんたる昭和に移行する構成も活きた。昭和52年生まれの劇団ひとりだから、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズと同様に、伝聞と資料で“人との絆が密な世界=昭和”と美化したのは致し方ないところ。子供に対する父の情を浮き彫りにしながら、懸命に生きる人間の温もりを浮かび上がらせる。両親の若き日を訪ねるという意味では『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的だが、主人公が若くないので必然的にペーソスを帯びることになる。今の時代が“優しさ”を求めていることを分かった上での“ちょっといい話”。その狙いはツボにはまっている。
 なにより題名の“青天の霹靂”がいい。“霹靂”とは激しい雷鳴を指すらしいが、そこから雷に打たれてタイムスリップする発想も、いかにも劇団ひとりらしくニヤリとさせられる。タイムスリップものでは戻ると、状況が変化しているのが常だが、ここでも人を食ったオチがついてくる。

 出演者では、大泉洋が生真面目な晴夫をさらりと演じて個性を発揮している。39歳という、決して若くはない下積み男のペーソスをたたえながら、両親の気持ちを知って次第に柔らかな表情に変わっていくプロセスをストレートに表現してみせる。特訓したというマジックの手際も抜かりない。『清須会議』の、知略に長けた秀吉役もしたたかでよかったし、この北海道発の俳優はさらに個性に磨きをかけることだろう。
 もっとも、本作は劇団ひとりが演じる正太郎が実は主役なのだ。出番も多いわけではないが、正太郎の行動によってストーリーに起伏が生まれてくる。大泉と息を合わせつつ、ダメ男のペーソスを画面に焼きつける。自作自演はチャップリン好きな劇団ひとりにふさわしい。
 共演の柴咲コウをはじめ、興行主役の風間杜夫、医師役の笹野高史などベテランがさすがの演じっぷりだ。

 北野武に傾倒する劇団ひとりが今後、映画監督を続けるかどうかはこの作品の成否にかかっている。この“昭和のちょっといい話”は受け入れられるか、注目したい。ともあれ作品としては愛すべき仕上がりだ。