『チャンブラにて』はイタリア南部の現在を描いたリアルで瑞々しい成長物語。

『チャンブラにて』
1月26日(土)より、新宿武蔵野館にてロードショー
配給:武蔵野エンタテインメント株式会社
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公式サイト:http://ciambra.musashino-k.jp/

 以前に紹介した『愛と銃弾』でも感じたことだが、最近のイタリア映画は琴線に触れるものが多い。これは毎年、未公開の作品を集めたイタリア映画祭が開催されていることの功績か。力のある作品は映画祭上映から一般劇場公開という道筋も出てきた。本作も同様の経緯を経ての劇場公開となった。それも道理、本作は『愛と銃弾』と同じく、第62回ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を賑わし、同賞の監督賞と編集賞に輝いた話題作である。
 監督のジョナス・カルピニャーノはイタリア人とバルバドス出身の女性の間にニューヨークで生まれ育ったという変わり種。父方の親族が映画関係者が多いせいもあり、アメリカの大学で映像を学び、イタリアの映画産業にも関わったという。イタリア生まれの監督とは異なる、イタリアの問題を冷静に見据える視点がカルピニャーノの特質ともいえそうだ。
 本作は2015年の『地中海』(劇場未公開・映画祭上映)に次ぐ、監督第2弾。内容的に姉妹編のような関係にある。

『地中海』は、ブルキナファソの青年アイヴァがよりよい生活を夢見てイタリアに渡るが、厳しい現実が待ち受けていたという内容。舞台となるのは本作と同じイタリア・ラブリア州レッジョ・カラブリアのコムーネ(共同体を意味するイタリア地方自治体の最小単位)ジョイア・タウロで、本作の主人公ピオも顔を出していた。つまりはアイヴァからピオに焦点を変えたのが本作だ。

 ピオは14歳の少年。肌の色で差別されることはないが、ピオとその家族はロマ族であることで徹底的に差別されている。もともと流浪の民であるロマは迫害され規制され、劣悪な環境のジョイア・タウロに定住するようになった。ろくな仕事はないから盗んで売ることが当たり前になっている。家族主義で互いに護りあって生活している。
 カメラは徹底的にピオの日常を追う。なんとか大人ぶろうと背伸びする彼は兄につきまとい、難民青年アイヴァと親しくなる。イタリア人はロマを差別するが、難民はそれ以下だとピアの兄はいう。その兄は盗みで警察に捕まってしまった。
アイヴァは危なっかしいピオの面倒を見るようになるが、その絆を危うくする状況が生まれ、ピオは選択を迫られる――。

 本作はイタリアを舞台にしていながら、イタリア人は数えるほどしか画面に出てこない。登場するのはロマの稼業を監視する犯罪組織の人間と摘発する警察官くらい。ロマとアフリカ難民という、イタリア政府にとっては招かざる人々の過酷な日々が紡がれるのだから、それも当然か。
 盗み、故買が日常ながら、ロマの家族は食事を囲んで温かいひと時を過ごし、難民はネット電話でアフリカに残した家族と連絡しあう。映画は彼らの人間的な側面もきっちりと描き出す。主人公のピオは思春期の入り口にあり、純真さとロマ育ちの小狡さを併せ持ち、一端の大人になろうと努めている。その感情の揺れをジョナス・カルピニャーノはくっきりと浮かび上がらせる。
 ロマや難民はイタリア人にとってはリアルな問題だけに扱いにくい側面があるがカルピニャーノはいささかも斟酌せずにテーマを抉り出す。難民たちのヨーロッパの玄関先ともなってしまったイタリアの人々の迷惑に思う感情、あるいは存在しないかのように扱う態度もストーリーのなかに散りばめている。考えてみれば、ロマは難民が押し寄せる遥か前から差別の対象となっていたわけで、ロマであるピオと難民のアイヴァの絆は虐げられた者同士のつかのまの連帯ということになる。
 ジョナス・カルピニャーノは手持ちカメラを駆使しながらロマの生活に密着し、彼らの生活、人間としての息遣いをみごとに映像化している。ここまで生活に入り込み、冷徹に見据えることができたのも、彼がアメリカで生活してきたことが大きく影響している。人種の坩堝であるニューヨークで育ち、自らもイタリアとバルバドスの血を継ぐ存在とあれば、“どこに属するか”というアイデンティティの問題に対しては敏感であるはずだから。そして本作がイタリア、アメリカ、フランス、スウェーデンの合作であることにも納得がいく。

 本作の注目点は主人公を演じるピオ・アマートをはじめ、家族はすべて実際のアマート家の一員だということだ。またアイヴァに扮したクドゥ・セイオンもブルキナファソからの移民で、『地中海』製作時にジョナス・カルピニャーノに起用されたことから俳優になったという。あくまでも実際の人々を起用する彼の手法は戦後イタリア映画界のネオレアリズモに倣ったものなのだろう。

 製作総指揮を引き受けたマーティン・スコセッシは「感動的で美しい映画」と評した。描かれる善悪の概念などを超越したロマの生活と、ロマ家族の濃密な絆は、確かに一見の価値はある。