『孤狼の血』は東映やくざ映画の伝統を再生せんとの意気に燃えた、熱い男たちのアクション!

『孤狼の血』
5月12日(土)より、丸の内TOEIほか全国ロードショー
配給:東映
©2018「孤狼の血」製作委員会
公式サイト:http://www.korou.jp/

 かつて邦画各社はそれぞれの個性にあったプログラム・ピクチャーを量産していた。
 東映は時代劇に仁侠映画・やくざ映画、松竹はホームドラマ、東宝はゴジラにコメディの駅前シリーズ、社長シリーズ、無責任シリーズなど何でもござれ。これに日活のアクション路線、エロ・グロを辞さない新東宝と、まさに百花繚乱。
 観客の期待する面白さを安定した語り口で常に提供する、こうした分かりやすいプログラム・ピクチャーを懐かしむ声を、現在、数多く耳にする。
 この現象は映画に出かける世代の年齢が上がってきたことも一因している。映画に熱狂した団塊の世代が70歳前後となって、再び映画館を訪れるようになったのも大きい。かつてのプログラム・ピクチャーの醍醐味を満喫させてくれるような作品を待望しているのだ。
 本作はそうした待望の声に応えるかのように生まれた。ズバリ、東映の『仁義なき戦い』に代表される実録やくざ映画の復活を目指している。なにしろ原作者、柚月裕子自身が『仁義なき戦い』をみたことをきっかけに、小説を執筆したといっているのだ。いわば『仁義なき戦い』愛にみちた題材を得て、東映が全力を傾倒して映画製作にあたったという構図だ。
 深作欣二の熱い演出に匹敵する存在として抜擢されたのは白石和也。2013年の『凶悪』、2016年の『日本で一番悪い奴ら』、2017年の『彼女がその名を知らない鳥たち』と、ハードボイルドな犯罪ドラマに進境著しい監督だ。『仁義なき戦い』×警察小説と評される原作が「一番やりたいことをやれる」作品だったといい、表現を自主規制しないという意気に燃えて演出にあたったと語っている。
 脚本は『日本で一番悪い奴ら』で白石和彌と組んだ池上純哉。監督と自分たちなりのやくざ映画をつくろうとの意気に燃え、原作とは異なる展開に仕立てた。白石監督はプログラム・ピクチャーに連なる作品として仕上げたとコメントしている。
 なによりの話題は出演陣の豪華さである。役所広司を筆頭に、松坂桃李、真木よう子、音尾琢真、駿河太郎、滝藤賢一、田口トモロヲ、MEGUMI、中村獅童、竹野内豊、ピエール瀧、石橋蓮司、江口洋介などなど、個性の勝った面々がやくざや警官に扮して凄味を利かせてくれる。昔から「やくざと兵士は誰でも様になる」といわれるごとく、男優陣の迫力が画面に焼きつけられている。

 暴力団対策法が成立する前夜の昭和63年、広島県呉原では地場の暴力団“尾谷組”と、広島の巨大組織“五十子会”をバックに持つ新興組織“加古村組”が一触即発の状態にあった。そんなおり、加古村組の関連企業である金融会社社員が失踪する事件が起きる。
 呉原東署のマル暴のベテラン刑事、大上章吾は暴力団がらみの事件と踏み、配属されたばかりのエリート新人刑事、日岡秀一とともに捜査を開始する。大上はやり手の刑事として認められていたが、暴力団との癒着が取り沙汰されていた。大上は自分なりのやり方で、暴力団組員と親しく接し、事件解決の糸口をみつけようとするが、事態は暴力団同士の憎しみを加速させ、さらに警察組織の目論見が加わって、暴力団、警察を巻き込んだ血生臭い報復合戦に発展していく。大上の存在も危ういものになってしまった――。

 冒頭から、あっと驚く過激シーンが用意され、みる者を惹きこんでしまう。なるほど白石監督のいう、表現の自主規制をしないとの意思表明を最初から実感させられる。ここから一気呵成。『仁義なく戦い』でおなじみになった広島弁がここでも熱く画面に響き、とことん欲に駆られた男たちを輝かせる。登場人物のほとんどが猥雑で暴力的、思い思いの凄味で押し通す。これまでやくざ役は挑戦しなかった竹野内豊をはじめ、いずれもが火傷しそうなキャラクターを気持ちよさそうに演じている。
 もちろん、広島弁のみならず、『仁義なき戦い』へのオマージュはそこかしこ。それぞれのキャラクター設定にも影響をみることができる。まして広島県呉市を中心にオール・ロケーション敢行。昭和の風景を切りとりつつ、欲にまみれた時代を浮き彫りにしてみせる。白石和彌監督は、『日本で一番悪い奴ら』では悪徳警官の滑稽にして哀しい軌跡を痛快に描き、『彼女がその名を知らない鳥たち』では共感できない登場人物が織りなす狂気と欲望を活写してみせたが、ここでは欲と暴力でカリカチュアされたキャラクターたちの行動をインパクト十分に活写する。そのなかに抗争に歯止めをつけようとする大上刑事の奮戦ぶりを軸として、俗にまみれた大上と新米エリート日岡との葛藤、日岡の成長が紡がれる仕掛けだ。『仁義なき戦い』×警察小説という原作のイメージを継いだことから生まれたのかもしれないが、幾分、大上のキャラクターが格好良すぎて、ピカレスクとしての印象が薄い。悪徳警官の下衆さが画面からもっと漂えば、キャラクターの深みがさらに際立った気がする。もっとも、それを補って余りあるのが登場するやくざたちの迫力。規制のリミットを外し、ワルの魅力、迫力をパワフルに焼きつけている。

 出演者はいずれも個性を全開している。役所広司が海千山千の喰えない大上刑事を巧みに表現すれば、エリートらしい倫理観の日岡刑事を松坂桃李が懸命に演じる。さらにクラブのママ役の真木よう子が色香をみせれば、警察官を演じる滝藤賢一、田口トモロヲがきっちりと画面を締める。もちろん、やくざに扮した竹野内豊、石橋蓮司、江口洋介、音尾琢真。加えて右翼役のピエール瀧、新聞記者に扮した中村獅童など、いずれもが快演。常に“俳優の映画”を撮っていると言い切る白石監督の面目躍如たるところだろう。

 白石監督は『仁義なき戦い』に代表される東映プログラム・ピクチャーの意地を復興させようとの思いを抱いて挑んだとコメントしている。この作品を機に、やくざ映画が続くことを願ってやまない。