動物を題材にした作品、とりわけ、親近感のある犬を主人公に据えた作品は、理屈抜きに好感度が高い。健気に人間に仕える犬の姿が感涙を呼び、多くの人に支持される。日本映画では1983年の『南極物語』や1987年の『ハチ公物語』などが、いずれも実話の映画化ということで、大ヒットを記録した。
一方、海外の犬映画はコミカルな味付けをしたものが多く、ウォルト・ディズニー・スタジオ作品を除くと、ヒットに結びついたケースがこれまでは少なかった。どうも日本人にはシリアスでペーソスに満ちた犬映画の方が歓迎される傾向にある。
本作はシリアスななかに温かいユーモアを秘めつつ、犬たちの健気さを前面に押し出した点で、まさに最強の犬映画といえる。
テーマはずばり“絆と別れ”である。
通常、人間よりも寿命の短い犬との別れは必ず訪れる。ペットとして愛すれば愛するほど、別れの悲しみは耐えがたいものだ。ペットロスのなかでも、“ご主人様いのち”の犬との別れはいちばん強い。だが、もし彼らが転生を繰り返す存在だとすれば、悲しみは、幾分、和らぐはずだ。本作はこのアイデアのもと、転生を繰り返してさまざまな飼い主と絆を結ぶ犬の姿を描いている。
原作となるのはW・ブルース・キャメロンの小説「野良犬トビーの愛すべき転生」。アメリカで1年以上にわたってベストセラーを記録し、世界29カ国で翻訳されているこの小説は、作者のキャメロンが愛犬を亡くした恋人のために書いたもので、ペットロスを乗り越える一助とすることが目的だった。
この小説をもとに、脚本には原作者に加えて、『Muffin Top: A Love Story』の監督・脚本・主演を手がけたキャスリン・ミション、『トスカーナの休日』の原案・脚本・監督のオードリー・ウェルズ、『モンスターVSエイリアン』のマヤ・フォーブスとウォーリー・ウォロダースキーが参画。原作世界を映像として成り立たせるべく、努力を傾けた。
さらに監督に起用されたのがスウェーデン出身のラッセ・ハルストレムだったことも、作品の成功の要因だ。宇宙に飛んだライカ犬に自分の人生を重ねた少年のストーリー、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』を1985年に発表し、一躍、世界に注目されたハルストレムは、アメリカに招かれてからも、『ギルバート・グレイブ』や『サイダーハウス・ルール』、『ショコラ』、そして『HACHI約束の犬』などで、細やかに人間の機微を紡いできた。犬の映画が多いことも含めて、まさにうってつけの人選である。
犬の目線で飼い主たちを見つめる展開のため、犬の声には『美女と野獣』のジョシュ・ギャッド。さらに『エデンより彼方に』のデニス・クエイド、『ポストマン』のペギー・リプトン、『キングコング:髑髏島の巨神』のジョン・オーティスといったベテラン勢に加えて『マザーズ・デイ』のブリット・ロバートソン、ニュージーランド出身の新星K・J・アパなどのフレッシュな若手が選りすぐられた。
暑い夏の日、8歳の少年イーサンが、車に閉じ込められていたゴールデン・レトリーバーの子犬を助けたことから、子犬は家族の一員となった。犬はベイリーと名付けられ、いつもイーサンと一緒に成長していった。
イーサンは高校生になるとともに、試練が押し寄せてきた。イーサンはアメリカンフットボールのクオーターバックとして将来を嘱望され、恋人ハンナとの仲も順調だったが、母親との関係が壊れた父親は家を出ていき、さらに同級生が彼の家に花火を投げ込んだことで火事が勃発。イーサンは足に大怪我を追う。
夢に描いた未来を失い、ハンナとも別れたイーサンはベイリーを置いて農業学校に行く。残されたまま年老いたベイリーは、イーサンともっと一緒に居たかったことを悔やみつつ、この世を去る。
ベイリーは、今度はジャーマン・シェパードとして生まれ変わった。警察犬のエリーとして、警官のカルロスとチームを組み、さまざまな事件を解決した。
犬生を全うした後、今度はコーギーのティナとして生まれ変わる。孤独な女性マヤのもとで、彼女が幸せな家庭を築き上げるのを見届けた。
続いて生まれ変わったのはセント・バーナードとオーストラリアン・シェパードのミックス犬のバディだった。飼い主に捨てられてしまい、彷徨うなかで、ベイリーとしての記憶が蘇り、イーサンのことを思い出す。かつての飼い主に会いたい一心で、イーサンの暮らす農場に向かう――。
転生を繰り返すということは、その都度、飼い主との別れがあることを意味する。そのたびに、かわいい犬の死を目の当たりにして、涙、滂沱。これほど泣かせる作品はない。しかも、ゴールデン・レトリーバーにジャーマン・シェパード、コーギーにセント・バーナードとオーストラリアン・シェパードのミックスと、いずれも器量よしのつぶらな瞳、健気を絵に描いたような犬たちばかりだから、応えられない。犬たちの自然な仕草、表情に心を洗われ、グイグイと惹きこまれてしまう。ラッセ・ハルストレムは犬たちの自然な演技を引き出すために、じっくりと時間をかけたという。
もちろん、さまざまなドラマに説得力をもたせているのは、人間たちのドラマだ。1960年代から70年代にかけたベイリーの犬生のところでは、ハルストレムは未だ封建的なアメリカ農村部の時代の空気を浮き彫りにする。
決して裕福ではない家の子はスポーツで成功することが、田舎を離れる術であり、家族内の葛藤も乗り越えていかなければならない。これまでの作品同様、ハルストレムは過酷な現実もさらりと描きつつ、それでも生きていくことを称える。ベイリーが絆を結ぶ飼い主たちは最後の飼い主を除き、いずれも時代の空気のなかで懸命に生きていこうとする人々ばかり。犬が生き抜くことの縁になっているところが見る者の共感を呼ぶ仕掛けだ。
出演者はいずれも手堅い演技を披露しているが、画面では犬たちの一挙手一投足に喰われてしまっている。これだけの犬たちを揃えられてはどんな名優も太刀打ちできない。あえていえば、最大の功労者はこの犬種を選んだキャスティングディレクターであり、トレーナーということになる。
ある意味で“難病もの”よりもお涙映画であることは間違いない。ハルストレムの演出によって、気持ちよく泣ける作品だ。