『ハクソー・リッジ』は、メル・ギブソンが監督に専念した、ユニークな戦争映画大作。

『ハクソー・リッジ』
6月24日(土)より TOHO シネマズ スカラ座他にて全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
©Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016
公式サイト:http://hacksawridge.jp/

 

メル・ギブソンといえば、『マッドマックス』や『リーサル・ウェポン』シリーズが忘れ難い。アクションスターとして1980年代から2000年代にかけて高い人気を誇っていた。

なによりも、監督にも進出し、『ブレイブハート』や『パッション』、『アポカリプト』などの作品を発表。演出力のあるところを証明するとともに、脚本やプロデュースにおいても才能を披露した。実際、『ブレイブハート』はアカデミー賞10部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、撮影賞をはじめ5部門の受賞を果たしている。さらに私財をなげうって製作した『パッション』は反ユダヤ的という声をものともせずに、世界で6億1200万ドルの興行収入を上げる大ヒットを記録した。

仕事面では才能を高く評価されたギブソンだが、私生活では恋人へのDV疑惑が発覚。さらに飲酒運転で逮捕され、反ユダヤ的差別発言をしたとのスキャンダルが流れ、ギブソンは謹慎のやむなきに至る。

それでもギブソンの才能を惜しむ声が少しずつ上がりはじめ、『復讐捜査線』や『キック・オーバー』などのアクションに主演するようになる。

本作のプロデューサー、ビル・メカニックもギブソンの監督としての力量を高く評価していて、本作への参加を長期にわたって呼び掛けていた。

しかし一度目は『パッション』の製作に全力を傾けていた頃で成就しなかった。彼が参加を決意したのは2014年。地に落ちた評価を高めるために最適の企画であると同時に、宗教と戦争という題材はギブソンに格好のものであったからだ。彼にとっては2006年の『アポカリプト』以来の監督作となった。

本作の主人公デズモンド・ドスは、「汝、殺すなかれ」というキリスト教の教えを守る決意のもとで、第2次大戦という国難の助けとなるために、陸軍に入隊。厳しい訓練に耐えながらも、人を殺める訓練は断固として拒否。さまざまないじめに遭いながらも、彼は良心的兵役拒否を貫き、衛生兵として太平洋戦争に従軍。激戦地、沖縄のハクソー・リッジ(前田高地)で75人の生命を救った。なんとも驚くべき実話の映画化である。

脚本は『愛の落日』やテレビシリーズ「ザ・パシフィック」を手がけたロバート・シェンカンと、『ディバイナー 戦禍に光を求めて』のアンドリュー・ナイトがデズモンド・ドスに大きな影響を与えた父との確執を軸に、信仰を貫いた軌跡を脚本が過不足なく綴れば、ギブソンはドス自身の葛藤を軸に、周囲との軋轢に耐える姿をくっきりと浮かび上がらせてみせる。しかもクライマックスのハクソー・リッジの戦いをリアルかつスペクタクルに再現。戦争アクションとしてのクオリティもきっちりと維持している。

出演は『沈黙‐サイレンス‐』に続いて、宗教に身を捧げるキャラクターを演じたアンドリュー・ガーフィールドに『ライト/オフ』のテリーサ・パーマー。『アバター』のサム・ワーシントン、『僕が結婚を決めたワケ』のヴィンス・ヴォーン、『マトリックス』のヒューゴ・ウィーヴィングなど、個性的な顔ぶれが居並んでいる。

ギブソンの演出のみごとさ、情熱が作品に漲り、とりわけ戦闘シーンの迫力が『プライベート・ライアン』に匹敵すると絶賛され、第89回アカデミー賞においては作品・監督・主演男優・編集・録音・音響編集の6部門にノミネートされた(受賞は編集賞と録音賞)。

 

ヴァージニア州の小さな町に生まれたデズモンド・ドスは、第1次大戦で心に傷を負って酒におぼれる父親と母との諍いに悩みながら成長した。

敬虔なクリスチャンであるデズモンドは「汝、殺すなかれ」の教えを守って生きることを決意。やがて看護師のドロシーと相思相愛となった。だが、戦局は激しさを増し、人一倍、愛国心の強い彼は、衛生兵になるべく陸軍に入隊する。

厳しい訓練も厭わないデズモンドだったが、銃の訓練だけは断固として拒否した。戦争は人を殺すことだと上官から言われても、首を縦に振らないデズモンドに対して、軍は除隊を勧告。それも拒否する彼は軍法会議にかけられることになる。軍法会議でも自分の信念を曲げないデズモンドは、意外な人物の登場によって、その主張を認められる。

デズモンドは太平洋戦争の激戦地・沖縄に向かう。ともに訓練した仲間、上官とともに、切り立った崖の上にあるハクソー・リッジで日本軍との過酷な戦いがはじまる。待ち受ける日本軍の攻撃に倒れていく仲間たち。武器を持たないデズモンドが傷ついた兵士に駆け寄り、なんとか助けようとするが、戦闘はますます激しさを増していった――。

 

自ら信じることを守るためには代償が必要となる。デズモンドは陸軍の不興を買い、軍法会議にかけられる身になっても、信念を曲げなかった。一歩間違うと、非国民の誹りを受ける罪人となるのだが、それでも信仰を貫くのは容易なことではない。ギブソンはこのデズモンドの静かな戦いを、説得力を持って描き出す。

軍隊は人の殺し方を教え、戦争は人を殺しあう場であるという当たり前の事実が、デズモンドの主張によっていっそう明らかになる。この部分をきっちり描きこんだことが、クライマックスの戦闘シーンのあまりに非人間的な地獄図絵をさらに際立たせた。

それにしても戦闘シーンの圧倒的な迫力は群を抜いている。あまりの過酷さに、アメリカ軍も日本軍もただやみくもに攻撃し、倒れていく。その一部始終がくっきりと再現されているのだ。CGはできるだけ使わず、撮影現場で戦闘を再現しカメラに収める。この映画の基本をギブソンは実践している。軍事分野のスペシャリストを集めて徹底的にリサーチを課すとともに、ハクソー・リッジ(前田高地)が完璧に再現されている。本作から沖縄戦の過酷さの一端は伺うことができるだろう。

カソリックを信奉するギブソンは、信仰を貫く人間にこそヒロイズムを感じているようだ。だからデズモンドというキャラクターはまさにうってつけの題材といえる。たとえ世界を敵に回しても、己が信念で突き進む潔さ。本作では主人公は日本軍と対することになるのだが、彼ならばそれほど複雑な気分に陥ることはない。ギブソンの演出力の確かさが映像に焼きつけられている。

 

出演者ではデズモンド役のアンドリュー・ガーフィールドが個性を発揮している。細くて頼りなさそうな容姿ながら、心の裡には強い芯があるキャラクターを演じさせたらぴったりとはまる。前作『沈黙‐サイレンス‐』の宣教師同様、信念を問われるキャラクター。続いたのはたまたまだろうが、こういう過酷な試練に対するキャラクターを演じて、まことに魅力的だ。

共演者はいずれも適演で、なかでも戦争に傷ついた父親を演じるヒューゴ・ウィーヴィングの存在感が光る。本来は情愛に溢れた男ながら、戦争の恐怖にとりつかれ酒に助けを求める弱いキャラクターを巧みに演じている。

 

メル・ギブソンの監督としての力量を堪能できる仕上がり。スキャンダルのために、なぜか女性の敵のような扱いだが、1980年代に何度か取材した記憶から言えば、素顔は生真面目で一本気な男。本作で何とか復活を果たしてもらいたいと思う。これは素敵な作品だ。