1996年、躍動感のある青春映画が世界を席巻した。
ドラッグに溺れ、クラブで騒ぎ、ストリートを疾走するスコットランドの若者たちを描いた『トレインスポッティング』のことだ。
この作品には、イギー・ポップ、ルー・リード、ブライアン・イーノ、プライマル・スクリーム、ニュー・オーダー、ブラー、パルプ、アンダーワールドなどの豪華アーティストがサウンドトラックに集結。当時、新鋭監督だったダニー・ボイルがスコットランドのエジンバラで弾けた日々を送る若者たちを活写し、ユワン・マクレガー、ユエン・ブレムナー、ジョニー・リー・ミラー、ロバート・カーライルといったフレッシュな出演者の個性と相まって、たちまち1990年代のポップカルチャーの代名詞となった。
日本でも人気爆発。当時、刺激的な作品を上映することで知られていた、渋谷のシネマライズで公開され、33週間に及ぶロングランを記録している。
疾走感のある映像を生み出したボイルは、たちまちアメリカに招かれて『普通じゃない』や『ザ・ビーチ』を生み出したことも記憶に新しい。アメリカ進出はあまり成功したとは言い難かったが、2008年に手がけた『スラムドッグ$ミリオネア』が監督賞を含むアカデミー賞主要8部門を独占したことで、一気に匠と呼ばれるようになり、なんと2012年のロンドン・オリンピックでは開会式の芸術監督に選ばれた。イギリスを代表する監督というわけだ。『トレインスポッティング』における彼の“権威なんかくそくらえ!”的なストリート感覚、庶民性に惹かれていた身にとって、いささか複雑な気分に陥ったのを記憶している。
だが、ボイルは初心を忘れていなかった。21年の歳月を経て『トレインスポッティング』の世界に戻ってきた。原作者アーヴィン・ウェルシュは『トレインスポッティング』出版の10年後に続編小説を送り出しているが、21年ぶりの続編の製作なんてふつうは考えられない。いかに第1作が世界的なヒットを誇っていても、21年は長すぎる。続編というより、殆ど新作をつくる覚悟で臨まなければならないからだ。
それでも脚本のジョン・ホッジは『トレインスポッティング』のキャラクターが、20年間でどのように変わったのか(あるいは変わらなかったか)をシミュレーションして、ストーリーを構築。ボイルは第1作のリズミカルで弾けた語り口を取り戻し、音楽を存分に活かしつつ、どこまでも躍動感に満ちた映像を生み出してみせた。音楽はアンダーワールドのリック・スミスが担当し、クイーンやザ・プロディジーをはじめ、多彩なアーティストの曲を散りばめている。
なにより嬉しいのは、第1作そのままのキャスティングが実現したことだ。第1作の成功によって出演者がメジャーの道を歩むことになったのはご存知の通り。ユワン・マクレガーは『ビッグ・フィッシュ』や『ゴーストライター』などに出演し、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』からの三部作ではオビ・ワン=ケノービ役に起用されるなど、演技派スターに成長した。続いて『スノーピアサー』にも顔を出していた個性派、ユエン・ブレムナーや、現在はアメリカのテレビシリーズ「エレメンタリー ホームズ&ワトソンin NY」の主演で高い人気を誇るジョニー・リー・ミラー、さらに『フル・モンティ』や『アンジェラの灰』で知られる性格俳優ロバート・カーライルもそれぞれに地歩を築いてきたが、出世作復活の報を聞き出演を快諾したという。
スコットランド、エジンバラにマーク・レントンが戻ってきた。20年前に仲間の金を持ち逃げしてオランダで新生活を送っていたが、身体が不調を感じ故郷に戻ってきたのだ。
レントンは裏切った仲間たちを訪ねる。持ち逃げした金を渡すように手配したスパッドは相変わらずのジャンキーで、家族に愛想をつかされて絶望していた。シック・ボーイは遺産のパブを経営しながら、美人局のゆすりを生業にしていた。
唯一人、会いたくない暴力的なベグビーは服役中のはずだったが、なぜか娑婆に出ていた。彼はレントンが舞い戻ったと聞き、会ったらぶち殺すと息まいている。
レントンはシック・ボーイ、スパッドとつるんでいくなかで、20年の歳月を痛感する。ものわかりのいい大人になれずに、その日暮しをしてきた彼らの本質は変わらないが、しがらみが増えていた。それでも若い頃と同様、クズはクズ。再会した彼らはエジンバラでつかのま昔の騒ぎを思い起こす――。
第1作に比べてペーソスが漂うのは21年の歳月だ。いうなれば身体に不安を覚えたレントンが故郷の温もりを懐かしみ、里帰りするストーリーだ。第1作の最後で描かれたように、彼は仲間と山分けするはずの金を持ち逃げしてオランダで暮らしているわけで、里帰りはつまりかつての仲間たちに贖罪を行なわねばならないということだ。
だがレントンは心配していない。シック・ボーイもスパッドも一時は恨んでも、根に持つタイプではないことを知っているからだ。彼の予想そのまま、シック・ボーイもスパッドも変わらぬクズの生活をしている。
どうしようもないヤツといわれても、社会が変わっても、彼らは変わらない。変わりようがないのだ。イギリスのなかでスコットランドの置かれている状況のなかで、社会体制に与しない半端者の居場所は決まっている。だから彼らは半端者の矜持をもち、成長しないことを旨としているのだ。人間は成長しなければならないと信じていると、人生は辛く苦しいものになりかねない。スクリーンのなかの彼らが輝いているのは、いくつになっても馬鹿をやっているからだ。
嬉しかったのはダニー・ボイルの演出に原点回帰の思いがこもっていることだ。クズたちの生き方を共感込めて、格好良く浮かび上がらせている。なにより、勢いで疾走した第1作の躍動感を再現すべく、努力している。もっとも、元に戻れるわけではない。作品の内容同様、年月を経たことのペーソスは確実に反映され、ボイルの語り口ともども映像に映りこんでいる。
出演者はユワン・マクレガーを筆頭に、エン・ブレムナーやジョニー・リー・ミラー、ロバート・カーライルが嬉々としてキャラクターを演じている。こんなにいい加減で、せこいのに憎めないキャラクターはまれだ。顔がアップになるにつけ、それぞれ年齢を感じさせるのがかえって切なくていい。これほどの役はこれからも出会えるかどうか。
本作をみると、思わず21年前を振り返ってしまう。未だバブルが崩壊しきる前で、巷は賑やかだったあの頃は、もう少し若くて溌溂としていたなんて、いろいろな記憶が蘇ってくる。一見の価値はある、続編だ。