『ムーンライト』は第89回アカデミー賞作品賞、助演男優賞、脚色賞に輝いた、心に沁みる人間ドラマ。

『ムーンライト』
3月31日(金)より、TOHOシネマズシャンテ他にて全国公開
配給:ファントム・フィルム
©2016 A24 Distribution, LLC
公式サイト:http://moonlight-movie.jp/

 

  この2月日行なわれた第89回アカデミー賞授賞式は作品賞の発表のときに、封筒の置き間違いから『ラ・ラ・ランド』がぬか喜びをすることになった。このとんでもないハプニングによって、正真正銘、作品賞に選ばれた本作がかえって注目されることになった。作品をみれば受賞も納得できる。

 どちらかといえば、ミュージカルを謳いあげた『ラ・ラ・ランド』よりも、人と違うこと、人の多様性をみつめた本作の方が2016年のトレンドにあっていた。ドナルド・トランプが大統領に就任し、白人の復権、排他主義の蔓延を危惧する動きが、作品のクオリティはもちろんのことだが、本作を選ばせたのではないか。実際、助演男優賞に本作のマハーシャラ・アリ、助演女優賞に『Fences』のヴィオラ・デイヴィスがそれぞれ選ばれるなど、例年になくアフリカ系アメリカ人の受賞が本作を含めて多かったこともそこに起因している。 こう書いても本作の魅力をいささかも損なうことはない。まこと、国籍や肌の色の区別なく、万人の胸を打つ感動的な仕上がりなのだ。

 

 本作はタレル・アルヴィン・マクレイニーの戯曲「In Moonlight Black Boys Look Blue」を原案に、マクレイニー自身とバリー・ジェンキンズが脚色。ブラッド・ピットの制作会社プランBエンターテインメントにジェンキンズが脚本を持ち込んで映像化が実現した。もちろんジェンキンズがメガフォンをとることが条件だった。ジェンキンズはこれが長編劇映画2作目となるが、長編デビュー作『Medicine for Melancholy』が高い評価を受け、プランBエンターテインメントは機会を待っていたのだという。

 とはいえ、製作予算は決して高くはなく、撮影はフロリダ州マイアミのロケーションを中心に進められた。ひとりの男性がアイデンティティを求め彷徨う姿を、3つの章で紡ぎだしている。ジェンキンズのゆるぎない語り口のもと、主人公の軌跡がリアルでいながら詩的な映像が心に沁み入ってくる。

 出演は、アメリカ陸上競技単距離の選手だったトレヴァンテ・ローズ、歌手のジャネール・モネイ、ラッパーのジャハール・ジェロームに加え、『42~世界を変えた男』のアンドレ・ホーランド』、『ストレイト・アウタ・コンプトン』のアシュトン・サンダースなど、あまりなじみのない顔ぶれが並ぶ。そうしたなかで『007 スペクター』でミス・マネーペニーを演じたナオミ・ハリス、テレビシリーズ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のマハーシャラ・アリが熱演を披露している。

 

 内気な性格ゆえに“リトル”と呼ばれているシャロンはマイアミで母ポーラと二人暮らし。いつもいじめられている。いじめられっ子に追われ、廃屋に隠れていると麻薬の売人ファンと出会う。ファンはシャロンに温かく接し、恋人のテレサともども、何かと面倒を見るようになる。ファンは「自分の道は自分で決めろ。まわりに決めさせるな」と語りかける。母のポーラがドラッグ中毒であることを、ファンもシャロンも知っていた。

 16歳になったシャロンは相変わらずいじめられていた。すでに父親代わりのファンは死亡し、母ポーラはドラッグ中毒で錯乱している。頼りはテレサと親友のケヴィンだけ。地獄のような日々が続くなかで、ケヴィンへの気持ちは募っていく。ある晩、シャロンはケヴィンと初めて気持ちを確かめ合うが、翌日、残酷な出来事が待ち受けていた。

 その事件以来、大きく変わったシャロンは、アトランタで筋骨たくましい麻薬の売人となっている。故郷のことなど忘れていたが、ある晩、ケヴィンから電話を受ける。動揺したシャロンはポーラが暮らす施設を訪れた後、ケヴィンに会うため、マイアミに向かう――。

 

 近年、福島から非難した子供たちをいじめる生徒の問題が顕在化しているが、どこにでもいじめがあることは本作を見ても分かる。異種排除は古今東西、あらゆるところで常に行われてきたし、行われているのだ。主人公は内向的でおとなしい、同性愛的傾向があるがゆえにいじめられる。アフリカ系アメリカ人の子供時代は一般的に男性優位主義的傾向にあり、主人公のようなキャラクターは絶好の標的だ。

 ファンという理解者がいても状況が変わるわけではない。母親はドラッグで錯乱し、心を寄せるケヴィンにもひどい仕打ちを受ける。それでもこの主人公は大人になって、初めて自分を見つめ、希望の兆しを見出すのだ。ここに本作が世界中で支持される理由がある。

 人と違うことを意識しつつ、生きていくことは楽ではない。とりわけ“右に習う”ことを貴ぶ日本では、個性的は敬遠されがちだ。自分をふりかえってみても、いじめられもしたし、挫折や後悔も人生の折々に訪れてくる。でも生きていれば、たまには光が射すこともきっとある。ありのままの自分を受け入れること、そして人生を生き続けること。自分のアイデンティティを認める大切さを、ジェンキンズは詩的な映像で語りかけてくる。

 聞けば、ジェンキンズも主人公のような環境で育ち、同じようにドラッグ中毒の母に悩まされた(タレル・アルヴィン・マクレイニーも同様という)。荒れた公立住宅で暮らし、閉塞感に苛まれた記憶が本作では咀嚼して表現されている。監督の強い思いが映像に切なさ、悲しみ、怒りをにじませる。美しい映像の底にはエモーションが静かにたぎっているのだ。

 しかも特筆すべきは、3つの時代のシャロンを異なる俳優が演じていること。おどおどした表情の子供時代、自分の資質に気づかされる思春期、タフぶって他人をよせつけない成人期。それぞれの時代に最も印象的な演者が選ばれている。

 なによりの熱演は母親ポーラに扮したナオミ・ハリスだろうか。ドラッグに溺れ、母親であることも放棄する修羅のキャラクターをきっちりと演じ切る。アカデミー助演男優賞に輝いたマハーシャラ・アリはドラッグの売人のファンを共感度高く演じている。ある意味、アフリカ系アメリカ人の“理想の父親”イメージである。

 

 決して大作ではないが、見る者の心を揺さぶる仕上がり。自らの個性に悩んでいる人は必見である。