『ゴースト・イン・ザ・シェル』は日本発の題材を料理したアメリカ産サイバーSFアクション!

4月7日(金)より、TOHOシネマズ日本橋、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:東和ピクチャーズ
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公式サイト:http://ghostshell.jp/

 

 日本で生まれたアニメーションやコミックの卓抜したアイデアと奥行きのあるストーリー、ユニークなキャラクターは、実は世界に大きな影響を与えている。古くは、ヨーロッパの一流サッカー選手の多くがテレビシリーズ「キャプテン翼」の洗礼を受けていたし、子供時代に「マッハGoGoGo」が好きだったアメリカの映画人は意外なほど多かった。

 まして“おたく”や“マンガ”、“アニメ”が世界的な脚光を浴びるようになってからは、一気に世界各国でスタジオジブリ作品、テレビのアニメーション・シリーズの認知度が増してきた。

 こうした風潮のなかで、本作の登場となる。1986年から1995年にかけて刊行された「ヤングマガジン海賊版」に登場した士郎正宗のコミック「攻殻機動隊」を原作に、押井守の監督になる劇場用アニメーションや、神山健治監督になるテレシリーズ・アニメーションを参考にしつつ、アメリカン・エンターテインメントのヒットの法則に基づいて製作された実写映画版である。コミック自体が世界中に熱狂的ファンを擁するものであり、製作にあたってはかなり神経を使ったという。

 2008年に実写映画化権を取得したものの、実現までには紆余曲折があったと聞く。脚本はまず『フェイク シティ ある男のルール』のジェイミー・モスが手がけ、続いて『ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男』のウィリアム・ウィラーが受け継ぎ、『ブラザーズ・グリム』のアーレン・クルーガーも加わった。原作やアニメーションの持つ世界観や哲学を分かりやすく咀嚼して脚色することに難儀をしたと思われる。

 監督に起用されたのは『スノーホワイト』で長編劇映画デビューを果たしたルパート・サンダース。CMの世界から映画に進出したサンダースは劇場用アニメーション『攻殻機動隊』に惹かれていて、実写映画化を熱望していた。映像化するときに心がけたのは、比類なき原作に敬意を払い、エッセンスを抽出しながらも、実写映画ならではのオリジナリティに溢れた展開を生み出すことだった。原作やアニメをこよなく愛する“オタク”だけではなく、原作を知らなくても楽しめる作品を目指している。

 出演は『ロスト・イン・トランスレーション』や『マッチポイント』、『アベンジャー』シリーズなどで、今やアメリカ映画界を代表する女優となった感のあるスカーレット・ヨハンソンをヒロインに、テレビシリーズ「コペンハーゲン/首相の決断」で注目されたデンマーク出身のピルー・アスベック、日本からはビートたけしと桃井かおり、フランスからは『イングリッシュ・ペイシェント』のジュリエット・ビノシュ。さらに『ラストデイズ』のマイケル・ピット、シンガポール出身で『永遠の僕たち』にも出演していたチン・ハン、ロンドン出身でジャズシンガーでもあるダヌシア・サマル、オーストラリアに拠点を置く泉原豊などなど、まさにヴァラエティに富んだキャスティングとなっている。

 日本人に設定されている原作のヒロインをヨハンソンが演じることで賛否があったようだが、作品を見ると杞憂だったことが分かる。エンターテインメントとして結実した仕上がりである。

 

 近未来。電脳ネットワークが高度に発達すると同時に、身体の“義体化”が一般化した社会で、“少佐”は世界最強の捜査官と呼ばれていた。脳の一部を除いて全身が義体化されている彼女は、凶悪なサイバーテロに対峙するために設立された公安9課を率いて犯罪に立ち向かっている。

 ある日、人間の義体化を推し進めるハンカ・ロボティクス社の関係者が襲われる事件が発生した。事件を防ぐことができなかった“少佐”が進めるうち、クゼという凄腕のハッカーの存在が浮かび上がってくる。事件の真相を求めてクゼを捜索していくなかで、“少佐”は不思議なヴィジョンをみるようになる。ついに彼と対峙するが、クゼと会ったことで、自分の記憶にないことが浮かび上がってくる。

 自分の記憶が操作された偽りだとしたら、何を拠り所にすればいいのか。“少佐”は自分の記憶を取り戻すべく独自の行動に走り、自分の過去と向き合うことになる――。

 

 サンダースの語り口はとにかくヴィジュアル・インパクト重視でスピーディ。近未来の大都市のイメージが現在の香港をキッチュにアレンジした意匠なのがご愛敬ながら、ひたすら“少佐”の凄まじいアクションの綴れ織りで勝負してみせる。もちろんVFX、CGも全編に散りばめられ、近未来のチェイス、アクションを補強している。多少、語り口は荒っぽいものの、勢いと映像で押し切っている。

 本作を見て素直に思うのは原作やアニメーションが構築した世界の秀抜さ、深さだ。本作では、義体化が一般化した世界を背景に、わずかに自分自身のものと呼べるのが脳の一部しかないヒロインが、本当の自分探しをはじめるという展開に収斂している。人間とは何かという命題には深入りしない。このあたりの分かりやすさがアメリカ映画ならではだ。

 

 

 それにしても頑張っているのは“少佐”役のスカーレット・ヨハンソンだ。全身を白いタイツに包んで激しいアクションを演じ切っているのだ。もはや年齢的に決して少女体型ではなくなっているが、肉体の逞しい存在感がそのまま強いイメージに結びつけている。身体の線がここまで露になっても凛としている。さすがに女優である。

 注目すべきは公安9課の指揮を執る荒巻に扮したビートたけしのセリフだ。彼だけが日本語で話し、それに対する受け答えは英語で、彼のセリフは画面に英語字幕が出る仕掛けだ。電脳テクノロジーで言葉の壁がなくなっているという設定。

 バドー役のピルー・アスベックもいかにもキャラクターにふさわしいし、桃井かおりもふくめてキャスティングは本当に選りすぐってある。

 

 日本発のアイデアやイメージ、ストーリーや世界観がアメリカ映画のフィルターを通して、エンターテインメントに仕上がっている。話のタネに一見をお勧めしたい。