『ハドソン川の奇跡』はクリント・イーストウッドの最新作にして、今年いちばんの傑作!

『ハドソン川の奇跡』
9月24日(土)より、丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2016 Warner Bros. All Rights Reserved
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/

 

 いつも思うことながら、新作が発表されるたびに、クリント・イーストウッドと同時代を生きる幸せを実感させられる。

 今年で86歳になったはずだが、創作意欲はいささかも衰えず、作品はより深みをもって迫ってくる。前作『アメリカン・スナイパー』では戦争が人間に及ぼすものをリアルに浮き彫りにし、前々作の『ジャージー・ボーイズ』ではミュージカルへの思いを浮き彫りにしてみせた。

 さらに遡れば、『グラン・トリノ』や『ミリオンダラー・ベイビー』、『ミスティック・リバー』、『許されざる者』などなど、生み出した傑作は枚挙のいとまがない。

考えてみれば、子供の頃にテレビシリーズ「ローハイド」のロディ・イェーツで存在を知って以来、常にイーストウッドとともに生きてきた気がする。

 マカロニ・ウエスタンで話題となり、『ダーティハリー』でアメリカ映画界を席巻。『恐怖のメロディ』で監督としての力量を世に知らしめてからは、マネー・メイキング・スターの地位を維持しつつ、演出力を養っていった。『ブロンコ・ビリー』や『センチメンタル・アドベンチャー』などは、今も変わらぬ輝きを放っている。半世紀以上もアメリカ映画界の第一線で活動しているイーストウッドは、アカデミー賞では2度の監督賞と、映画業界に業績を残した映画人に贈られるアーヴィング・タルバーグ記念賞を手中に収めているが、作品のクオリティを考えれば、受賞の数はむしろ少なすぎる。

 

『アメリカン・スナイパー』から2年を経て登場した本作もまた期待を裏切らない。過不足のない語り口で、図らずも注目されることになった男の在り様、思いを浮かび上がらせる。映画は2009年1月15日、ニューヨーク・ハドソン川に旅客機を着水させたことで、155名の乗員・乗務員の生命を救ったチェスリー・サレンバーグ(通称サリー)機長に焦点を当てている。

 全エンジン停止のなかで不時着水し、全員の生命を救ったサリーの行動は、航空史上でも稀にみる偉業と称賛されるが、事故調査委員会は他の選択肢はなかったか、厳しく追及した。彼は長年の経験と実績から不時着水をとっさに選択したが、事故の模様を類推したコンピュータは空港に帰れたはずだと結論付ける。

 英雄か、乗客を危機に追いやった犯罪者か。イーストウッドは事故から事故調査委員会に至るサリーの姿をくっきりと描き出す。サリー自身が書いた原作(ジェフリー・ザスローとの共著)をもとに、『パーフェクト・ストレンジャー』のトッド・コマーニキが脚本を担当した。市井の人物の核心をつかみ取ることに長けているというのが、小説家でもあるコマーニキを起用した理由という。

 原作ではあまり語られなかった部分に本作では焦点を当てている。イーストウッドが興味を惹かれた理由はここにあった。プロとして選択したことが図らずも英雄と称えられ、一方で糾弾される。事故を冷静に対処できた人間が事故調査委員会で初めて自らの行為を反芻することになる。

 前作『アメリカン・スナイパー』でも実在の人物にスポットを当て、戦時の狙撃手としてヒーローとなった男の払った代償を浮かび上がらせたイーストウッドは、本作では突然の事故にも冷静に対処した故に、英雄と祭り上げられ、一方で資質を厳しく問われた男を過不足なく描き出す。アメリカのヒーローをモチーフにする姿勢は一貫している。

 出演は初の顔合わせとなるトム・ハンクスに『サンキュー・スモーキング』のアーロン・エッカート、『ミスティック・リバー』のローラ・リニーなど、実力派が揃っている。

 

 ニューヨークのホテルの一室、パイロットのサリーは悪夢で目覚める。自分の操縦していた旅客機がマンハッタンのビル群に追突するという、生々しい夢だ。

 2009年1月15日ニューヨーク上空で、サリーが操縦する旅客機が鳥の群れに遭遇。両エンジンが停止したため、サリーは極寒のニューヨーク、ハドソン川への不時着水を選択した。

 この判断によって、乗員155名は無事に生還することができ、マスコミはサリーを英雄ともてはやしたが、事故調査委員会はコンピュータのデータなどから空港に戻れたのではないかという疑念を抱く。もしそうであれば、サリーは乗員を危機に陥れた罪に問われることとなる。

 事故調査委員会によってニューヨークに足止めされたサリーは、妻ローリーとの電話をよりどころに、事故の模様を反芻しながら、副機長のジェフ・スカイルズとともに委員会に臨む――。

 

 イーストウッドは全編、ALEXA IMAX65mmカメラを採用。ニューヨーク市内にロケーションを敢行するとともに、救助に尽力した機関の協力のもと、事故の一部始終を大画面に完璧に再現してみせた。まずこの映像に拍手を送りたくなる。『ミリオンダラー・ベイビー』をはじめ、数々の作品で彼をサポートした撮影監督トム・スターンとのコラボレーションの妙である。

 ここで描かれるのは、経験を積み技術を誇るパイロットが選択した行動と資質だ。本人は事を乗り切るために殆ど反射的に選択し、最善の結果を得たはずだったが、コンピュータによって異を唱えられる。自分のスキルが機械の判断によって疑われる事実。このためにサリーはそれまで考えたこともなかった、飛行機にまつわる過去の記憶、さらにパイロットとしての自分の判断を心のなかで精査することになる。

 イーストウッドはこの過程を描くことでヒーローというもの、その在りようを浮き彫りにしている。未だ記憶も新しい題材で、サリー本人も協力しているとあって、悪しざまに描けないのは当然ながら、節度をもって彼の行動を紡ぎ、称えているのだ。

 イーストウッド自身、21歳の時に海軍軍用機に搭乗し、太平洋に不時着水した経験があるという。それだけに着水後の乗客・乗務員の反応、行動がリアルに反映されている。乗務員の献身的な、プロとしての行動が全員無事をもたらしたこときっちりと描き出していることも見逃せない。

 近年のイーストウッド作品と同じく、本作でも彼の死生観が映像に反映されている。サリーの行動を通して、死と生が紙一重であることが描かれるのだ。確かに年齢が増せば増すほど、人生に対して諦観が増し、偶然がいかに大きく作用しているかを痛感する。イーストウッド自身が実際にそう考えているかどうかは分からないが、少なくとも画面を通してそんな感慨にとらわれる。

 

 出演者では、俳優の持ち味を大事にするイーストウッド演出のもと、やはりハンクスの存在感がやはりすばらしい。自らを省みる寡黙なパイロットをみごとに演じ切っている。さらに気のいい副操縦士を演じるエッカート、良妻を絵にかいたような妻役のリニーも作品をきっちりと支えている。

 

 なによりもこれだけの内容を96分で描き切ったことにイーストウッドの凄さを実感させられる。文句なし、2016年いちばんの傑作だ。