さまざまな能力をもったミュータントたちが登場して、大画面いっぱいに鎬を削る“X-MEN”シリーズは、異形の者であることの哀しみと葛藤を前面に押し出した群像劇という点で、アメリカン・コミックの原作ものとしては異色の存在である。
とりわけ2011年の『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』は、プロフェッサーⅩ(チャールズ・エクゼビア)とマグニートー(エリック・レーンシャー)の若き日を描いた秀抜な仕上がりだった。X-MEN前史と実際の20世紀現代史を巧みにからめた骨太な構成で、シリーズに新たな魅力を付加してみせた。この若き日を描く展開は2014年の『X-MEN:フューチャー&パスト』に引き継がれ、そして本作に至っている。
『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』では1960年代のキューバ危機までが描かれ、『X-MEN:フューチャー&パスト』では2023年(現在)と1973年というふたつの時制が交錯するという複雑な展開。本作はその10年後、1983年が背景となる。
この時代、ミュータントは人類からますます忌み嫌われているという設定だ。
正体を隠して普通の生活を送っていたレーンシャーは善意からの行為によって妻子を殺されてしまい、人類に憎悪を募らせる。悲惨な境遇に陥った他のミュータントたちも同様で、人類との共存を図ろうとするエグゼビアたちとは別な道を歩みはじめる。こうした緊迫した状況のもとで、人類初のミュータントにして古代エジプトの神、アポカリプスが数千年の眠りから目覚めた。
アポカリプスは凄まじい超能力を誇り、間違った文明を破壊しはじめる。人類に恨みをもつミュータントから“黙示録の四騎士”を選抜。そこにはレーンシャーも含まれているという展開となる。
無知で傲慢な人間たちに牙をむくミュータント軍団と、それを阻止せんとするエクゼビアたちという図式は2000年のシリーズ第1作から変わらない。『X-MEN:ファイナル ディシジョン』から脚本に加わり、近年は『オデッセイ』や『デッドプール』の製作に参加してヒット作を連発しているサイモン・キンバーグが、『スーパーマン リターンズ』のマイケル・ドハティとダン・ハリス、本シリーズの生みの親でもあるブライアン・シンガーと組んで原案を練り上げ、キンバーグ自身が脚本化した。監督はシンガーが担当。異形に生まれついた者の哀しみを底流に、インパクト主義の演出を繰り広げる。なにせ本作では敵が神とあって、見せ場も圧巻の迫力。息を呑むようなスペクタクルが綴られていく。
出演は『つぐない』のジェームズ・マカヴォイに『悪の法則』のマイケル・ファスベンダー、『ハンガー・ゲーム』のジェニファー・ローレンス、『ウォーム・ボディーズ』のニコラス・ホルト、テレビシリーズ「ダメージ」のローズ・バーンなど、旬の若手俳優が結集したキャスティングとなっているし、本シリーズに欠くことのできない“爪のキャラクター”も顔を出す趣向も嬉しい。またアポカリプス役に『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』のオスカー・アイザックが凄まじい扮装で熱演している。
1983年、人間とミュータントとの関係は決して良好とはいえなかった。人間はミュータントを捕らえ互いに戦わせて慰み者にするなど、ミュータントを見下していた。レーンシャーは普通の人間のふりをしてポーランドで静かに暮らしていたが、工場の同僚をとっさに超能力で救ったばかりに、ミュータントと気づかれ、妻子を殺されてしまう。レーンシャーは人間に対して復讐を誓う。
同じ頃、エジプトの古代遺跡で古代神“エン・サバ・ヌール”ことアポカリプスを崇拝する一団がアポカリプスを数千年前より蘇らせる。
ミュータントを集めたエクゼビアの学園でこの地震を感知したミュータントがいた。エグゼビアはテレパスで世界終末のイメージが伝わってくる。
蘇ったアポカリプスは、テレビを通して人類の歴史を把握すると、堕落した文明を滅ぼす決意をする。彼は部下としてミュータントを四騎士に仕立てる。そのなかにはレーンシャーも含まれていた。
ミュータントたちの一連の動きを眺めて、独自の動きをしてきたミスティークはエグゼビアのもとを訪れ、アポカリプスの存在と、レーンシャーが四騎士のひとりとなったことを伝える。エクゼビアがテレパスでレーンシャーを止めようとするが、そこにアポカリプスが割り込み、エクゼビアのテレパス能力を乗っ取って世界中に念を送る。さらにエクゼビアはアポカリプスに拉致されてしまう。
ここに至ってエクゼビアのもとに集っていた若きミュータントたちはミスティークを軸にX-MENとして力を合わせ、人類滅亡を目論むアポカリプスと戦うことになる――。
いってみればX-MEN創成期の三部作、最後の作品である。シリーズをすべて見ていると、それぞれのキャラクターや設定の整合性はきっちりととれている。異形であることの怒りと悲しみをドラマの核にするシンガーの姿勢は本作でもいささかも揺るがず、ミュータントの方がよっぽど人間的だという皮肉も利いている。ただ、創成期三部作に関しては、人間に反旗を翻すレーンシャーが人類共存を謳うエクゼビア・X-MENグループの説得を聞き入れるというパターンで推移してきた。ナチスの収容所で超能力を開発されて以降、人間の暗黒面ばかりを見せつけられたレーンシャーが実はこの三部作の主役で、彼の選択がストーリーを構築しているといっても過言ではない。本作ではアポカリプスに与した彼が人類に対してどんな選択をするかというのがストーリーのキイとなる。
数多くの出演者たちが交錯するので、展開がめまぐるしいものの、シリーズをみてきた人には思わずニヤリとする趣向も散りばめられている。3D上映も念頭に入れての絵づくりのため、やたらと派手な映像の連続。ミュータントたちの超能力披露によるアクションが強烈至極なバトルシーンを生み、最後まで飽きさせることはない。
出演者はいずれも堂に入った演技をみせる。レーンシャー役のファスベンダーが悲劇を背負ったキャラクターをさらりと演じ、『マクベス』を演じたときよりも遥かに心に残る。エクゼビア役のマカヴォイは自身の線の細いイメージをキャラクターに活かした適演。ミスティーク役のローレンスは貫禄さえ漂わせる。この他、ホルトをはじめとする若手俳優たちの多彩な個性が映画の魅力となっている。
壮大な設定、クライマックスの超ド級のスペクタクルまで、見る者をとことん翻弄する。こういう派手な作品はやはり夏にふさわしい。