多民族国家アメリカ合衆国には、移民にまつわるさまざまなストーリーがある。今よりいい明日を望んで新天地を求め、厳しい現実に直面するという基本的な流れのなかに、それぞれの祖国の文化、習慣、歴史が反映されて多様なストーリーが構築される仕組み。アメリカが天国か否かは、故国の状況によって変わってくる。
本作は1950年代にアメリカに移り住んだアイルランド女性の軌跡を綴っている。1950年代のアメリカは未だ自信に溢れ、豊かさを謳歌していた時代。アイルランドの小さな町エニスコーシーからブルックリンにやってきた少女エイリシュ・レイシーがいかなる日々を送ったかが瑞々しい映像によって描かれる。
原作はコルム・トビーンが2009年に発表した同名小説。これをもとに、『ハイ・フィデリティ』や『アバウト・ア・ボーイ』の原作で知られ、近年は『17歳の肖像』や『わたしに会うまでの1600キロ』といった女性主導の脚本で才能を発揮しているニック・ホーンビィが脚色にあたっている。ひとりの少女のアイデンティティをめぐっての心の揺らぎが浮き彫りにされ、アメリカでは多くの批評家や映画ファンの支持を集めた。実際、第88回アカデミー賞では、作品、脚色、主演女優賞の3部門にノミネートされた。
メガフォンを取ったのは、演劇の世界で活動し、日本では『ダブリン上等!』や『BOY A』の監督としても知られているアイルランド出身のジョン・クローリー。あまり語られることのない20世紀半ばのアイルランド移民に興味をそそられたとコメントしているが、随所にアイルランド人の資質が、美点も欠点もふくめて描きだされている。
なによりの注目はヒロインを演じたシアーシャ・ローナンの魅力である。2007年の『つぐない』では、無垢なために過ちを犯してしまう少女を演じきり、13歳にしてアカデミー助演女優賞にノミネートされたのを皮切りに、ピーター・ジャクソンの意欲作『ラブリーボーン』、サスペンス・アクションの『ハンナ』。続いて『天使の処刑人 バイオレット&デイジー』があれば、アイルランドが誇るニール・ジョーダンのヴァンパイア・ストーリー『ビザンチウム』。ウェス・アンダーソンの『グランド・ブタペスト・ホテル』などなど、多彩な作品歴を誇っている。
これまでは、どちらかといえばひねった内容のものが多かったが、ここでは初めて等身大の女性を演じ大絶賛を浴びた。俳優としてブロードウェイのデビューを果たし、次代を担う存在として大きな期待が寄せられている。彼女はアイルランド人の両親のもと、ニューヨークで生まれ、幼少時にアイルランドに移住した。彼女の両親は1980年代にアメリカに渡り、苦労を重ねたという。そうした両親に対する思いが彼女の演技に反映している。
共演は『エクス・マキナ』のドーナル・グリーソン(アイルランドの名優ブレンダン・グリーソンの息子)、『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』のエモリー・コーエン。加えて『アイリス』のジム・ブロードベンド、『リトル・ダンサー』のジュリー・ウォルターズという名優たちが作品をきりりと引き締めている。
尊敬する姉ローズ、厳格な母とともに、アイルランドの小さな町エニスコーシーで暮らすエイリシュ・レイシーは、ろくな仕事もなく、閉塞感漂う町にうんざりしていた。そんな妹をみて、ローズはアメリカで働く機会を彼女に与えた。
内気で気持ち素直に表すのが下手なエイリシュは、ブルックリンに住む同郷のフラッド神父の紹介で、住まいを紹介され、高級デパートの売り子として働くことになる。最初はホームシックにかかり涙で暮れていたが、神父にブルックリン大学の会計士コースの受講を勧められ、次第に元気を取り戻していく。
ある日、アイルランド人のためのパーティに出かけたエイリシュに、イタリア系の青年トニーと知り合う。彼と重ねるデートによってエイリシュは次第に生きる自信をつかんでいく。だが、幸せの絶頂だったエイリシュはローズの死を知らされる。残されたのは母のみ。トニーに懇願されて結婚届けを提出し、エイリシュはすぐさま故郷に戻る。
洗練されて戻ってきたエイリシュは行く前と打って変わって、町の人から歓迎される。かつて好意を寄せていたジムも彼女の洗練された姿をみて近づいてくる。母もエイリシュが留まるのを望んでいるようで、ローズの仕事を引き継ぐように促される。故郷に居ることの安らぎ、穏やかな日常。エイリシュはトニーの待つブルックリンに戻るか、ジムとともに故郷に残るかの選択を迫られることになる――。
時代設定が1950年代ということで、新天地に憧れたものの、厳しい現実に挫折するというような展開にはならない。アイルランド系の人々はブルックリンに根を下ろし、しっかりとしたコミュニティが出来上がっていて、同郷の人間をきっちりとサポートしていたからだ。だから、ここで描かれるのはひとりの女性の選択の物語だ。新天地ニューヨーク、故郷のどちらを選択するのか。それぞれの地に好もしい男性がいて、どちらにも惹かれている自分がいる。ヒロインのエイリシュは悩みつつ、素直にひとつの答えを導き出す。決して聡明なわけでもない等身大の女性の選択に、共感する人も多いに違いない。
クローリーの演出は、ブルックリンの1950年代の風物をくっきりと再現しながら、未だ人情が残っていた都会を称え、そこで礎となったアイルランド人の魂を謳いあげる。教会の慈善の食事に集った、くたびれたアイルランド人が独唱する歌の素晴らしさ。望郷の思いが画面にふっと湧き上がってくる。
アメリカの移民のなかでも、移住の時期が遅かったアイルランド人、イタリア人は主に肉体労働に従事することになったという事実がある。エイリシュがニューヨークに上陸しながらも、マンハッタンではなく奥のブルックリンで暮らしたのは故なきことではない。恋人トニーの家族が、アイルランド人は警官が多くイタリア系を苛めるとジョークをとばすあたりも思わずニヤリとさせられる。ちなみにトニーは配管工。アイルランドもイタリア系もどちらも、当時は白人先住者の嫌がる職業に従事するか、あるいは裏社会に身を置くことで居場所をつくりだしていたのだ。
ファッション、美術の力の入れ方も特筆に値するが、とりわけ垢ぬけていくヒロインの容姿は特筆に値する。最初は内気で冴えないいでたちのエイリシュがブルックリンのデパートの売り子になり、次第にファッションやメイクに目覚めていく。演じるシアーシャが美しく変貌するにつれて、生きることの自信に満ちていくあたり。存在感のみごとさには脱帽したくなる。いつも直感と脚本にしたがって演じるという彼女は、まちがいなく本作で一皮むけた。
単なる移民の記ではなく、ひとりの女性の成長物語として収斂された作品。まことに好もしい仕上がりだ。