『神様メール』は斬新なアイデアと奇想天外なストーリーに裏打ちされたベルギー製コメディ!

『神様メール』
5月27日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:アスミック・エース
©2015 – Terra Incognita Films/Climax Films/Après le déluge/Juliette Films Caviar/ORANGE STUDIO/VOO et Be tv/RTBF/Wallimage
公式サイト:http://kamisama.asmik-ace.co.jp/

 

『神様メール』という邦題はどこ可愛らしい響きがあるが、原題はキリスト教の「旧約聖書」、「新約聖書」に続く“最新約聖書”。随分と人を喰ったタイトルではあるが、監督がベルギーの異色監督、ジャコ・ヴァン・ドルマルと聞くとなんとなく納得してしまう。

 ドルマルは、1991年に『トト・ザ・ヒーロー』で長編劇映画監督デビューして以来、これまでに本作を含めて4作しか発表していないが、『トト・ザ・ヒーロー』がカンヌ国際映画祭カメラ・ドールに輝いたのをはじめ、いずれもが大きな注目を集めている。

 それも道理で、どの作品もドルマルの秀抜な設定に裏打ちされている。第1作では老境にある男の嫉妬と羨望に満ちた回想を紡ぎつつ、妄想と現実がないまぜになっている記憶から自分の人生を取り戻すまでが、巧みな構成と抜きんでた映像感性によって構築されていた。第2作の『八日目』ではエリート・サラリーマンが出会ったダウン症の青年との旅の軌跡のなかで生き方を考え直すようになる展開。題名の“八日目”とは、神が7日間で世界をつくり、8日目になにを成したかという問いかけになっている。ここでもダウン症の青年を通して現実と妄想が等価に語られる構成だ。第1作に続いて出演したダウン症の俳優パスカル・デュケンヌは本作で、共演のダニエル・オートイユとともにカンヌ国際映画祭最優秀男優賞に輝いている。

 そして第3作の『ミスター・ノーバディ』は13年の間隔をあけた2009年に発表された。不老不死を迎えた近未来を舞台に、唯一の“死を迎える”人間となった118歳の老人が自らの過去を回想するストーリーで、彼が選択した、あるいは選択したかもしれない幾通りもの人生が描かれていく。“現実そのままをスクリーンに映し出すのではなく、人間がどのように物事を自覚・認識しているのかを考えつつ、連想や思考が自由に羽ばたく姿を描きたかった”とドルマルはコメントしている。彼は人間の思考や記憶のメカニズムの不思議さ、ユニークさに惹かれているのだ。アプローチはユニークに過ぎるかもしれないが、人間を称え、生を讃美する存在であることは間違いない。

 本作は邦題や原題からイメージできるように、神様が登場する。神様は薄汚い恰好をした中年親父で、部屋に籠り、旧式のパソコンを操作して人間たちの運命を左右している。傲慢で残酷、憐みのかけらもない神は肥った妻、そして娘と暮らしている――こんな罰当たりにして痛快な設定のもとでストーリーが構築されている。脚本はトマ・グンズィグとドルマルが担当。お互いにアイデアを出し合ってストーリーを仕上げていったというが、キリスト教の国ではかなりの勇気が必要であったと思われる。それでもカンヌ国際映画祭監督週間の出品作に選ばれ、ゴールデン・グローブ賞の外国映画部門にノミネート。さらに興行面でも、フランス、スイス、ベルギーでは公開第1週で第1位を飾ったばかりか、累計興行収入でも大ヒットを記録したという。オフビートなユーモアと作品の底流に流れる“生きることの讃歌”が評価されたに他ならない。

 出演者は『チャップリンからの贈りもの』のブノワ・ポールヴールド、『エール!』のフランソワ・ダミアン、『危険なプロット』のヨランド・モロー、『サンドラの週末』のビリ・グロインに加えて、フランスを代表する大女優カトリーヌ・ドヌーヴも人を喰った役で登場する。

 

 人間の運命をもてあそんでは悦に入っている神様に対して反感を持っている娘のエアは、神様のパソコンを使ってすべての人に余命を伝えるメールを送信する。世界がパニックに陥るなか、エアは兄のJC(イエス・キリスト)から聞いた方法で人間社会に入っていく。

 彼女の目的は使徒をみつけ、兄がやり残した福音を完成させることにあった。兄はある理由から使徒を18人にするつもりだったが、果たせなかったのだ。エアは小さな奇跡を起こしつつ、6人の使徒を選び出していく。彼女が出会った人間はいずれも風変わりで望んだような人生を送っていなかったが、彼女に出会ったことで生きがいを見いだしていく。

 一方、エアの行動を知り、激怒した神様は同じように人間社会に出るが、口の悪さ、性格の邪さが災いして、世にも悲惨な状況に追い込まれる。

 使徒を増やしたエアの行動はやがて思いもかけない大きな奇跡をもたらすことになる――。

 

 設定を納得するまでに多少時間のかかるものの、エアが人間社会に入ってからは、ユニークな設定の人間たちが次々に登場してぐいぐい惹きこまれる。彼らはエアの奇跡によって生き方を変え、新たな生きがいに目覚めていく。鳥を追って北極に至る会社員、不死身の美女に出会ってしまったスナイパー男、セックス依存症のきっかけをつくった過去の女性と出会う男、さらにゴリラと恋に落ちる主婦まで、いずれもがユニークな喜びを見いだして人生を謳歌するようになるのだ。

 ドルマルは本作でキリスト教を貶めるつもりはないと語っている。訴えたかったのはさまざまな規制に縛られてがんじがらめになるよりも、思うこと、好きなことをやって生きようというメッセージ。どんな生き方でも本人が充実しているなら認められるべきだ。称えられるべきだと訴えかけているのだ。自分の望む生き方は自分で切り拓くしかない。ドルマルの主張はあくまで真っ当である。

 それにしても人を喰ったユーモアが横溢している。神様に従っている顔をしている妻(女神)が野球を大好きだとか、地上に降りた神様が思わぬ運命に翻弄される顛末まで、思わずニヤリとさせられるギャグが続出だ。クライマックスでシャルル・トレネの「ラ・メール」が流れるなかで披露される奇跡に胸がほっこりする。

 

 ゴリラとベッドをともにするドヌーヴをはじめ、出演者はいずれも滴演。美男美女ではないが、人間味溢れるキャラクターばかり。比較的なじみの薄い俳優たちだが、抜群の存在感である。

 

 日本のような無神論者の多い国の方が、すんなりメッセージを受け止めることができるはず。見て損のない作品である。