海外から高い評価を受け、日本を代表する監督といわれるひとりに是枝裕和がいる。初監督作『幻の光』がヴェネチア国際映画祭金のオゼッラ賞を獲得して以来、世界から注目を浴びる存在となった。とりわけカンヌ国際映画祭の覚えめでたく、監督第4作の『誰も知らない』は柳楽優弥が最優秀男優賞に輝き、『そして父になる』が審査員賞を手中に収めている。前作『海街diary』が同コンペティション部門に出品されたのも記憶に新しいところだ。
本作もまた同映画祭の“ある視点”部門の出品が決まっている。どれだけ海外の人が認めてくれるか興味は尽きないが、本作は是枝監督のプライベートな思いのこもった内容となっている。2001年に是枝監督の父が亡くなり、清瀬市旭が丘団地にひとりで住む母親を訪ねたのが本作の着想のスタート。この団地で育った監督が特に思い出として焼きついているエピソードをまとめて、実際に書き上げたのが2013年のことという。
『海街diary』は季節を追って撮影していたので、本作の脚本を書き上げた時点では、スケジュールが空いていた。そこで、鉄は熱いうちに打てとばかりに、1カ月の撮影期間で本作を撮りあげたという。
実際に旭が丘団地にロケを敢行。主演に『歩いても 歩いても』でも親子を演じた阿部寛と樹木希林を据えた。阿部寛は監督とほぼ同じ世代で、監督にとって人生の折々に仕事をしたい相手なのだという。監督の思いを伝える分身のような存在なのだろう。樹木希林は最初から母親役に想定。監督は“彼女に断られたらこの作品はできない”といいきるほどで、セリフもすべて樹木希林を宛て書きしてつくりあげたという。
売れない作家で、興信所の仕事で生活の糧を得ているダメ男と、団地でひとり暮らしをする母、愛想をつかして別れた妻と息子の4人が織りなす家族の物語。成りたかった自分に成れていない男のグータラな生き様に50歳代を迎えた是枝監督の本音がこもっている。まこと、是枝監督のパーソナルな世界が映像になった趣だ。
共演は真木よう子、小林聡美、リリー・フランキー、池松壮亮、橋爪功など個性に富んだ面々が結集している。
15年前に文学賞を獲ったきり、現在は興信所に勤めているが、ギャンブル好きがたたって、良多はいつも金に困っている。団地でひとり暮らしの母、淑子のもとに金目のものを漁りに来る始末。
良多の妻だった響子は愛想を尽かして、とっくに離婚。ひとり息子の真悟を懸命に育てている。養育費も滞る良太に対していつも腹を立てている。一方の良多は未だに響子に未練たっぷり。彼女に恋人ができたことを気にして、張り込みをする始末。真悟のことも可愛くて仕方がないが、自堕落な生活を止める気はない。浮気調査の対象者に調査のことをばらし、裏金を手にしても、結局、ギャンブルに消える日々が続いていた。
真悟との月1回の面会日に、良多は息子を連れて淑子の団地に向かう。母の通帳を手にしようとの目論見だが、淑子は孫の到着に大喜び。気ままなひとり暮らしを楽しんでいる淑子にとって、良多のことだけが気がかりだった。
おりしも台風が接近するとあって、響子も淑子のもとにやってきた。外に出ることも憚られる風雨のなか、3人は一晩、泊まることになる。
よりを戻せるかと淡い期待を抱きつつ、通帳を探る良多だったが、もとより響子にその気はない。それでも淑子のつくったカレーうどんを皆で食べ、風雨のなか夜中の公園に真悟と冒険に行った良太は、心配になって後からやってきた響子とともに、つかのま、家族の気分を取り戻す。
翌日は輝くような台風一過。外に出た4人は清々しい気持ちで陽光を浴びる――。
『海街diary』の合間に本作が撮影されたことはお互いに影響し合ったことでプラスに作用したといえる。『海街diary』が是枝監督にとっては初めての原作もので、吉田秋生のコミック世界に深く潜り込んでいくアプローチに徹したのに比して、本作は監督自身の生きてきた世界を映像で構築する作業。正反対のものを同時期に手がけることで、精神のヴァランスがとれたと、監督はコメントしている。
『海街diary』は3姉妹と母の違う妹が“姉妹になる”過程が鎌倉の美しい四季の風景とともに描かれたが、本作ではゆるぎのない母の愛と、どうしようもないが愛すべき子の絆が台風をクライマックスに綴られる。日常のおかしみを紡いで出来上がっているが、本作でも映像にそこはかとなく湧き上がる情感、死生観は前作と共通。登場人物の心の動きを的確にとらえた語り口にうたれる。まさしく映像には監督の母への尽きることのない思い、両親にしてあげられなかった悔いが滲み出ている。
阿部寛演じる良多は、“なりたい大人になれなかった”ことの後悔を抱きながら、達観できない。殆ど落後者の烙印を押されているのに、作品が彼を見つめる眼差しはどこか優しいのは、是枝監督がこのどうしようもない男をどこかで人間として肯定しているからに他ならない。
金に汚いし、ギャンブル中毒だし、別れた妻に臆面もなく手を伸ばす鉄面皮でありながら憎み切れない良多。そんな良多をただ包み込み、温もりを与える母。別れた妻の響子にしても金を出さない良多に腹を立てているが、どこかで彼を嫌いになりきれない。みな“なりたい大人になれなかった”が、それでも懸命に生きていく。是枝監督は彼らの姿に優しくエールを送っているのだ。
清瀬市旭が丘団地を映像に切り取り、監督自身の母のような淑子と良多の姿をカメラの裏から見守る監督はタイムマシンでタイムスリップしたような感慨に襲われたという。『歩いても 歩いても』は監督の実母が亡くなった2008年の製作。樹木希林のなかに実母の面影をみる監督が50歳代になって、本作で母と父への気持ちを素直に表したわけか。
本作は、監督の作品のなかでもっとも監督自身の心境を反映している。年齢を重ねて、優しさも加わり、人間に対する眼差しに諦観のようなものも生まれてきた。
阿部寛、樹木希林ともに、自然なセリフと仕草でダメ男と母を演じきり、樹木希林の何気ないふるまいに団地で暮らす母のリアリティが滲み出る。そのやりとりの妙にただただ魅せられるばかりだ。阿部のダメ男もいいが、健気な響子を演じる真木よう子もいい。勝気なのに人の良さが顔を出す女性像をさらりと演じきる。さらに良太の姉役の小林聡美の喰えない感じも作品のおかしみを倍増している。
俳優たちの演技にも支えられ、是枝監督の母の映画、団地の映画はこの上なく愛おしい仕上がりとなった。これは一見をお薦めしたい作品である。