第88回アカデミー賞で監督賞、主演男優賞、撮影賞を手中に収めた話題作の登場だ。本作の不幸は、監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの前作『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』が作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を獲得していたことだろう。本作は作品賞をふくむ第88回最多の12部門にノミネーションされ、作品賞の呼び声が高かったが、さすがに2年続けてイニャリトゥ作品に与えることに躊躇したか、前述の3部門受賞に留まった。
それでもイニャリトゥは2年連続の監督賞だし、撮影監督のエマニュエル・ルベッキに至っては、2013年の『ゼロ・グラビティ』から3年連続の撮影賞。他に撮影監督はいないのかとの声も聞こえてきそうだが、それだけ有無を言わさない映像だったという証明。ルベッキは、『ゼロ・グラビティ』で宇宙を体験させてくれたのと同様に、見る者が19世紀アメリカの未開拓地に投げ出されたかのような、臨場感のある映像で勝負している。太陽光、火の光による撮影に徹底し、長回し手法を駆使することによって、スケールに富んだ世界を現出せしめた。しかも各シーンが光と影の絵画のごとく、イニャリトゥの意を汲んで圧巻の世界を構築してくれている。
なにより、主演のレオナルド・ディカプリオが念願のオスカーを手にしたことが喜ばしい限り。1993年に『ギルバート・グレイプ』で助演男優賞にノミネートされて以来、2013年に『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で主演男優賞の候補になるまで、主演男優賞ノミネートが3回。4度目の正直での受賞となった。
実際、作品を見るとディカプリオの受賞は納得がいく。本作はマイケル・バンクの小説をもとに、アメリカ北西部の極寒の未開拓地に、瀕死の状態で置き去りにされたひとりの男のサヴァイヴァルを描いているが、イニャリトゥは俳優たち、スタッフに主人公と同じ条件での撮影を課した。カナダ、アルゼンチンの極寒で手つかずの大自然のなかで、ディカプリオはマイナス5度の気温のなかで裸になって川に飛び込み、格闘シーンでは鼻の骨を折るアクシデントにも見舞われた。文字通り、キャラクターに成りきった熱演を披露している。
共演は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のトム・ハーディ。本作で助演男優賞にノミネートされたが、狡猾なキャラクターをみごとに演じきっている。ディカプリオとは『インセプション』で顔を合わせている、ここでは丁々発止の演技合戦を繰り広げる。
さらに『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のドーナル・グリーソン(アイルランドの名優ブレンダン・グリーソンの息子)に『メイズ・ランナー』のウィル・ポールター、ネイティヴ・アメリカンで本作が映画デビューとなるフォレスト・グッドラック、同じくネイティヴ・アメリカンで『レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者』(劇場未公開)などに顔を出したデュアン・ハワードなど、男臭い顔ぶれが並ぶ。
1823年、アメリカ西部ミズーリ川沿いの未開拓地を、ヘンリー隊長率いるハンターの一団が、ヒュー・グラスと息子のホークのガイドのもとで進んでいたが、先住民のアリカラ族の襲撃に遭う。グラスは生きのびたヘンリーとハンターを連れて、まず川に逃れ、その後に船を捨てて山を抜けて砦に戻るルートを提案する。
グラスと先住民との混血のホークを毛嫌いするハンター、フィッツジェラルドは川を進むルートを主張するが、ヘンリーはグラスの経験を重んじ、山沿いのルートを選ぶ。
ところがグラスがクマに襲われて瀕死の重傷を負い、担架で運ばれることになる。ヘンリーはグラスの最期を看取るように、フィッツジェラルドとグラスを慕っていたブリジャーに命じて、砦に向かう。
フィッツジェラルドは早く帰りたい気持ちからグラスを殺そうとするが、ホークに目撃され、ホークを殺す。ホークの死体を隠したフィッツジェラルドはブリジャーを脅し、瀕死の状態のグラスを置き去りにする。
グラスはホークを殺された怒り、復讐心で死の淵から蘇る。這いずることさえままならない状態にもかかわらず、燃えたぎる復讐心に支えられて、フィッツジェラルドの後を追う。だがグラスの軌跡は信じがたいような苦難の連続だった――。
イニャリトゥはセリフをできるだけ少なくして、ひたすら映像のインパクトでグラスのサヴァイヴァル劇を盛り上げる。ハンターたち、フランス人など登場する白人たちはいずれも欲に踊らされた卑しい存在として描かれているし、彼らに追い立てられる先住民の怒りも納得がいくものとなっている。アメリカが誇るフロンティア・スピリット(開拓者精神)はこの程度のものでしかないと、イニャリトゥはこの復讐のストーリーの底流で語りかけている。
もちろん、前面に押し出されているのは、グラスが体験する凄絶なサヴァイヴァルだ。グラスは肉体も満足に動かせない瀕死の状態から、怒りのアドレナリンで少しずつ回復していく。寒さを耐え忍び、敵の襲来から逃れて、300キロに及ぶ道のりを歩むのだが、イニャリトゥはその一部始終を克明に描き出す。グラスのただひたすら生きるための日々は“生きること”の哲学的命題までもはらんでいるかのようだ。イニャリトゥは、人がすべてを奪われた時、人は何になるのかを追求したかったと語っている。意匠はシンプルなサヴァイヴァル復讐劇だが、映像に惹きこまれ、翻弄されるうちに、イニャリトゥならではの深い人間洞察が浮かび上がってくる。2年連続のアカデミー監督賞受賞という理由も頷けるところだ。
ディカプリオの熱演にはただただ脱帽するばかり。ここまで身体を酷使して役にのめり込んだ経験はないに違いない。これまでのどの作品よりも、画面にいる存在感で勝負している。決して器用な俳優とは思わないが、ここまで頑張りきれたら文句のつけようはない。
同じくハーディもフィッツジェラルド役を熱く演じきる。この人はヒーローでも悪役でもさらりとこなせるところが魅力。ここでも卑しさ全開、どこまでも卑劣にただ生きのびることを本意とするキャラクターをきっちりと表現してみせる。ディカプリオもさることながら、ハーディの演技がなければ本作はここまで成功しなかった。
2時間37分の映像は濃密で画面に釘づけになるのは、必定。イニャリトゥの演出力、ルベッキの映像迫力に圧倒され、見る者は酔いしれるばかり。これはお勧めしたい。