『ブリッジ・オブ・スパイ』はトム・ハンクスの個性とスピルバーグの演出が堪能できる好編!

 
『ブリッジ・オブ・スパイ』
1月8日(金)より、スカラ座他全国ロードショー
配給:20世紀フォックス映画
©2015 DREAMWORKS II DISTRIBUTION CO., LLC and TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION.
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/bridgeofspy/

 

 近年は『戦火の馬』や『リンカーン』といったエピック・フィルムが多いスティーヴン・スピルバーグが、ひさびさにトム・ハンクスと組んで生み出した、スリリングでヒューマンなエンターテインメントである。
 ハンクスとスピルバーグが組んだ作品といえば、冒頭のノルマンディ上陸の凄まじい戦闘シーンが忘れられない『プライベート・ライアン』や、切なく哀しい詐欺師譚『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』が忘れ難い。もう1本『ターミナル』もあり、本作が4度目のコラボレーションということになる。ふたりでテレビのミニシリーズの製作総指揮を引き受けたこともあり、気の合う間柄といったところか。
 ハンクスは、近年では『ウォルト・ディズニーの約束』や『キャプテン・フィリップス』などに出演。一貫して“アメリカの良心”的なキャラクターが多い。有名人、市井の人のいかんを問わず、観客が好感のもてる資質の持ち主を一貫して演じ続けている。このハンクスの個性はどこか往年のジェームズ・スチュアートを連想させるが、スピルバーグもこの個性に惹かれていて、ことあるごとに声をかけている次第。
 本作の主人公はまさにハンクスにぴったりの役柄といえる。アメリカが大国の自信を持って東西冷戦構造の一方の盟主として君臨していた、1950年代後半から1960年代前半を背景に、デモクラシーを信じ、法を至上のものとする弁護士を演じている。共産主義を毛嫌いする人たちの非難を浴びつつソ連のスパイの裁判の弁護を引き受け、数年後にはスパイの交換にも立ち会うという稀有なキャラクターだ。まさに当時のアメリカの精神を貫いた存在だが、これが実在の人物というから驚く。
 英国の脚本家マット・チャーマンがこのキャラクターを見いだし脚本化。この脚本を『ノーカントリー』や『トゥルー・グリット』などでおなじみのジョエルとイーサンのコーエン兄弟が手を加えて、脚本を磨き上げた。
 この脚本をもとに、スピルバーグが円熟の演出を繰り広げている。時代を再現することに長けた匠とあって、まだ消費や物質文明が最良のものと信じていたアメリカ国内の雰囲気や、東西に分断されて思惑が交錯するドイツ社会の状況などをみごとに浮き彫りにしながら、この理想肌の弁護士のヒロイズムを称えてみせる。
 出演はハンクスを軸に、『インティマシー/親密』のマーク・ライアンス、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のエイミー・ライアン、『善き人のためのソナタ』のセバスチャン・コッホ、『アビエイター』のアラン・アルダ、『セッション』のオースティン・ストウェルなど、演技に自信のある顔ぶれが居並ぶ。

 1957年、ニューヨークでソ連のスパイ、ルドルフ・アベルが逮捕された。彼はアメリカ社会に溶け込み、ソ連に情報を送り続けていた。
 その裁判の国選弁護人として選ばれたのが、保険法を専門とするジェームズ・ドノヴァン。敵を助けると非難され、生命の危険にも遭いかねない状況のなか、どんな人間にも公平に裁判を受ける権利があると信じる彼は、あえて弁護を引き受ける。
 家族にも暴力が及ぶなかで、ドノヴァンは死刑を回避する判決を引き出す。
 それから5年後、アメリカ軍の偵察機U‐2がソ連上空で撃墜される事件が起き、パイロットのフランシス・ゲイリー・パワーズがソ連に逮捕される。機密漏洩を恐れたCIAはアベルとパワーズの交換を画策。東西に分断されたドイツで交換を行なうことになる。その交渉役に起用されたのはドノヴァンだった。アベルの人柄に惹かれていた彼はその任務を引き受けるが、アメリカでは予測もできない出来事に翻弄されていく――。

 冒頭のニューヨークでのスリリングなアベルの逮捕劇で掴みをとり、戦後民主主義の理想像のようなドノヴァンの軌跡に入っていくあたり、スピルバーグの緩急をつけた演出にぐいぐいと引きこまれる。アメリカのデモクラシーを信奉して弁護を引き受けたばかりに、家族にまで迫害が及ぶ。そのなかで、法廷での弁護ぶりを緊迫感たっぷりに描写する。KKKにつながるアメリカ民衆の狭量さ、偏見をきっちりと押さえて、単なるアメリカのデモクラシー讃歌にしていないのは年輪を増したスピルバーグの成熟の証だ。
 さらに、ドイツに渡ったドノヴァンの行動はスパイ小説顔負け。ソ連と東ドイツを相手に、アメリカ的な理想主義で交渉していくプロセスを、ハンクスの持ち味であるユーモアを活かしながら、巧みにサスペンスを盛り上げる。スピルバーグの演出力や語り口の巧さはいうまでもないが、当時の世界をここまでみごとに再現したことに拍手を送りたくなる。しかもCIAの謀略の描き方をふくめ、当時が現在の閉塞社会に至る分岐点となった時代であったことを浮かび上がらせる。
 冷戦下のイニシアティヴを争っていたアメリカ、ロシア両政府の傲慢な姿勢は今もいささかも変わっていないし、恐らくスパイたちも現場でコマのように扱われる立場は今と同じなのだろう。現在のようにデジタル化され、敵がみえなくなった時代と異なり、敵が明確なアナログの世界だけに、いっそう大国の横暴さも際立つ仕掛けだ。スピルバーグはあくまでエンターテインメントとして成立させながら、アメリカ政府、CIAに対する批判の姿勢はきっちり貫いている。

 出演者ではもちろん、ハンクスの魅力が全編に横溢している。良識を信じ、ストレートに行動するドノヴァンを、膨らみを持って演じている。スピルバーグは、このキャラクターが公正さや平等を信じている点で、ある意味ではハンクス自身にも似ているという。確かにハンクス以外には考えられない役柄である。
 注目はアベルを演じたマーク・ライランスだ。凄腕スパイながら容貌はあくまで目立たない、知性と感情を内に秘めた“普通”の男を、みごとな存在感で表現している。アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされても納得できるほどだ。

 最初から最後までだれるところが全くない。映画という表現の醍醐味を満喫できる、ハンクスとスピルバーグならではのおいしい世界。新春にはふさわしい逸品だ。