ピーター・ジャクソンが製作に名を連ねたことでも話題になった『第9地区』は、第82回アカデミー賞で作品賞、脚色賞を含む4部門にノミネート。受賞は逃したものの、長編監督デビューを果たしたニール・ブロムカンプの名を一躍、知らしめることになった。
容姿がエビのような異星人難民との共存を強いられた人類。スラム化する異星人を強制移住せんとするが、計画の責任者は異星人の謎の液体を浴びたために、容姿が異星人に変貌する破目に陥る――。
第1作の舞台がブロムカンプの故郷、南アフリカ・ヨハネスブルグに設定されていることでも明白なように、ブロムカンプはアパルトヘイト時代をイメージしてストーリーを構築。難民をはじめとする弱者を差別する構図を、エビ状異星人というカリカチュアした存在を軸に風刺してみせた。新人監督の長編デビュー作がアカデミーにノミネートされたのも、エンターテインメント性を維持しながら、社会的なメッセージを堂々と貫いたところにあったと思われる。
2009年の『第9地区』の成功によって、続く2013年の『エリジウム』はマット・デイモンとジュディ・フォスターを迎えての豪華な布陣となった。基本的な設定は搾取される者と搾取する者を二極化した未来世界。天空の上流社会と地上の貧民社会という構図のなかに、生きのびるためにひとりの男が天空に侵入せんとする展開だった。
ここでも現代と変わらぬ格差社会に対する強烈な風刺、閉塞感に対する反逆がスケールいっぱいに綴られ、第1作と同様にブロムカンプのメッセージ力の強さが傑出していた。コンセプトデザインに『ブレードランナー』で知られるシド・ミードが協力するなど、ヴィジュアル的にも豪華なつくり。ブロムカンプの世界観がスクリーン上にくっきりと焼き付けられていた。
そして第3弾『チャッピー』の登場である。ここでブロムカンプはヨハネスブルグに舞台を戻し、さらに痛烈な世界を構築してみせる。時代は2016年、ロボットが警察警備に採用され犯罪が押さえこまれた設定のなかで、AI(人工知能)が搭載されたロボット、チャッピーがたどる波乱万丈の軌跡が痛快に紡がれる。
『第9地区』を共同で脚色したテリ・タッチェル(私生活でもパートナー)と組んで、現代ヨハネスブルグが抱える社会問題を背景に、ロボットの成長を描いていく。ストーリーの根底から、『第9地区』に通じる、異形のものに対する差別構造の本質を問いかけるメッセージが浮かび上がってくる仕掛けだ。かつてデヴィッド・クローネンバーグが描いた“異形のものへの変異”を、ブロムカンプはブラックなユーモアと痛烈な風刺で縁取って見せる。なによりもエッジの利いたハッピーエンドには拍手したくなるほど。この天性のエンターテインメント感性には脱帽だ。
出演はブロムカンプ製作会社を立ち上げ、彼の監督作すべてに顔を出しているシャールト・コプリー。厳密にいえば、本作では顔は出していない。モーションキャプチャーでチャッピーを演じ、そのデータにチャッピーのCGが重ねられる仕組み。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで、モーションキャプチャーでゴラムに扮したアンディ・サーキスと同じく、演じた者の個性がチャッピーというキャラクターにきっちり反映されている。
共演は『スラムドッグ$ミリオネア』のデーヴ・パテル、ヨハネスブルグのラップグループ“ダイ・アントワード”のニンジャとヨーランディ。さらに『エイリアン』シリーズでおなじみのシガーニー・ウィーヴァーに『Ⅹ‐メン』シリーズのヒュー・ジャックマンも加わる。豪華にしてヴァラエティに富んだキャスティングだ。
兵器企業に勤めるディオンは自らが開発した人工知能を、バッテリーが5日しかもたないスクラップ・ロボットに秘かに搭載する。
だが、自宅に持って帰る途中、ギャングに襲われてしまう。ギャングのニンジャとヨーランディは、ディオンにロボットを起動させ、ロボットが赤ちゃんのように無垢だと知ると、チャッピーと名づけ教育し始める。
街の掟を教え、ギャングにしようとするニンジャ、母性に突き動かされて可愛がるヨーランダーのもとで、人工知能は成長していく。ディオンもチャッピーのもとを訪れては成長をたすけるが、チャッピーは自分の身体が5日しか生きられないと知ると、禁を破って人に危害を加えてしまう。
この模様がニュースになったことで、ディオンを快く思わない科学者ヴィンセントはディオンの秘密を調べ上げ、自ら開発した重武装ロボットの優位性を示すべく謀略を図る。チャッピー、ディオン、ニンジャとヨーランダーは危機に陥ってしまう――。
もはや工場をはじめ、あらゆる局面でロボットは導入されている。しかしロボットが人工知能で限りなく成長するような状況になると、人間は脅威と考えるかもしれない。ブロムカンプのモチーフとしている、異形のものに対する人間の恐れ、嫌悪が本作でも強く描き出される。
最初は乱暴なギャングにしかみえなかったニンジャとヨーランダーがチャッピーに対して情愛を注ぐ展開などは、少し類型的な気もするが、持たざる者に対する監督の共感か。差別するもの、されるものという、ブロムカンプの単純なまでの2分化がここでも分かりやすく、ストーリーのダイナミズムに結びついている。
本作での設定の面白さはロボットだけにとどまらない。人工知能の発明者ディオンがパテル演じるインド系で、対抗する科学者ヴィンセントはジャックマン演じる力の誇示に固執する白人。それをまとめ経済至上のキャリア女性社長はウィーヴァーが演じる。さらにニンジャとヨーランダーは南アフリカ人の貧乏人代表などなど、キャラクターの色分けに民族性、男女の違いなどを反映されているところも印象的だ。
ブロムカンプはストーリーをパワフルかつスピーディに紡ぐことに力を注ぐ。多少の傷は勢いで吹き飛ばしてしまう。描写はこれまでのブロムカンプ作品と同じく強烈で、レイティングのためにカットの有無が問題となったが、監督の思いは十分に伝わってくる。これは見ない手はない。
俳優たちはいずれも適演ながら、最大の功労者はチャッピー役のコプリー。作品が進行するうちに、チャッピーの動作からコプリーの容姿がほうふつとしてくる。監督の意を汲んで熱演を繰り広げているのが目に浮かぶようだ。
ロボットの成長を描くという題材は、日本のコミックやアニメーションでは珍しくもない。ブロムカンプ自身も日本からの影響を認めているが、彼の手にかかると格差にあえぐ現代を強烈に批判するテーマの素材として輝きを帯びてくる。SFファンならずとも、一見に値する作品だ。