今年2月に開催されたベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)に輝いた作品の登場だ。監督のリチャード・リンクレイターにとっては、この受賞が1995年に発表した『恋人までの距離(ディスタンス)』に続く2度目の栄誉となるが、なにより人々を驚かせたのは12年に及ぶ本作の撮影期間だった。
ドキュメンタリー映画などでは、長期間の定点観測的な撮影はそれほど珍しくもないが、フィクションではこんなに長期間にわたって撮影を敢行した例は聞いたことがない。リンクレイターの大胆な手法に目を見張るが、これは彼の試みに賛同し、協力を惜しまなかったスタッフ、キャストあればこそ。
なにより長期にわたる支援を続けたIFCフィルムズには頭が下がる。いつ完成するかも分からない作品をサポートし続けたのだ。製作総指揮に同社のCEO、ジョナサン・セリングの名があるのは当然。いかにリンクレイターが信頼されている存在であるかの証明だ。
スタッフ、キャストに撮影スケジュールが不定期であることを了承した上で参加。毎年、数日間、顔を合わせ撮影し、完成するまでは参加した誰もが沈黙を守ったという。
これほど斬新な手法でリンクレイターが挑んだのは、ひとりの少年の、6才にはじまり18才までの成長の軌跡。必然的に少年の家族の記録にもなるわけだが、題名のまま、6歳の少年からはじまって、思春期を迎え、青年になるまでが1本の映画に凝縮されている。
凄いのは主要キャストが12年間、演じ続けたことだ。主人公の少年を演じるエラー・コルトレーンを筆頭に、母親役のパトリシア・アークエット、父親役のイーサン・ホーク、姉役のローレライ・リンクレイターが年齢を重ね、容貌の変化していく様をくっきりと映像に焼き付けている。
リンクレイターの出世作でもある『恋人までの距離(ディスタンス)』からはじまった、ジェシーとセリーヌのシリーズも、考えてみれば同じような試み。1995年にはじまり、2004年の『ビフォア・サンセット』と2013年の『ビフォア・ミッドナイト』まで、ふたりの男女の、長い年月が生み出した大きな状況の変化と、それでも変わらないキャラクターを浮き彫りにした。本作はそれを1本でやりとげたと形容すればいいか。
毎年、撮り続けた成果がシーンのそこかしこに感じられる。実際の時間の流れのリアリティが画面に漲っているのだ。素直に感動させられる所以である。
テキサス州に住む6才のメイソンは、姉のサマンサ、母のオリヴィアとともに暮らしている。上昇志向の強い母は、理解のないボーイフレンドとの生活に嫌気がさし、キャリアアップのためにヒューストンの大学に通いはじめる。
ヒューストンに着いてまもなく、アラスカから父のメイソン・シニアが帰ってきた。ミュージシャンの夢を捨てきれない父は子供たちには優しいが、生活力はなかった。
母は大学の教師ビルと恋愛し、やがて結婚。ビルにもふたりの子供がいて、たちまち4人の子供は仲良しになったが、幸せは続かない。ビルはアルコール中毒で、しつけと虐待を混同している男だった。メイソンは実の父と過ごす休日が楽しみになるが、ビルとのことは告げられない。
やがて暴力に耐えられなくなった母がメイソンとサマンサを連れて家出。友人の家での生活となる。
バラク・オバマが大統領候補になったとき、メイソンは実の父とキャンペーンに参加した。父は夢を諦め、計理士の資格を取って保険会社に就職している。母は大学の教鞭に立つようになり、オースティンに引っ越した。
父は再婚し、子供ができた。母は陸軍出身のジムとつきあい、みなで暮らすようになっていた。高校生になったメイソンは写真を撮ること、そして恋に夢中になる。でも初恋はうまくは続かない。
大学に奨学金で進むことになった。パーティには全員が集まった。その頃には母はジムと別れ、サマンサも別に暮らしていた。母は家を売り、アパートでの独り暮らしを宣言した。メイソンは明日に向かって巣立つことになった――。
歳月の力は恐るべきものだ。それぞれのキャラクターの容姿の変化をみるだけで感動させられる。リンクレイターも製作をはじめたときは、少年の巣立ちというゴールを定めていたかもしれないが、最後をどのように着地させるかは具体的には決めていなかったに違いない。まるでクロニクルをつくるように、毎年、時代の雰囲気をとらえた脚本を生みだしては俳優たちに演じさせ、切り取る作業を繰り返した。映画が、時を映像に焼き付ける貌を持つとすれば、ここまで理想的なかたちでやりとげたリンクレイターはまことに恵まれていたという他はない。
展開されるストーリーはアルコール中毒や家庭内暴力という要素はあるものの、とりたてて目新しいものではない。離婚した夫婦の子供たちが遭遇する出来事が淡々と紡がれるだけだ。浮かび上がってくるのは、親のつくった環境のなかで子供は生きねばならないという当たり前の事実だ。日本も欧米並みに離婚率が高くなったのだから、こうしたケースは決して少なくないと思われる。
本作に登場する母はキャリアアップに努力する点では大いに称賛されるが、男の趣味が良くないことで、子供たちは大いに迷惑することになる。というか、ある意味で性格までもが決定づけられる。別れた父親にしても夢が捨てきれずに離婚されて、子供に対していい顔をするぐらいがせいぜい。再婚して生まれた子に初めて父親らしくふるまうという、成長しない存在だ。だが、それでも、ふたりは懸命に子供たちを愛し、日々の生活と格闘しているのだ。そう考えてみると、彼らは特殊な存在ではない。どんな親でもそれぞれに都合があり、その状況のなかで愛し、責任を持とうとしているのだ。
この作品で素直に胸が熱くなるのは、状況に翻弄されながらも、子供たちが真直ぐに成長する姿だ。彼らはおとなの都合をそのまま受け入れざるをえないが、それでも愛を持って親に接している。いくら親の愛が大きいといっても、これだけ状況が変わり続けると、グレてもおかしくはないが、少年は瑞々しい感受性と希望を持って生きることを育んでいく。だから、おとなの入り口に立った主人公をとらえたラストシーンには感動を禁じえない。2時間45分という長さの本作を“体験”してよかったと心底、思った。
出演者は12年も撮影に参加すると、もはや人生の一部に組み込まれた感がするに違いない。とりわけ少年時代から大学生になるまでの成長期を切り取られたメイソン役のコルトレーン、サマンサを演じた監督の娘ローレライにとっては、本作はそのまま人生のクロニクルだ。ふたりの圧倒的な存在感、役柄と同年齢であることのリアルな躍動感が、見る者にぐいぐいと迫ってくる。
もちろん母を演じたアークエット、父親役のホークも素敵だ。素に近いイメージで、いずれも長所も欠点もある親をくっきりと演じきってみせる。とりわけ、男で苦労しながらも努力を怠らず、自立した女性になっていくキャラクターを、アークエットはみごとに表現している。ともにリンクレイターの資質を理解した上での参加、個性を巧みに滲ませている。
今年のベストテンに入るのは確実との声もあがるほど、長尺ではあるが、深い余韻をもたらす。知が勝ったリンクレイター作品のなかでは、血肉の通った仕上がり。これは一見をお勧めしたい。