残念なことだが、差別はどんなに時代が進んでも決して無くならない。人間なら誰でも差別意識は持ち合わせているので、普段は知性や他者に対する理解、モラルで封じ込めている。だが、例えば、コロナウィルス蔓延とともにヨーロッパで起きたアジア人排斥が示すのは、ヨーロッパの先住民たる白人の潜在した差別意識の顕在化だろう。故国に入り込んできた外来者に対する不快感が、事が起きると一斉に噴き出すのだ。現代にあっても、こうした異種排除の発想は日本をはじめ各地に存在し、根強い。
本作が描くのは、1980年代後半にアメリカ南部アラバマ州で冤罪と戦った弁護士の軌跡だ。場所からも推察できるように、アフリカ系アメリカ人に対する根深い差別が根底にあり、この弁護士が北部の名門大学ハーヴァード出身のアフリカ系アメリカ人となれば苦労のほどがうかがえる。まして本作が実話の映画化と聞くと、描かれる出来事の恐ろしさに慄然とさせられる。冤罪は肌の色と悪意、無関心によって引き起こされることを目の当たりにするからだ。
原作は主人公となる弁護士自身ブライアン・スティーブンソンが著した「黒い司法 黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う」。これを監督も務めたデスティン・ダニエル・クレットンと、アンドリュー・ランハムが脚色した。
クレットンは日系アメリカ人の母親とアイルランドやスロバキアの血を引く父親の間に生まれ、サンディエゴ州立大学で英語を学んだ注目株。これまで『ショート・ターム』や『アメイジング・ジャーニー 神の小屋より』、『ガラスの城の約束』など多彩な作品を手がけ、2021年に公開予定のマーベル初のアジア系スーパーヒーロー作品『Shang-Chi and the Legend of the Ten Rings』にクレジットされている。ランハムとは『アメイジング・ジャーニー 神の小屋より』と『ガラスの城の約束』でも共同して脚本を書き上げた仲。ふたりでアメリカの恥部とでもいうべき題材を冷静かつ勢いをもった脚本に仕上げている。
出演は『クリード チャンプを継ぐ男』の主役や『ブラック・パンサー』の仇役で知られるマイケル・B・ジョーダン。ここでは理想を胸に秘め、正義を貫く若き弁護士を好もしく演じている。この作品に入れ込んでいるかはプロデュースに名を連ねていることからも分かる。
共演はレイ・チャールズの伝記映画『Ray/レイ』でアカデミー主演男優賞を受賞したジェイミー・フォックス、さらに『ルーム』でアカデミー賞主演女優賞を手にし、『キャプテン・マーベル』のヒロインを務めたブリー・ラーソンが続く。ラーソンとクレットンは『ショート・ターム』と『ガラスの城の約束』でもチームを組んだ間柄である。
加えて『マッドバウンド 哀しき友情』のロブ・モーガン、『オー、ブラザー!』のティム・ブレイク・ネルソン、『秘密と嘘』などで知られるティモシー・スポールの息子にして、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』をはじめ話題作に数多く起用されるレイフ・スポールなどなど、個性に溢れた顔ぶれが揃っている。
ハーバード・ロースクールを卒業後、ブライアン・スティーブンソンは多くの勧誘を断って、アラバマ州に向かった。エバ・アンスリーとともに、冤罪に苦しむ人々、弁護士を雇う余裕のない人々を救うのが目的だった。
刑務所で多くの死刑囚と会見し、冤罪の多さを再認識したスティーブンソンだったが、とりわけウォルター・マクミリアンのケースに驚愕する。
17歳の白人少女を惨殺した容疑で死刑を待つマクミリアンの有罪の証拠は犯罪者の証言のみ。潔白を証明する証拠はどれひとつ採用されなかった。
正義の実現に燃えるスティーブンソンは1989年に非営利団体「Equal Justice Initiative」(平等な正義イニシアチブ)を設立するが、彼の前にアラバマ州の白人社会が立ち塞がる。再審請求も拒否され、法的な根拠もアラバマでは通用しない。それでも彼は懸命に証拠を探し、マクミリアンの死刑を食い止めようとする――。
地方検事事務所があるアラバマ州モンロービルは、映画化もされたハーパー・リーが自伝的小説「アラバマ物語」を書き上げたところとして知られている。映画版ではグレゴリー・ペック扮する弁護士が懸命にアフリカ系青年を救おうとする姿が描かれ、世界的に知られた作品となった。この地の人々も記念館をつくり、作品を称えているが、その精神までは思いやろうとしていない点をクレットンは皮肉を込めて浮かび上がらせている。
アフリカ系アメリカ人に対してはろくに捜査もしないで刑務所に叩きこむ現実が、わずか30年程度前に存在した(今もあるかもしれない)。つまり「アラバマ物語」の時代となった1930年代とあまり変わりのない状況が続いていたことになる(実際「アラバマ物語」に登場する黒人青年も無罪にはならなかった)。アラバマ州の白人の大多数はアフリカ系アメリカ人に対して無関心でいることを刷り込まれているのではないかと勘繰りたくなる。知性と教育だけでは解決できない溝がアフリカ系アメリカ人との間に横たわっている気がしてならない。異人種憎悪の感情は南部の問題だけではない。世界中どの地域でも、異種排除は顕著になっている。
クレットンの語り口は極めて冷静に、スティーブンソンの活動を紡いでいく。実話故にドラマチックな盛り上がりに欠けるきらいはあるものの、事態の推移を快調に紡ぎ、あっと驚くクライマックスに至る。浮かび上がってくるのは白人中心社会の驕りと身勝手さ。その事実に憤りながらも、ふと自分の心にもそうした要素がないかと省みる。島国、単一民族という幻想のなかに、安穏としていないか。世界はどんどん変動している事実を認識して異人種も受け入れなくてはならないのだが。
出演者ではスティーブンソンに扮したマイケル・B・ジョーダンが群を抜いて好感が持てる。かつてシドニー・ポワチエがアフリカ系アメリカ人スターとして白人にも人気を博したが、B・ジョーダンは白人のみならず、アフリカ系の人々が憧れる知性も華もある。ここでの弁護士役も奥行きをもって演じ、弱さもある人間として造型している。
一方、マクミリアンを演じたジェイミー・フォックスも熱演だ。無実で収監されたことの無念さに憤りながら、アラバマで生きるアフリカ系の現実も知っている。死刑を待つ、諦めた境遇が、スティーブンソンの登場でほんの少し希望が見える。現実の厳しさに打ちのめされながら、一縷の望みを抱くキャラクターをフォックスは説得力をもって演じている。
ドナルド・トランプが大統領の現在、再び白人とアフリカ系アメリカ人の間の溝は深く広がっている。人々が“違い”を認め合う世界は望むべくもないのか。そんなことを頭に浮かべつつ、まずは一見をお薦めしたい。