最近、実話の映画化が多いのは、小説よりも奇なる出来事が現実に起こっている証明だろうか。実際、メディアは連日、想像を超えるような事件、愚かしい出来事を伝えている。組織も個人も想像力がないとしか考えられない。行動の前に、その結果にまで思い至らないのか。これだけ事件が頻発すれば、映画の題材には事欠かない。
本作もまた実話をもとにしたドラマだ。1990年代前半のアメリカ・フィギュアスケート界の話題をさらったトーニャ・ハーディングに焦点を当てている。
トーニャはアメリカで史上初めてトリプルアクセルを成功させた選手だったが、その型破りな性格、言動のために正当な評価を受けることがなく、ついにはライバルのナンシー・ケリガンの暴行襲撃事件に関与した疑いで裁判にかけられ、すべてを失う。
本作はハーディング自身、夫のジェフ・ギルーリーへのインタビューをもとに、徹底したリサーチをかけた上で脚本化している。脚本を担当したスティーヴン・ロジャースは『クーパー家の晩餐会』などで知られる存在で、たまたまスポーツ専門チャンネルESPNのドキュメンタリー番組によってハーディングへの興味を喚起させられた。メディアで語られるハーディング像がゆがめられていると感じ、リサーチをはじめたのだという。
製作も兼ねたロジャースによって起用されたのは『ラースと、その彼女』や『ミリオンダラー・アーム』、『ザ・ブリザード』など、ブラックなコメディから実話パニックまで、多彩な作品歴を誇るクレイグ・ギレスピー。監督の選考はかなり難航したようだが、ギレスピーがこの企画をシリアスとユーモアの絶妙なバランスのストーリーとしてとらえ、キャラクターたちに共感を抱いていたのが起用された条件という。
トーニャ・ハーディングを演じるのは『ターザン:REBORN』でジェーンを演じ、『スーサイド・スクワッド』ではハーレイ・クインを演じて話題となったマーゴット・ロビー。彼女は撮影4カ月前からスケートを特訓し、ハーディングの所作を身につけた。共演は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でウィンター・ソルジャーを演じたセバスチャン・スタンが夫のジェフ・ギルーリーに扮するのをはじめ、ハーディングの母親役には『JUNO/ジュノ』などで演技派女優として知られるアリソン・ジャネイ。『ブラック・スキャンダル』のジュリアンヌ・ニコルソン、『gifted/ギフテッド』で人気子役となったマッケナ・グレイスなど、魅力的なキャスティングとなっている。なお、アリソン・ジャネイは本作の熱演によりアカデミー助演女優層に輝いている。
トーニャ・ハーディングは1970年にオレゴン州ポートランドで生まれた。両親はホワイト・トラッシュ(白人のクズ)と呼ばれるような白人の貧困層だったが、母のラヴォナはウエイトレスの給料をはたいてトーニャに無理やりスケートを習わせた。母にとって、娘は貧困脱出の道具。横柄で口が悪く、暴力をふるって、娘にスケート習得を強いた。
15歳になったトーニャはジェフ・ギル―リ―と出会い、恋に落ちる。ジェフはとんだ暴力男だったが、幼い頃から、母から暴力をふるわれてきたトーニャは、暴力は自分に原因があると考える傾向があり、別れたり、よりを戻したりを繰り返す。人間関係は煩雑だったが、スケートの技術はぐんぐん上がっていった。
1990年にトーニャとジェフは結婚。翌年には全米選手権でトリプルアクセルに成功し優勝。世界選手権でも2位に食い込むが、1992年のアルベールビル冬季オリンピックではトリプルアクセルを失敗し4位に終わる。ジェフとの仲も最悪となり、離婚に踏み切る。
帰国後、スポンサーがつかずにウエイトレスで生活をつなぐトーニャの前に元コーチが現われ、もう一度オリンピックに挑戦しようと声をかける。
再度、肉体を絞り、練習に精を出すトーニャだったが、氷上にはナンシー・ケリガンという強力なライバルがいた。ジェフはケリガンに脅迫状を送るという悪友の悪だくみに加わるが、悪友は思いもよらない暴力事件を引き起こす。その事態がトーニャの立場を決定的に悪くしてしまった――。
トーニャをはじめとする登場人物が思い思いにコメントするかたちでストーリーが展開する。それぞれが出来事に対する自己主張、自己弁護を言い立てて、滑稽にしてペーソスに満ちた軌跡が浮かび上がる仕掛けだ。
それにしても登場する人間たちの愚かしさは何だろう。全員がとことん欲望に忠実で、行動がどのような結果をもたらすかということに対する想像力に欠けている。
トーニャは暴力を振るわれることが当たり前の環境で育ってきた。一方で、強烈な自己顕示欲があり、それがフィギュア・スケートの技術を向上させたともいえるのだが、アメリカのスケート協会はあまりにもトーニャに対して冷淡だった。アメリカではじめてトリプルアクセルに成功したことが証明するように、技術力が高かったにもかかわらず、彼女が優雅さや品位に欠けるという理由で評価は低かった。ホワイト・トラッシュとして生まれたことはトーニャのせいではないが、そのことで差別されている。アメリカは自由なように見えて、アフリカ系に限らず、歴然と階級があり格差があることを、本作は証明している。
確かにトーニャと周囲の人間たちは品位に欠け、本能に従っている印象を受ける。ただ作品の進行とともに明らかになるのは彼らが感情に忠実で人間的に生きていること。ジェフがトーニャにふるう暴力は愛情の反映で、彼自身もそうした環境で育ったことを示唆している。
本作はあまりに考えなしの人々による、笑うしかない騒動の顛末を綴りながら、アメリカが差別社会であること浮き彫りにしているのだ。クレイグ・ギレスピーは欲望に正直な登場人物を活写しながら、鋭い風刺を秘めた人間喜劇に仕上げている。単なるスポーツ実録作品に終わらせず、トーニャという女性の愚かしくも健気な生き方を称えている。
彼女がナンシー・ケリガン事件に加担したか否かはここでは追求しない。事件のおかげで、彼女が唯一、誇れるスケート世界から追放されることを描き、彼女が女子ボクシングのヒールとして活動するシーンで幕を引く。ここに至って、どこまでも懸命に生き抜く人間的なトーニャに拍手を送りたくなる。まことトーニャをはじめとする登場人物は私たちのカリカチュアであるのだ。
トーニャ役のマーゴット・ロビーの熱演には拍手を送りたくなる。みごとなスケート技術に下品な所作まで、トーニャらしさを全開。ジェフ役のセバスチャン・スタンとともにホワイト・トラッシュ的雰囲気を充満させる。かてて加えて母親役のアリソン・ジャネイのしたたかな演じっぷり。ずるくて横柄なキャラクターを存在感たっぷりに表現してみせる。アカデミー賞受賞も頷けるところだ。
さらに時代を活写するために流れる楽曲がいい。ノーマン・グリーンバウムの「スピリット・イン・ザ・スカイ」やシカゴの「長い夜」、フリートウッド・マックの「チェイン」、ハートの「バラクーダ」などなど、懐かしいメロディが興趣を盛り上げている。
フィギュア・スケート選手としてのトーニャ・ハーディングを、知っている人にも知らない人にもお勧め。哀しくおかしいコメディ、注目されたい。