『BPM ビート・パー・ミニット』は不寛容な社会に抗った若者たちの痛切なヒューマンドラマ。

『BPM ビート・パー・ミニット』
3月24日(土)より ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショー
配給:ファントム・フィルム
© Céline Nieszawer
公式サイト:http://bpm-movie.jp/

 

第70回カンヌ国際映画祭でグランプリと国際批評家連盟賞を受賞したのをはじめ、各国の映画祭で多くの賞に輝いた作品である。

無理解と不寛容な時代に対して、過激なほどの抗議活動で戦う若者たちが誠実に映像化され、なによりも過酷な現実に直面せざるを得ない若者の怒りと恐怖、孤独がくっきりと浮き彫りにされている。

映画は1990年代初頭のフランス・パリを舞台に、HIV感染者、エイズの理解と救済を求めて抗議活動を行なった活動団体“ACT UP -Paris”に焦点を当てる。エイズは1981年に初めて症例報告がなされて以降、爆発的な勢いで世界中に拡大した。感染者にゲイや麻薬常習者が多かったために、世界中で感染者に対する偏見、差別が広まることとなった。“ACT UP”はエイズを無視する政府や製薬会社に激しく抗議するべく1987年にアメリカで結成された。その積極的な行動はメディアの認識を是正し、セクシュアル・マイノリティの権利運動に発展していった。

監督のロバン・カンピヨは当時“ACT UP -Paris”のメンバーであり、自らの体験をもとに俳優でもあるフィリップ・マンジョとともに脚本に仕上げた。監督自身はフィクションだとコメントしているが、当時のパリの雰囲気、メンバーたちの行動や思いがリアルに生々しく映像化されている。キャラクターの造形は俳優に合わせて作り上げたものにせよ、スクリーンに宿った彼らの感情はまぎれもなくカンピヨの体験の反映だ。

この団体のメンバーたちは、当時は不治の病といわれたエイズやHIV感染という絶望の淵に立たされながら、懸命に運命に抗い、限りある生命を充実したものにしようとする。その姿を、カンピヨはヴィヴィッドに映像に焼きつけている。

カンピヨはキャスティングにじっくりと時間をかけた。有名無名を問わず、キャラクターにもっとも適した俳優本位に選び出したという。起用されたのは『肉体の森』(劇場未公開)のナウエル・ペレーズ・ビスカヤート、日本公開作はないが個性に溢れるアルノー・ヴェロワ、『午後8時の訪問者』や『ブルーム・オブ・イエスタディ』などで進境著しいアデル・エネル。さらにアントワン・ライナルツなど、フレッシュな顔ぶれとなっている。この若手俳優たちのアンサンブルが最大の見ものだ。

 

1990年代初頭のパリ。HIVとエイズは若い世代に大きな広がりをみせていた。ゲイと麻薬中毒者の感染者が多かったために、偏見と差別が助長され、政府も製薬業界も本腰を入れた対策を打ち出そうとはしなかった。

“ACT UP -Paris”はそうした状況に抗議すべく活動をしていた。感染者、感染者を家族に持つ人々、社会に対する問題意識を持つ者たちが集まり、議論を戦わせ、抗議活動を繰り広げる。偏見と差別に立ち向かい、デモ行進や啓蒙活動に力を注ぐ彼らは、疑似家族の様相を呈していた。

HIV陰性ながら“ACT UP -Paris”に参加したナタンは積極的に運動に参加していたが、カリスマの雰囲気をもつショーンに惹かれていく。ショーンは自らがHIV陽性であることもあって過激な示威行動を提唱し、実行していた。

内向的なナタンはショーンに対する気持ちを秘めていたが、ある出来事を契機にふたりの距離が一挙に縮まる。お互いが生きていることを謳歌するように求めあい、愛し合う。だが、ショーンをむしばむ病魔は着実に進行していた――。

 

HIV、エイズは突然に蔓延し、世界中を恐怖に陥れた。本作に描かれる時代は未だ治療法の先が見えない時期。“ACT UP -Paris”は懸命に製薬会社に治療薬の開発を促し、政府に理解を求めるが、一向に事態は好転しない。この状況下に、知識の欠如から感染したとはいえ、不条理に死と向き合わざるを得なくなった彼らの絶望はいかほどであったろう。カンピヨは“ACT UP -Paris”のメンバーひとりひとりを浮き彫りにしながら、彼らの憤懣、生の渇望、理解と反発、愛を画面に焼きつける。

過激な行動を主張するショーンは、16歳のときの初めての行為で感染してしまった。無知と片づけるにはあまりに残酷な運命。心のなかは絶望に打ちひしがれながらも、運命に立ち向かい、限りある生命を謳歌しようとする姿は切なく、みる者の感情を大きく揺さぶる。カンピヨはナタンとショーンの愛を克明に綴っていく。ふたりのラブシーンも官能的で、生命力に満ち、説得力に富む。情熱と哀しみが画面に横溢しているのだ。

華やかなデモ行進やクラブで踊りまくるひと時に、病をつかの間忘れて、生きている実感に浸る。カンピヨはキャラクターに寄り添い、彼らの痛切な心情をくっきりと描き出す。ふだんはあまり実感することのない、生きていることの幸福について考えてしまった。カンピヨの力感に溢れた演出に拍手である。

 

出演者もみごとに役になりきっている。とりわけショーンを演じたナウエル・ペレーズ・ビスカヤートの華やかさに秘めた哀愁。彼を見つめるナタン役のアルノー・ヴェロワの無垢さ、一途さに心惹かれる。ふたりが美しい愛のかたちを活き活きと表現している。

 

HIVが蔓延する過酷な時代を再現し、奥行きのある人間ドラマに仕上げたロバン・カンピヨがすばらしい。今後に注目したくなる逸材だ。一見に値する作品と断言したい。