『15時17分、パリ行き』は、待望のクリント・イーストウッド最新監督作!

『15時17分、パリ行き』
3月1日(木)より、丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC
公式サイト:1517toparis.jp

 

クリント・イーストウッドの新作に触れるたび、彼と同時代に生きている喜びを噛みしめる。1930年生まれ、今年で88歳になるイーストウッドが、旺盛な創作意欲でコンスタントに作品を生み出していることに、素直に脱帽したくなる。彼の生み出した作品の数々はいずれも豊かな輝きを持っているからだ。

前作『ハドソン川の奇跡』から2年を経て登場した本作もまた期待を裏切らない。いや、これまでの作品を超えるチャレンジを課している。

近年、実話の映画化を続けているイーストウッドは実話の現実のキャラクターをそのままスクリーンに登場させ、自分自身を演じさせるという試みを行なっているのだ。2015年8月21日、アムステルダム発パリ行き高速列車タリス内で起きた、アラブ過激派のテロ事件。本作はこれを未然に防いだ3人のアメリカ人青年の軌跡を浮き彫りにしている。

しかも登場人物ばかりか、高速列車タリスでロケーションを敢行。3人をふくめ、事件に遭遇した人々が参加し、事件を再構築してみせた。

映画は見せかけだが本作は見せかけが少ないと、イーストウッドはコメントする。列車内で再現された映像はニュース映像に近い生々しさを放ち、それこそがイーストウッドの狙いであったのだ。列車内ということで、時間的制約、空間的制約がつきまとったが、イーストウッドはそれを楽しむかのように撮影を続けたという。こうしたチャレンジを自らに課すことがさらなる創作意欲をかきたてる。ここにも映画を愛するイーストウッドの真髄をみた気がする。

本作では、3人のアメリカ青年の事件にまきこまれるまでの軌跡を綴っている。スペンサー・ストーン、アレク・スカトロス、アンソニー・サドラーがいかなる少年時代を送り、同じような境遇のもとで友情を育んだかが、まずじっくりと紡がれる。サクラメントの労働者階級の子供たちであり、スペンサーとアレクはシングルマザーに育てられたという共通項の3人の、何も秀でたことのない少年時代、理想の職場を目指しながら挫折したエピソードがさらりと紡がれる。

そのままではおよそ映画になることもなかった平凡な3人が、テロ事件で立ち向かう行動をとったことで、図らずも脚光を浴びることになる。事件に遭遇したのも運なら、その後の行動もとっさの判断。いわば市井の人と同じ感覚の持ち主、平凡な青年たちがひとつの行動を選んだことで大きく人生が変わる。人生とはそうしたものだと、イーストウッドが語りかけているようだ。まさしくイーストウッドの人生に対する達観した眼差しが、映像に焼きつけられている。

スペンサー・ストーン、アレク・スカトロス、アンソニー・サドラーがジャーナリストのジェフリー・E・スターンとともに書いた、「The 15:17 to Paris: The True Story of a Terrorist, a Train, and Three American Soldiers」を原作に、『ハドソン川の奇跡』のスタッフのひとりだったドロシー・ブリスカルが脚色。3人のキャラクターを細やかに浮かび上がらせている。

スペンサー・ストーン、アレク・スカトロス、アンソニー・サドラーが青年期の自身を演じ、ウィリアム・ジェニングス、ブライス・ガイザー、ポール=ミケル・ウィリアムズがそれぞれの子供時代を演じる。イーストウッド演出の巧みさで、3人は自然体、のびやかな演じっぷりを披露している。

 

スペンサー・ストーンとアレク・スカトロスは互いにシングルマザーに育てられたこともあり、幼い頃より親友同士。本人たちに悪気はないが、落ち着きがなく、学校からの呼び出しが何度もあった。母親たちはシングルマザーのせいで子供が素行が悪くなったと思われたくなかったが、子供たちはのめりこむものもなく、落ちこぼれの扱いを受ける。

ふたりが中学になるとアンソニー・サドラーが仲間となるが、状況は変わらない。学校をはじめ、周囲の理解を得られないまま、さして目立つこともなく、青年期をむかえることになる。

2015年、パイロットを目指しながら挫折したスペンサーは空軍に入りポルトガルに駐在していた。彼はアフガニスタンから引き上げようとしていたアレクと合流して、ヨーロッパ旅行をするつもりで、カリフォルニア州立大学に通うアンソニーも誘った。スペンサーとアンソニーはローマで落ち合い、先にドイツに行っていたアレクとオランダで待ち合わせることになる。3人は8月21日にパリ行きの高速列車タリスに乗車。まもなくテロ事件に遭遇する――。

 

普通なら、クライマックスは緊張感が高くかなり煽った演出になるのだが、イーストウッドはあえて抑え、とことんリアルに一部始終を再現してみせる。これまで3人の若者たちが過ごしてきた日常と変わらず、淡々と事件を描き出す。あえてこうした手法を使ったのは、事件に遭遇したことも、冴えない日々も、全てが人生の連関だといいたいかのようだ。俯瞰してみればそれぞれが人生の一コマに過ぎない。

本作は、前作の『ハドソン川の奇跡』と同じように、ごくごく普通の人間が危機に直面したときにとる思いがけぬ行動に惹かれたと、イーストウッドは応えている。ここに登場する3人も深く考えもせずに、行動に移す。ある意味で、彼らの行動は運命だったともいえる。87歳のイーストウッドの人生に対する諦観をみた思いがした。

実際に走行している狭い列車内での撮影、しかも時間の制約を受けるために、本作はデジタルでの撮影を余儀なくされた。イーストウッドは撮影を任せている盟友、トム・スターンと楽しみながらのゲリラ撮影を楽しんだという。3人にとっては本作で自分自身を演じたことも、事件に遭遇したこと以上に画期的なことだったはずだ。人生のなかでは、殆どの出来事はよく吟味することなく過ぎ去っていく。こうして自分たちの人生を再構築された3人はこれからどんな道を歩むのだろうか。

 

これからイーストウッドはどれだけの作品を生みだしてくれるのだろうか。その数が1本でも多いことを祈りつつ、イーストウッドの長寿を願い、本作を推薦したい。見る価値は十分以上ある。