『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』はジャズの巨星の空白期を描いた、風変わりな音楽ドラマ。

『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』
12月23日(金・祝)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
© 2016 – Sony Pictures Classics
公式サイト:http://www.miles-ahead.jp/

 

 今年は奇しくも、年末にジャズミュージシャンの人生を描いた作品が2本、登場した。しかもいずれもトランペッターなのだから、偶然にしてはできすぎている。

 片やウエストコースト・ジャズシーンで人気を博した白人プレイヤー、チェット・ベイカーの軌跡を描いた『ブルーに生まれついて』。演じたイーサン・ホークの成りきりぶりが話題を呼んでいる。

 そして本作である。描くのは題名の通り、“ジャズの帝王”と呼ばれ、クール・ジャズからハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど、時代に応じて様々なスタイルを実践し、ジャズを牽引したマイルス・デイヴィス。絶え間なく進化を続けたデイヴィスの人生を映像化するのはこれが初となる。

 手がけたのは『ホテル・ルワンダ』でアカデミー主演男優賞にノミネートされたドン・チードル。デイヴィスのファンを自認する彼はスタンダードな伝記映画にしないことを前提に遺族の承認を取り付け、制作に乗り出した。

 半世紀にも及ぶデイヴィスのキャリアを過不足なく綴るのは不可能に近い。チードルはあえて彼の空白期に焦点を当て、自由な発想でデイヴィスのキャラクター、音楽性を浮かび上がらせようと試みた。『フィーリング・ミネソタ』のスティーヴン・ベーグルマンを共同脚本家にして、ストーリーを練りこんでいった。イメージしたのはボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』だったというから、ひねりのあるストーリーであることは分かるだろう。

 ここに登場するのは1975年に音楽活動を休止、腰痛に悩み、ドラッグとアルコールに依存しているデイヴィスだ。彼は取材に訪れたローリング・ストーン誌の記者と名乗る男とともに、図らずも未発表のマスターテープの争奪戦を演じることになる。そんなクライム・アクション風の出来事が実際に起きたとは思えないが、チードルはあくまでデイヴィスのアグレッシヴでエネルギーに溢れたキャラクターを浮き彫りにするために、このようなストーリーにしたのだという。冒頭、デイヴィスのインタビューのシーンから滑り出して、虚実入り混じった構成である。

 クラウド・ファンディングで製作資金を募って製作にこぎつけたチードルが初の劇場用映画の監督を務め、主演も兼ねるのは当然の成り行き。彼のチャレンジを称えるべく、実力派の俳優たちが馳せ参じている。『トレインスポッティング』や『ゴーストライター』などで知られるユアン・マクレガー、『スティーブジョブズ』のマイケル・スタールバーグ、『ストレイト・アウタ・コンプトン』のキース・スタンフィールド、『不吉な招待状』(シッチェス映画祭最優秀作品賞受賞作ながら劇場未公開、Netflixで配信)のエマヤツイ・コーリナルディなど、ヴァラエティに富んだ顔ぶれだ。

 

 自宅に引きこもり、苦々しい過去を振り払うかのようにアルコールとドラッグに溺れる日々を送っていたデイヴィスのもとに、ローリング・ストーン誌の記者だと名乗るデイヴ・ブレイデンが訪ねてくる。

 デイヴィスに殴り倒されたブレイデンはとっさにコロムビア・レコードに頼まれたと嘘をつき、彼をコロムビア本社まで連れていくことになる。

 本社でひと悶着の後に金をせしめたデイヴィスに、音楽プロデューサーのハーパーが若手トランペッターのジュニアを紹介するが、デイヴィスは歯牙にもかけない。彼の混乱した頭にあるのは、フランシス・テイラーのこと。1950年代に知り合い、1960年に結婚し、やがて破綻した彼女との記憶が、喪失感をもたらし、体調の方にも影響していた。

 ブレイデンはデイヴィスにドラッグを渡すことで、彼の自宅に入り込むことに成功するが、デイヴィスの関知しない間に時ならぬパーティが開かれていた。地下のスタジオに避難したデイヴィスとブレイデンはつかのま、心を通わせるが、パーティのさなかに、ジュニアを連れたハーパーがデイヴィスの未発表マスターテープを盗み出した。

 その事実を知ったデイヴィスはジュニアが演奏するジャズクラブに乗り込み、ハーパーに迫る。そのテープには何が収録されているのか。デイヴィスは音楽の情熱を取り戻すことができるのか――。

 

 ここに登場するデイヴィスは傲慢で気まぐれ、人づきあいの悪い男。なんとか記事にしたいブレイデンのあの手この手の懐柔作戦で少しづつ心を許すという展開になる。ふたりの掛け合いにユーモアを織り込みながら、チードルはあくまでエンターテインメントとして成立させようとする。あまりデイヴィスのことを知らない若い世代にもアピールするようにとの算段だ。

 ストーリーはテープの奪還を軸にしつつ、デイヴィスの回想が随時、織り込まれる。その回想には若きデイヴィスが警官に殴られ逮捕された事実や、フランシスとの愛の修羅が紡がれる。これらはいずれも事実に基づいたものという。さらに登場する若きトランペッターはかつてデイヴィス自身がジュニアと呼ばれていたことから、音楽に一途だった頃の彼自身の象徴ともみてとれる。

 もちろん、ジャズを牽引した巨星のストーリーである限り、挿入される音楽のすばらしさは群を抜いている。日本でも人気の高いジャズピアニスト、ロバート・グラスパーが音楽を担当。作品の随所に、デイヴィスの演奏になる「ソー・ホワット」をふくむ名曲の数々が流れる。その音色、演奏には深い感銘を覚える。

 さらにライヴ・シーンにはハービー・ハンコックやウェイン・ショーターなどデイヴィスと共演したベテランに加え、デイヴィスの魂を継いだと評判のゲイリー・クラークjr.、グラミー賞に輝くエスペランサ・スポルディング、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で音楽を担当したドラマーのアントニオ・サンチェスが参加。躍動感に溢れた演奏を繰り広げているのも嬉しい限りだ。

 

 俳優としてのチードルはデイヴィスの演奏ぶりをとことん研究し、微妙な所作を巧みに表現している。決して顔が似ているとは思えないが、ストーリーの進行につれて、本物らしくみえてくるから不思議だ。傲慢さのかげに繊細な神経をもった天才の姿をくっきりと映像に焼きつけている。

 デイヴ・ブレイデン役のユワン・マクレガーがしたたかな記者をユーモアを交えて演じれば、ハーパー役のマイケル・スタールバーグは喰えない辣腕プロデューサーを存在感たっぷりにみせる。ジュニア役のキース・スタンフィールドのハングリーな情熱もいいが、なんといってもフランシス役のエマヤツイ・コーリナルディの美貌が際立つ。

 

 万人向きの作品とはいわないが、ジャズが好きでマイルス・デイヴィスを知っているならお勧めだ。こういうユニークな作品を正月に見るのもいい。