『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』はヒーローの競演が嬉しいアクション大作!

『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』
3月25日(金)より、3D/2D/IMAX 全国一斉公開
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2016 WARNER BROS. ENTERTAINMENTINC.,RATPAC-DUNEENTERTAINMENT LLC AND RATPAC ENTERTAINMENT, LLC
公式サイト:http://www.batmanvssuperman.jp

 

 アメリカン・コミックの2大ブランドといえば、マーヴェル・コミックスにDCコミックス。マーヴェルが映画製作に参入しヒット作を連発しているが、DCもいよいよ本腰を入れて戦略を立ててきた。

 これまでのDCヒーローは、クリストファー・リーヴ主演、リチャード・ドナー監督による『スーパーマン』を筆頭に、ティム・バートン版の『バットマン』、クリストファー・ノーラン版の“バットマン”3部作など、傑作も数多かったが、それぞれのキャラクターの認知度の高さゆえに、あくまでも個のヒーローのストーリーで終始してきた。

 だが、ヒーローそれぞれの作品をつくりつつ、『アベンジャーズ』で一堂に介させるマーヴェルの戦略に触発されたか。本作でついに2大ヒーローが対決する仕儀となった。

 製作者によれば、スーパーマンのストーリーを再起動させた2013年の『マン・オブ・スティール』に本作の伏線がさりげなく秘められていたという。製作総指揮・原案のクリストファー・ノーランと脚本のデヴィッド・S・ゴイヤー、監督のザック・スナイダーの深謀遠慮には感心させられる。さらに本作では脚本に『アルゴ』のクリス・テリオが参画、バットマンとスーパーマンの反目、それぞれの葛藤に力点が置かれている。さらに副題の“ジャスティスの誕生”もきっちりとストーリーに組み込まれ、思わぬヒロインも登場する。

“ヴィジュアル命”の監督スナイダーにとっては、2大ヒーローが競い合うように暴れまくる展開は望むところ。インパクトのある見せ場を惜しげもなくつないで、最後の最後まで映像の迫力で押しまくる。スナイダーは『300<スリーハンドレッド>』の原作者にして『シン・シティ』で映画にも進出したフランク・ミラーに傾倒しているようで、本作もミラーの書いたグラフィックノベル「バットマン:ダークナイト・リターンズ」に影響を受けているという。前作で陰影のあるスーパーマン像を浮かび上がらせたスナイダーが、本作では意固地に悪を憎むバットマンの視点からスーパーマンを描きだし、彼らの対決が人間対非人間という図式のなかで必然であることを紡いでいく。画力のあるスナイダーの世界に惹きこまれ、最後まで予断を許さない仕上がりとなっている。

 出演は、ヘンリー・カヴィルのスーパーマン、エイミー・アダムスのロイス・レイン、ケヴィン・コスナーとダイアン・レインのケント夫妻は前作に引き続き登場。バットマンには『アルゴ』のベン・アフレック、悪の総帥レックス・ルーサーには『ソーシャル・ネットワーク』のジェシー・アイゼンバーグと豪華な布陣が加わり、『戦慄の絆』のジェレミー・アイアンズ、『ピアノ・レッスン』のホリー・ハンターといった名優陣、『ワイルド・スピード  MAX』などで注目されたイスラエル出身のガル・ガドットが重要なキャラクターで出演している。圧巻の特撮にも負けないパワフルなキャスティングである。

 

 スーパーマンがゾット将軍との戦いをメトロポリスで繰り広げたとき、人類は救われたが、建物が破壊されたことによって犠牲になった人間もいた。瓦礫になったビルを目の当たりにしたバットマンことブルース・ウェインは、スーパーマンの並はずれた力を憎悪するようになる。

 スーパーマンは人類の正義のために戦い続けるが、その力ゆえに破壊は避けられず、人類のなかでも非難する声が上がり始めた。

 ウェインはバットマンとなって悪を駆逐してきたが、スーパーマンの方も恐怖で悪を制するバットマンのやり方が好きになれない。互いに正義を貫く目的は同じながら、互いに嫌悪しあうようになる。ウェインにとっては、スーパーマンが得体のしれないこと、なにより人間ではないことが嫌悪の源だった。ウェインはその意固地さゆえにスーパーマンを倒すことを決意する。

 こうしたふたりの反目を巧みに利用し、両者の対決を誘導しているのが大富豪のレックス・ルーサーだった。彼は両者の戦いを演出するばかりか、凄まじい怪物を世に送り出す。スーパーマン、バットマンの戦いからはじまった地球存亡の危機は、驚くべきキャラクターの参加とともに、新たな局面を迎える――。

 

 冒頭、メトロポリスの大破壊の前で、なす術を知らないウェインの視点からはじまって、ストーリーは力の行使にともなう弊害というテーマに進んでいく。ビルを破壊しても敵をやっつけるスーパーマンの行為は、いかに正義のためとはいえ、何も知らずに被害に遭った人間にとっては正当化できないものだ。一方のバットマンも財力にものをいわせて兵器をつくり、悪を駆逐するという大義名分のもとで力を行使している。両者が同じ目的にあるとはいえ、嫌悪感を抱きあうのは無理からぬところだ。またレックス・ルーサーの行為は、正義と悪のベクトルが違うだけで本質としてはウェインと変わらない――。まこと本作の力の行使についての考察はアメリカという国自体の問題でもあるのだ。

 さらにスーパーマン、ウェイン、ルーサーの現在の行動は父親の影響のもとにあることを描いていく。スーパーマンは育ててくれたジョナサン・ケントのことばを金科玉条のもととし、ウェインは暴漢に射殺された父を救えなかった悔いが悪を駆逐する源泉となっている。またルーサーは父の虐待により歪んだ嗜好の持ち主となってしまった。アメリカ映画の王道の父と子の葛藤が本作のストーリーの底流を流れているのだ。

 スナイダーはこうしたテーマをあくまでもヴィジュアル・インパクト満点の映像で綴っていく。コミックを凌駕するような突き抜けた映像が次々と用意され、その疾走する語り口によって画面に釘づけになる。あまりに盛り沢山過ぎて、説明の足りない部分もなくはないが、“ジャスティス・リーグ”に導かれる伏線もきっちりと描かれているし、まずはその手際をほめたくなる。

 

 出演者では、アフレックがヒーローの人間としての欠点をさりげなく演じれば、カヴィルもスーパーマンが板についてきた。ガドットのきりりとしたスーパーヒロインぶりも嬉しいし、アイゼンバーグのハイテンションの怪演ぶりも特筆に値する。

 

 本作の場合、細かい説明はしないほうが、驚きが増していい。リアルなテーマを内包しながら、アクションで貫いた超大作。春にふさわしい注目作だ。