『リリーのすべて』は深い感動を覚える、本当の意味でのラヴストーリー!

『リリーのすべて』
3月18日(金)より、TOHOシネマズスカラ座/みゆき座ほか全国ロードショー
配給:東宝東和
©2015 Universal Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:http://lili-movie.jp/

 

 第88回アカデミー賞において、主演男優、助演女優、美術、衣装デザインの4部門にノミネートされ、スウェーデン出身の実力派、アリシア・ヴィキャンデル(ヴィカンダーと表記されることもある)が助演女優賞に輝いた作品の登場である。
『英国王のスピーチ』でアカデミー監督賞に輝き、続く『レ・ミゼラブル』では大ヒットミュージカルをみごとにスクリーンに焼き付けたトム・フーパーが、『博士と彼女のセオリー』でアカデミー主演男優賞を手中に収めたエディ・レッドメインと組んだ本作は、世界で初めて性別適合手術を受けたリリー・エルベの実話に基づいている。
 フーパーが本作の脚本を読んだとき、現実の自分と理想の自分との間にある壁をいかに乗り越えるかというテーマが、過去に手がけた『英国王のスピーチ』と共通していることに気づいたという。原作はデヴィッド・エバーショフの実話小説「世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語」。舞台で注目すべき戯曲を数々手がけ、映画では『ラフマニノフ ある愛の調べ』などを手がけたルシンダ・コクソンが脚色。心に触れる愛の物語に仕上げた。
 フーパーは、主人公を演じるのはレッドメインしか考えられないと『レ・ミゼラブル』の撮影中に脚本を手渡したという。レッドメインはトランスジェンダーのコミュニティで取材し、真のアイデンティティを獲得することの意味を理解した上で、役に入り込んでいった。その熱演ぶりはアカデミー賞ノミネーションによって証明されている。まこと、レッドメインしか表現できないキャラクターではある。
 主人公の妻に扮してアカデミー賞に輝いたヴィキャンデルは、スウェーデンの出身。マッツ・ミケルセンと共演した『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』や『コードネームU.N.C.L.E』など、多彩な作品歴を誇る女優で本作では秀でた演技力をいかんなく発揮してみせる。
 さらに共演陣も『パフューム ある人殺しの物語』のベン・ウィショー、『善き人のためのソナタ』のセバスチャン・コッホ、『ラム・ダイアリー』のアンバー・ハード、『君と歩く世界』のマティアス・スーナールツなど、個性に富んだ俳優が起用されている。
 製作したのは『宇宙人ポール』から『裏切りのサーカス』、『レ・ミゼラブル』、『ラッシュ プライドと友情』、『博士と彼女のセオリー』まで、気になるイギリス映画を次々と送り出しているワーキング・タイトル・フィルムズ。題材がセンセーショナルであるにもかかわらず、保守的なアカデミー協会も無視できなかった。今から90年近くも前、トランスジェンダーということばも確立されていない時代に、真の自分を求めて手術を選択するに至るリリーと、リリーを見守り、サポートした妻ゲルダの軌跡が繊細かつ美しく紡ぎだす。完璧な時代考証を施した映像が心に沁みる作品である。

 1926年、デンマークのコペンハーゲンで暮らすアイナー・ヴェイナーは、風景画家として評価されていた。やはり画家の妻のゲルダは肖像画を専門として、互いに愛し合い、慈しみ合い、触発し合う関係だった。
 変化は突然にやってくる。ゲルダがアイナーにバレエダンサーの肖像画のモデルの代役を頼んだことからだった。ストッキングとサテンの靴、チュチュに触れたとき、アイナーは内側に潜んでいた女性としての性を意識するようになる。
 ゲルダは最初、アイナーの変化を面白がり、女装することに協力。アイナーをリリーと名づけて外出し、さらには舞踏会にも出席する。しかし、アイナーにとってはその行動はゲルダの考えるような“遊び”ではなかった。舞踏会で出会った男ヘンリクにキスを迫られ動揺するものの、もはやアイナーに戻ることはできなかった。
 ゲルダは激しく動揺する。アイナーがモデルとなったゲルダの肖像画が高く評価されたことで、パリに移住したゲルダとリリー(アイナー)。ゲルダはアイナーの幼馴染の画商ハンスに協力を求めるが、リリーはアイナーとしての過去と決別していた。やがて、真剣に女性にとして生きようとするリリーに対して、ゲルダは深い理解を持ってサポートする。
人間として、支え合う同士としてリリーを助けるゲルダ。ハンスに女として惹かれつつ、ゲルダはリリーの性別適合手術を見守ることになる――。

 映画は男性であることに違和感を覚え、女性になることを選んだ先駆者リリーの人生を紡ぐが、見る側は次第にリリーを見守るしかないゲルダの心情に惹きつけられていく。
 芸術家同士、互いの作品に敬意を払いつつ高め合う関係が、それぞれの精神の開放にまで至ったとき、ゲルダとリリーの結婚関係は成立しなくなる哀しさ。成熟した女性で夫を肉体的にも愛しているゲルダは、夫を深く愛しているからこそ、夫でなくなることを容認しなければならなくなる。
 人間として考えれば、自分のアイデンティティに正直にリリーになってしまう選択は必然かもしれないが、パートナーとしては、そんなに簡単に片づけられる問題ではない。このあたりの情の機微を、コクソンの踏み込んだ脚本のもと、フーパーの演出がていねいに映像に焼き付けている。
 自分のアイデンティティに忠実に生きる、ありのままに生きることが理想ながら、そのための代償は決して小さくない。本人の努力もさることながら、周囲の人間たちもまた代償を支払わなければならない。本作は、リリーとゲルダという特殊な例をあげて、結婚はどれだけの関係の変化が許されるのかを問いかける。誰でも一歩足を踏み出せば、決して元に戻ることはできない。リリーとゲルダの軌跡から人間の絆の在り様を問いかける。本作はまことに普遍的なテーマを描いているのだ。
 撮影のダニー・コーエン、プロダクション・デザインのイヴ・スチュアート、衣装デザインのパコ・デルガドはいずれも『レ・ミゼラブル』などのフーパー作品でおなじみ。フーパーの意を汲んで、20世紀初めの雰囲気を映像に再現している。

 出演者ではレッドメインとヴィキャンデルが圧倒的だ。主人公が優しげな青年から女性そのものに変貌していくプロセスは、まことレッドメインでしか表現できない。細やかな神経の持ち主で、ガラス細工のように傷つきやすく、一途な強さも併せ持つキャラクターに、容姿の美しさと演技力でなりきってしまう。『博士と彼女のセオリー』のホーキング教授といい、この役といい、際立ったキャラクターに挑んで普遍的な感動をもたらす点では若手屈指の俳優といいたくなる。
 ヴィキャンデルもすばらしい。夫の行動を最初は面白がり、次に動揺し、悩んだ末に深い理解に至るキャラクターを共感度高く演じきっている。これまでも多彩なキャラクターを演じてきたが、フーパーの指導よろしきを得て、ここでは心の機微を説得力のある演技で浮かび上がらせてくれる。この切なく、人間味豊かなキャラクターをここまで印象的にみせてくれれば文句のつけようがない。アカデミー受賞も当然である。

 性別違和の主人公にした、どこまでもゆるぎない愛の物語。この夫婦愛はまこと一見の価値はある。注目である。