『わたしに会うまでの1600キロ』は砂漠や荒野を歩くことで人生をリセットした女性の実話。

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『わたしに会うまでの1600キロ』
8月28日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:20世紀フォックス
©2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/1600kilo/

 

“事実は小説より奇なり”ということばもあるが、コピーに“実話の映画化”というフレーズが書かれた作品は“現実に起こったこと”としての興味からか、より注目度が高い。このフレーズで絵空事ではないという認識が生まれ、キャラクターたちにもリアリティが生まれてくる。一方で、実話だけに、事実を無視しておもしろおかしく潤色することは憚られる。人を惹きつける作品として成立させるためには、題材に対する誠実さを持ちつつ事実を魅力的なストーリーに仕立てる知恵が求められる。
 本作はシェリル・ストレイドが書いた同名ノンフィクションの映画化。自暴自棄になっていた女性が人生をリセットしようと、アメリカ三大長距離自然歩道――西海岸のメキシコ国境からカナダ国境にいたる1600キロのパシフィック・クレスト・トレイル――を走破した体験が記されている。まったくの初心者で、トレーニングも受けたことのない彼女が遭遇する困難の数々が、過去の記憶とともに綴られて、アメリカではベストセラーとなった。
 このノンフィクションに魅了されたのが、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でアカデミー主演女優賞に輝いたリース・ウィザースプーンだ。アカデミー受賞後は意欲的に作品を選びつつも、今ひとつ“当たり” がなかった彼女が、この本に感動して自ら立ち上げた製作会社で映画化を決意。製作にも名を連ねた。
 脚本は、イギリス出身で『ハイ・フィデリティ』や『アバウト・ア・ボーイ』の原作者であり、『17歳の肖像』でみごとな脚色の手腕をみせたニック・ホーンビィ。常に個性的なキャラクターの心のうちを細やかに紡ぎだす彼が、ここでもひとりの女性の行動に褒められた深い心の傷を鮮やかに浮かび上がらせる。
 監督に起用されたのは『ダラス・バイヤーズ・クラブ』の誠実な演出でマシュー・マコノヒーにアカデミー主演男優賞をもたらしたジャン=マルク・ヴァレ。カナダ・モントリオール生まれのこの監督は、過去に『ヴィクトリア女王 世紀の愛』や『カフェ・フロール』などを生み出し、繊細に機微を紡ぎだす才の持ち主として知られている。なにより、俳優の資質を映像に引き出すことに長けていて、ウィザースプーンが白羽の矢を立てたのも頷けるところだ。
 全編、ほぼウィザースプーンのひとり舞台だが、ヒロインの母親役に『ワイルド・アット・ハート』や『ランブリング・ローズ』で注目され、『ジュラシック・パーク』で知られるローラ・ダーン。さらに『ジョン・ウィック』のトーマス・サドスキー、『ブラックブック』のミキール・ハウスマン、『200本のたばこ』のギャビー・ホフマンなどが名を連ねている。

 アメリカ西海岸を南北に貫く1600キロの自然道、パシフィック・クレスト・トレイルをシェリル・ストレイドが単独走破に挑戦している。
 それまで長い距離を歩いたこともない彼女が生半可に道具を揃えてスタートしたため、荷物は肩に食い込み、初日から音をあげてしまう。おまけに携帯コンロの燃料を間違えたために、野宿の毎日でも温かい食事もとれない。砂漠、山、荒野の自然道には足りないものを買うことができる店はほとんどない。
 それでも彼女は踏破するために歩き続ける。ひとりで歩いていると、過去の記憶がさまざま蘇ってくる。なによりも母のことがまざまざと浮かんでくる。子育てを済ませると娘と同じ大学に通い始めた母のことを、ストレイドはいささか気恥しく冷たく当たったりもした。
 親切な人々との出会いによって、無謀とも思われた彼女の挑戦は続いていた。優しい夫だったポールのことが頭をよぎる。誠実に愛してくれた彼に対して、ストレイドは浮気とドラッグに溺れることで傷つけてしまった。しかし、彼女がそうした行動に駆り立てたものは何だったのか。歩き続けることで彼女は人生をリセットしようとしているが、彼女が自暴自棄になったのは何が原因だったのか。ストレイドはひとりで歩くなかで、苛酷な記憶に立ち向かい、新たな希望を見いだしていく――。

 自分の人生に失望して、リセットしたいと思う局面は、誰の人生でも一度くらいはある。もちろん、ゲームのように真っ白にリセットできるわけではない。それまでの生き方を反芻し、反省した上で、より希望の持てる道に進もうとするだけなのだが、そのためにひとつの試練を自らに課すことで決意を確固たるものにしようとする。ストレイドの場合は厳しい自然道の踏破とういことで、どことなくお遍路や聖地巡礼の趣である。
 大自然に苦闘しながら、内省的に自分と向き合い、記憶を受け入れていく。母に対する複雑な思いと溢れるばかりの情愛、親しい人間に彼女が与えた苦痛、自己愛。それらをありのままに受け止められるようになったとき、彼女の心に希望が生まれてくる。
 ホーンズビィの脚本は、彼女の歩む動機が次第に明らかにされるミステリーとして紡いでいる。折々に浮かび来る記憶とも闘いながら彼女は歩み続け、日々の体験とともに光明を見いだしていく。人生は苛酷なものだが、決して捨てたものでははないことを本作は謳いあげているのだ。
 ヴァレの演出は決して大上段に振りかぶらず、ヴィジュアル・インパクトに富んだ大自然を活かしながら、ひとりの女性の心の動きをくっきりと浮き彫りにする。凄まじい大冒険ではないが、日々の試練に悪戦苦闘しながら次第に逞しさを身につけていくヒロインを魅力的に描き出している。ヒロインをふくめ、登場するキャラクターひとりひとりに神経が行き届き、それぞれの心情を映像にさりげなく焼き付ける。『ダラス・バイヤーズ・クラブ』と並び、ヴァレの演出には脱帽したくなる。

 出演者ではもちろん、ウィザースプーンの頑張りが際立っている。実際に40キロの荷物を背負った撮影を耐え抜き、ひとりの等身大の女性の心の移ろいをみごとに表現してみせる。体当たりで女性の生理を演じきりつつ、どこか爽やかさも失わないあたりはウィザースプーンならではだ。母に扮したダーンも素敵だ。子供をこよなく愛し、娘のことばに傷つきながらも優しく受け入れる母親を極めてナチュラルに演じている。

 受賞は叶わなかったが、本作でウィザースプーンが第87回アカデミー賞主演女優賞、ダーンが同助演女優賞にダブル・ノミネートされた。ふたりのアンサンブルを堪能しつつ、希望に向かうパワーがもらえる仕上がり。一見に値する。