ダーレン・アロノフスキーという監督は常にユニークな題材を手がけながら、クオリティのみならず、興行面でもきっちりと数字を残す稀有な存在だ。数学を題材にした監督デビュー作『π』(1997)で評判を呼び、続く『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)では孤独な人々がドラッグで堕ちていく姿をホラブルに活写。その能弁さと演出力で、一躍、アメリカ映画界の星と騒がれるに至った。
それ以来、メジャー・スタジオから大きな企画が舞い込み、順風満帆にみえたものの、そのプロジェクトは実現せずに、3つの世界で展開する愛のかたちをファンタジックに紡ぎ出した次の監督作品、『ファウンテン 永遠に続く愛』(2006)が公開されるまでに6年の歳月を要した。
この体験を肝に銘じたか、比較的実現しやすい、予算のかからない企画の製作に方向転換。資金集めに苦労しながらも、2年後には落ちぶれたプロレスラーをミッキー・ロークに演じさせた『レスラー』を発表し、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を手中に収めた。この作品によってロークは復活し、アカデミー賞にノミネートされたのは記憶に新しい。
さらに2年後にはバレエの世界を背景にしたスリラー『ブラック・スワン』を送り出す。アロノフスキーは、『レスラー』と並んで肉体を駆使した表現者の心中に分け入った作品と想定していて、主演のナタリー・ポートマンにアカデミー主演女優賞をもたらし、本人も監督賞にノミネートされた。
本作は、そうしたアロノフスキーにとっては初めて手掛けた超大作ということになる。旧約聖書に題材をとって、ノアの箱舟伝説を完全映画化。神の怒りによって地上が大洪水になるスペクタクルを軸に、神の啓示のもとで箱舟をつくるノアと家族の葛藤のドラマが紡がれていく。脚本はアロノフスキーと『ファウンテン 永遠に続く愛』の原案を担当したアリ・ハンデル。シンプルな展開ながら、なによりもエンターテインメントとして成立させることを目指したアロノフスキーの演出力が冴えている。
最近は『レ・ミゼラブル』や『ニューヨーク 冬物語』などであえて仇役で個性を発揮しているラッセル・クロウがノアを演じ、『ビューティフル・マインド』でクロウと共演し、アカデミー助演女優賞に輝いたジェニファー・コネリーが妻のナーマに扮している。加えて『復讐捜査線』のレイ・ウィンストン、『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニー役でおなじみのエマ・ワトソン、『パーシー・ジャクソン』シリーズや『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』の主演で知られるローガン・ラーマン。さらに名優アンソニー・ホプキンスも顔を出す。まさに充実の布陣である。
アメリカをはじめ世界35カ国で、初登場1位のヒットを飾ったばかりか、その内容について賛否両論、センセーションを巻き起こしたあたりもアロノフスキーらしい。
ある晩、ノアは神からの啓示を受ける。神を敬わずに堕落した人間たちを滅ぼし、地上に新たな世界をつくるというものだった。
神を信じ、孤高の生活を続けてきたノアは、ウォッチャーと呼ばれる巨大な堕天使に協力を頼み、妻のナーマ、長男セム、次男ハム、三男ヤフェト、養女イラとともに、罪のない動物たちを守るために巨大な箱舟の製作に乗り出す。
ノアの子供たちには葛藤があった。セムとイラは皆が認めている恋人同士だったが、イラは子供を産めない身体だった。年頃のハムは伴侶がほしくて仕方がなかった。
やがて世界の終わりの兆しがみえはじめ、人間たちも不安に見舞われる。ノアの父を殺したトバル・カインは群衆を引き連れてノアの箱舟を襲おうとするが、動物たちが到着し、決戦は引き延ばされる。
あまりに原理主義的なノアの言動に、ハムは反発を覚える。彼は秘かに抜け出し、群衆のなかにひとりの女性を見出すが、そのときに洪水が起きる。まだ箱舟には人間を助ける余地がある。息子たちの思いはノアによって一蹴される。とくに意中の女性を見捨てられたハムは父に対して大きな遺恨を抱き、ある行動に走る。
凄まじい雨、洪水が起き、みるまに地上は水中に没していった。やがて、ノアは家族に神から託された使命を打ち明ける。家族は愕然として反発。あくまでも神に忠実でいたいノアと対決することになる――。
旧約聖書にある天変地異、大洪水を最先端の技術を駆使して映像化するだけでも一大スペクタクルになりうるが、アロノフスキーはもっと普遍的なドラマに分け入っていく。信心深さは美徳とされるが、そのために偏執的な行動も辞さないとなったらどうなるか。宗教のもつ危険性を、ノアの行動によって浮き彫りにしてみせるのだ。
神とのつながりを至上のものとするノアに対して、妻も子供たちも人間としての喜びを求めたいと考えている。必然的に子供が産めないはずのイラに異変が起きたとき、あくまで神との約束を履行しようとするノアとの間に決定的な対立が起きる。新世界をつくるための使徒、英雄であるはずのノアが実は狂信的な原理主義者であることが浮き彫りにされる展開はなんとも衝撃的。確かに各地でセンセーションを巻き起こしただけのことはある。
アレノフスキー作品の登場人物はおしなべて偏執狂的なキャラクターばかりだが、今回は家族という根本的な関係のなかでの情と信仰のせめぎあいとあって、いっそう際立つ仕掛け。神の導きで“まったき道”を歩もうとするあまり、狂気に走るノアの姿はまさしく宗教の恐ろしさを具現化している。
こうしたドラマ部分を際立たせるために、背景に力を入れるのは当然のこと。アレノフスキーは箱舟をCGに頼らず、実際に旧約聖書にのっとった3階建ての大きさで構築。しかも洪水のシーンでは、箱舟のセットに凄まじい量の水を注ぎ込むなど、できるだけ本物の迫力にこだわっている。さらに自然が手つかずで残されているアイスランドにロケを敢行し圧巻の映像を生み出してみせた。
この濃いキャスティングも狂気をはらんだ葛藤のドラマに仕立てるためとあれば頷ける。ノアを演じるクロウの強烈な個性は狂気に至るまでをしっかりと表現し、それはトバル・カインを演じるウィンストンと重なっていく。神の僕と神に背く者が同じ境界線上にいることを、アレノフスキーの演出のもと、ふたりの俳優がきっちりと分からせてくれるのだ。
妻ナーマを演じるコネリーは良妻をさらりと演じ、ワトソンはイラという起伏に富んだ役に挑戦して成長したところをみせている。ノアと対立するハムを懸命に演じきったラーマン同様、今後が期待される。
圧巻のスペクタクル大作としても満足できる、アレノフスキーの超大作。日本が大好きで、日本でヒットすることが最大の目標と、アレノフスキーは来日時に語っていた。その願いは実現するだろうか。