『ワイルドライフ』は家族が変貌する姿を見つめた、繊細さに心打たれるヒューマンドラマ。

『ワイルドライフ』
7月5日(金)より、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
配給:キノフィルムズ
©2018 WILDLIFE 2016,LLC.
公式サイト:http://wildlife-movie.jp/

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『スイス・アーミーマン』をはじめ、『プリズナーズ』に『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』などで知られる俳優、ポール・ダノは常に特異なキャラクターを演じて、見る者に強烈なインパクトを残す。その個性に魅せられて、パオロ・ソレンティーノは『グランドフィナーレ』、ポン・ジュノは『オクジャ/okja』に起用するなど、心ある監督たちが挙って仕事をしたがる俳優である。
そのポール・ダノが初めて監督に挑んだのが本作だ。
ダノは長年、映画をつくりたいと考えていたというが、題材に選んだのはピューリッツァー賞作家リチャード・フォードが1990年に発表した同名小説。1960年代、未だ古いモラルが幅を利かしていたカナダ国境に近い田舎町を舞台に、思春期の少年の視点を通した家族の軌跡が綴られる。細やかな情に満ちた少年の成長物語。脚色はダノと『ルビー・スパークス』の女優兼脚本家ゾーイ・カザンが担当した。彼女はダノと私生活でもパートナー関係にあり、本作では製作総指揮にも名を連ねている。
さすが異色の俳優だけあって、キャスティングも心憎い。母親役には『17歳の肖像』で注目を集め、『わたしを離さないで』や『未来を花束にして』などで存在感をみせたキャリー・マリガン。ごく平凡な主婦の心情をくっきりと画面に焼きつけている。父親役には『ノクターナル・アニマルズ』や『ナイトクローラー』などで個性をいかんなく発揮してきたジェイク・ギレンホールが起用された。
主人公の少年にはオーストラリア出身、『ヴィジット』で注目を集めたエド・オクセンボールド。3人のすばらしいアンサンブルが映画の魅力を倍加している。

1960年代、カナダ国境にほど近いモンタナ州の田舎町に、ブリンソン一家が引っ越してきた。父のジェリーはゴルフ場で働き、母のジャネットは元代用教員。ともに息子のジョーを愛し、ささやかながら幸せな日々を送っていた。
危機が訪れたのはジェリーがゴルフ場を解雇されたことだった。小切手が不渡りになり、不安定な経済状態に陥ってしまう。懸命にジェリーを励ますジャネットだったが、夫は働こうとしない。ジャネットはスイミング教室のコーチをはじめ、ジョーも写真館のバイトをはじめる。
この生活もジェリーが山火事の消火活動をするといいだし、家を飛び出したことで一変する。残されたジャネットは不安から笑顔を忘れ、化粧が濃くなる。やがて車の販売店を営む足の悪い中年男ミラーと親しくなっていく。ジョーは成す術もなく、ジャネットの行動を見守るだけ。やがてジェリーが家に戻ってきたとき、家族はそれぞれに変わっていた―――。

ダノは本作を心で感じる映画にしたかったという。主人公のジョーを通して、情を掘り下げ、家族と親について問いかける作品を目指したとコメントしている。どこまでも細やかに家族の姿を見つめ、表情や仕草に浮かび上がる感情を掬い取り、人間という長所も欠点もある存在を浮かび上がらせる。
ジェリーもジャネットも善意の持ち主でありながら、親になるには大人になり切れていなかった。未だ旧弊なモラルに縛られていて、現実的に生活するには責任感が希薄なのだ。思春期の子供がいながら、ジャネットは未だ34歳。夫が出ていって、生活苦に直面し、不安のなかで女性であることを意識する。ジェリーも閉塞した生活を打破して、新たな希望を見いだしたい。いずれの心情も痛いほどわかるのだが、彼らの行動の被害者になるのは息子のジョーだ。親に従うことが当たり前の時代に、子供は親の行動を見つめるしかない。愛情があればあるほど、親の行動は辛く悲しく映る。
長い結婚生活の間には色々なことがある。互いに、ちょっとしたボタンの掛け違いから、もう元の生活に戻れなくなる。誰が悪いわけでもない。夫婦は自分たちのなかで折り合いをつけるしかないが、子供に刺さったトゲは容易には抜けることがない。それでも希望がないわけではないとダノは静かに語りかける。
辛辣ななかに優しさがにじみ出る。大きなドラマがあるわけではないが、両親の生き様の哀れに心打たれ、健気な息子の眼差しに胸が熱くなる。ジョーが働く写真館の主人のセリフ「人は善きことを記録するために写真を撮る。幸せな瞬間を永遠に残そうと」が心に沁みる。人間は至らない存在だからこそ善きことを残そうとする。少年ジョーは幸せだった両親の姿を心に焼きつけつつ、未熟な彼らと向き合うことになる。
両親の欠点を受け入れて大人になる。これは誰しもが体験する通過儀礼だ。本作はその瞬間を映像に切り取ったみごとな作品である。

出演者ではジョー役のエド・オクセンボールドの眼差しに惹きこまれる。当時の子供は両親に対して口をはさむことは少なかった。ただ見つめるしかなかった。心にさまざまな思いを抱きながら、ただ従うしかなかった。ダノの指導よろしく、みごとな存在感を発揮している。
もちろん、ジャネット役のキャリー・マリガンの哀れで愛おしい姿は強烈に残る。生活することの過酷さに直面したこのキャラクターは、専業主婦から働くようになって女性としての幸せを初めて考えるようになる。行動は愚かしいがとても人間的で共感を呼ぶ。自分らしく生きることを貫くには時代や環境が許さないが、それでも元に戻れない悲しさ。マリガンはペーソスを存分に滲ませる。

ポール・ダノの第1作は大人になることの意味を問いかけた素敵な成長物語。撮影のディエゴ・ガルシアの時代を映しこんだ映像と、出演者の頑張りに拍手を送りたくなる。これは逸品だと思う。