『運び屋』はクリント・イーストウッドが老いの境地を綴った、みごとな仕上がりの監督・主演最新作!

『運び屋』
3月8日(金)より、TOHOシネマズ日比谷、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2018 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/

 クリント・イーストウッドは、アカデミー作品賞にノミネートされること5回(2度受賞)、同監督賞にノミネートされること4回(2度受賞)、同主演男優賞にノミネートされること2回。さらに1994年には長年優れた作品を製作し続けた映画人に贈られるアービング・G・タルバーグ賞も受賞している。
 これだけの賞にノミネートされ、受賞したのもイーストウッドの作品歴をみれば納得がいくはず。『ダーティハリー』の頃よりマネー・メイキング・スターとなって、アメリカ映画界に貢献し、後年は監督として数多くの傑作を生みだした。手がけた作品のタイトルを眺めると、本来であればノミネーションの数がもっと多くてもいいと思われるが、映画芸術科学アカデミー協会は、ことイーストウッド作品に関しては厳しい。
 ともあれ、イーストウッドがノミネーションで終わっているのは演技部門だけである。アクションスターとして人気を博したことの反動か、演技に関して評価されることは少ない。確かにどんなキャラクターにも憑依できるタイプではないが、確固たる存在感の持ち主。もう少し俳優として認めてもバチは当たらないと思うのだが。
 そんな思いにとらわれたのも、製作・監督・主演を兼ねた最新作『運び屋』が間もなく劇場公開されるからだ。イーストウッドにとっては2012年の『人生の特等席』以来の出演作である。1930年生まれだから、現在88歳。この年齢になっても主役が張れること自体が驚嘆すべきことだ。
 しかも演じるのが90歳の麻薬の運び屋として世間を驚かせた実在の人物なのだ。これまでアウトローや自分の流儀で生きるキャラクターを演じてきたイーストウッドらしい選択といえるか。堅気の暮らしが立ち至らなくなり、老いてアウトローとなった男の軌跡を、ユーモアを散りばめながら、柔らかく紡いでいる。
 本作の脚本を担当したのはニック・シェンク。『ジャッジ 裁かれる判事』もよかったが、何といっても2008年の『グラン・トリノ』が忘れがたい。この脚本ではイーストウッドが演じてきたヒーローのその後のようなキャラクターを想定し、老いと死に場所、次代に何を伝えるかというテーマを渋く入れ込んでみせた。
 そのシャンクが再びイーストウッドにぴったりのキャラクターをつくりだした。今度もまた岐路に立たされた孤独な老境のストーリー。もっとも今回のキャラクターは外面がよく仕事本位で、妻と娘に愛想をつかされた男。90歳近くなっても、女性に対しては興味津々の、ちょっぴり軽薄なところのある爺さんだ。

 アル・ストーンは朝鮮戦争に従軍し、除隊してからは高級ゆりの生産ひとすじの生涯を送ってきた。品評会でも名を知られた存在となったことで、ますます仕事に熱中し、悪気はないのだが、家族に目が向かない。娘に愛想をつかされ、妻も出ていってしまった。
 年を追うごとに商売は不況の道をひた走る。ネットなどの普及が決定的で、自宅も農園も差し押さえられ、路頭に迷う寸前となる。
 ここでメキシコ系の男に運び屋の仕事を誘われ、即座に引き受ける。彼の気ままな性格が反映された運転ゆえに、官憲の取締の目にも触れない。
やがて麻薬組織のボスにも気に入られて、次第に量を増やして、伝説の運び屋と呼ばれるようになる――。
 金が潤沢に入るようになって、ストーンは周囲に目を向ける余裕が出てくる。新車を手に入れ、退役軍人の施設に大枚を寄付する。さらには病に倒れた妻に詫び、仕事を放り出して、彼女の最後の時をともに過ごす。一方で伝説の運び屋に対する官憲の包囲網はじりじりと狭められていた――。

 イーストウッドが描く(あるいは演じる)ヒーローは、社会正義ではなく、心の裡にある正義や矜持を行動原理にする存在が多かったが、本作も例外ではない。ドラッグの運び屋となれば弁解のしようもないが、年寄りにとってみれば必要とされる、あるいは仕事があることがなにより大切なのだ。
 ストーンのようにまっとうな仕事をしていても、経済至上主義の社会は援助の手を差し伸べてくれるわけでもない。先のない老いた身にとっては社会正義も麻薬組織もどっちもどっち。必要とされる仕事をこなし、金を儲けて、女性を抱いて過ごす方がずっといい。イーストウッドは過不足ない演出でこのように語りかける。まっとうな仕事で評価されても食べていけない社会を、ある種の諦観を持って眺め、老いたヒーローをさらりと称えている。その姿勢が、安直で幼稚な勧善懲悪よりもずっと味わい深い人間喜劇に仕上げている。
 イーストウッドの演技はひょうひょうと自然体の一語。老いのペーソスをたたえ、自在に行動できる喜びを映像から滲ませる。顔の皺は隠しようもないが、表情からにじみ出る生気はみていて嬉しくなる。まさに幾つになってもヒーローの存在感が画面に焼き付いている。

 イーストウッド俳優復帰を祝うかのように、豪華な俳優陣が一堂に介している。『アメリカン・スナイパー』で仕事をしたブラッドリー・クーパーが主人公を追う麻薬取締役菅に扮し、『ミスティック・リバー』に出演したローレンス・フィッシュバーンがその上司、『ミリオンダラーズ・ベイビー』に顔を出したマイケル・ペーニャが同僚役で参加。さらに愛娘のアリソン・イーストウッドがそのまま娘役。『ハンナとその姉妹』のダイアン・ウィーストが主人公の妻役でみごとな演技を披露してくれる。

 88歳の老スターを称えて、ノミネートぐらいするのが礼儀と思うが、本作は、アカデミー協会によってまったく無視された。社会の流れや風潮に忖度する協会らしい。無冠であっても作品の価値はいささかも下がらない。クリント・イーストウッドの最新作は今まで同様、素晴らしい仕上がりなのだ。必見の作品といっておきたい。