『三度目の殺人』は是枝裕和が挑む、人間の心の闇に分け入った心理サスペンス。

『三度目の殺人』
9月9日(土)より、TOHOシネマズスカラ座ほか全国ロードショー
配給:東宝、ギャガ GAGA★
©2017 フジテレビジョン アミューズ ギャガ
公式サイト:http://gaga.ne.jp/sandome/

 

是枝裕和は、カンヌ国際映画祭審査員賞に輝いた『そして父になる』が興行収入32億円のヒットを飾ったことで、一気に注目される監督となった。

是枝監督は、続いて吉田秋生の人気コミックを、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずという旬の若手女優の競演で紡ぎだした『海街diary』を発表。さらにメジャー感を高めたが、翌年にはバランスを取るかのようにプライベートな思いの詰まった『海よりもまだ深く』を送り出した。

考えてみると、是枝監督の作品は『誰も知らない』や『歩いても 歩いても』など、家族を題材にしたものが多い。『そして父になる』をふくめた最近の3作品もまた、父や母に対するつながりと複雑な感情を描いたものだった(『海よりもまだ深く』の取材で、50歳代を超えた現在の家族への想いを素直に反映させたと、監督はコメントしていた)。

演出に円熟味が加わり、家族を見つめる眼差しにも深みを増してきている。次作に対する興味は高まる一方だったが、登場した本作は期待を裏切らない仕上がりだった。

この新作では、監督自身初となるサスペンスに挑戦している。それも裁判を軸にしたドラマで、より社会性の強い題材だから嬉しくなる。描くのは、監督が抱いた現在の裁判システムに対する素朴な疑問だ。

法廷のリサーチをしていくなかで、弁護士、裁判官、検事のいずれもが“法廷は真実を解明する場ではない”と考えているふしがあることに、監督は気づく。裁判を効率的に進行するために、各々が粛々と役割を果たしている印象を受けたという。

弁護士は事実の解明よりも量刑を軽くすることに腐心し、検事は有罪にすること、裁判官は円滑に法廷が進行することに力を注ぐ。裁判というシステムが強固に構築されてしまっているから、日本では無罪となる確率が低いという。法廷が正義や真実の解明よりも効率を優先しているとしたらどうなる。ここに是枝監督は着目した。さらに出所後に再犯を繰り返す累犯犯罪者の問題を絡めて、是枝監督がストーリーを構築し、脚本に仕上げていった。

この題材をもとに、本作でも豪華なキャスティングを実現している。『そして父になる』で新たな境地に到達した福山雅治を再度主演に迎え、『海街diary』の広瀬すずと『渇き。』などで自在の演技をみせる役所広司が競演。さらに満島真之介、市川実日子、橋爪功、斉藤由貴、吉田鋼太郎など、多彩な顔ぶれが脇を固めている。

 

弁護士の重盛は同期の摂津に泣きつかれ、面倒な事件を扱うことになった。30年前に強盗殺人を起こした三隅は、解雇された食品加工工場の社長を殺し、財布を盗んだ容疑で起訴されていた。

最初に接見したときに罪を認めた三隅に、重盛は死刑を免れ無期懲役に持っていこうと決める。裁判で勝つためには真実は二の次と考える重盛は有利になる証拠を集めるべく、取材をはじめる。

だが、三隅の供述は二転三転。弁護士に相談もなく、週刊誌の取材に応じ「社長夫人に頼まれ、保険金目当てで殺した」と告白してしまう。重盛の詰問に対し、三隅は夫人からの依頼のメールと口座への入金を明かす。重盛はただちに社長夫人主犯説に切り替えた。

弁護に真実は必要ないと信じる重盛だったが、三隅の身辺調査で浮かび上がってくる事実に次第に惹きこまれていく。三隅の最初の裁判で裁判長を務めた重盛の父は、三隅が楽しむために殺す獣のような人間だといい、担当した元刑事は感情のない空っぽの器のようだったという。だが三隅のアパートには、足の悪い被害者の娘・咲江が足繁く訪れていた。

三隅という男に対して初めて興味を抱いた重盛だったが、第1回の公判がはじまる。だが、公判中にも意外な事実が次々と判明し、重盛は翻弄される。事ここに至って、重盛は真実を知るべく、三隅と対決する――。

 

裁判で事実が明らかになる。正義と真実が追及されるという理想は、裁判システムを円滑に維持することに力点を置くことで妥協せざるを得なくなる。日本の刑事裁判の有罪率の異様な高さをみるとき、有罪が確実に立証できる件のみ裁判にすすむ、という暗黙の了解があるかのようだ。弁護士、裁判官、検事はその範囲のなかで努力することに囚われている。極論すれば、真実をつかめないまま人が人を裁くことができるシステムになっている。ドキュメンタリー出身で、社会問題に対して高い意識を持つ是枝監督は効率化に走る司法に対して、エンターテインメントのかたちで疑問を投げかけているのだ。

作品はサスペンスであるから、重盛が三隅の動機は何かを追求する展開になるのだが、必ずしも普通の結末が待ち受けているわけではない。人間の心を他人が理解することは容易くない。まして心の闇を覗き込み、明らかにすることなど不可能に近いことを、是枝監督は映像に焼きつける。ミステリー的な興味で惹きこみながら、巧みに自分の目指す結末に着地した監督の手腕は円熟を感じさせる。

もちろん、家族の問題とは離れたとはいいながら、本作では父親を失格した男たちの姿が浮かび上がる。重盛も、三隅も、被害者も、すべて父親としては失格者だ。重盛は被害者の娘・咲江の心情、訴えを聞いて、初めて真剣に三隅と向き合う。そして三隅は咲江の気持ちを聞いて、さらに驚愕の告白をする。ふたりのなかに鬱屈した父性を見出すことは決して不可能ではない。

 

是枝監督は福山雅治の容姿にエリートのイメージを持っているのか、ここでは前作に続き、実績を鼻にかける弁護士を演じさせている。真実など必要ないと考え、量刑の軽減だけに傾倒するキャラクターが三隅事件を契機に、何かが変わる。そのプロセスを福山雅治はさらりと演じ切っている。なによりも三隅を演じた役所広司の存在感、迫力によって、福山雅治の演技が熱を増してくるあたりが見ものである。

もちろん、役所広司の演技に対しては申し分がない。穏やかに質問に応える表情のなかに、底知れぬ空虚を垣間見せて怪物性をにじませる。人間を理解すること、行動を断ずることなど、本当は、できはしない。人が人を裁くことの難しさを、説得力をもって具現化している。

咲江に扮した広瀬すずもいい。影を背負ったキャラクターを一生懸命に演じている。成長するにつれて、ますます難しい役が巡ってくるだろうが、臆せずにぶつかっていく姿勢を評価したい。

 

これまでと一線を画し、光と影のコントラストを強調したフィルムノワール的な映像、シネマスコープを採用した是枝裕和監督。これをみると、次作が楽しみになる。