『幸せをつかむ歌』はメリル・ストリープの音楽的才能に拍手を送りたくなる、家族の再生ストーリー。

『幸せをつかむ歌』
3月5日(土)より、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか、全国順次公開
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:http://www.shiawase-uta.jp/

 

 メリル・ストリープがアメリカ映画界を代表する女優であることは論をまたない。アカデミー賞においても、1978年に『ディア・ハンター』で助演女優賞にノミネートされて以来、主演女優、助演女優を合わせてノミネーションが俳優としては最多の19回を数える。そのうち『クレイマー、クレイマー』で助演女優賞、『ソフィーの選択』で主演女優賞、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で主演女優賞と、3つのオスカーを手にしている。
 類まれなる演技力と絶対音感を武器に、ストリープはシリアスドラマからコメディまで、ありとあらゆるキャラクターにチャレンジし、そのたびに絶賛されてきた。
 若い頃はあまりに巧みすぎて反発されることもあったが、年齢を重ねるに従ってさらに演技に奥ゆきが加わり、確固たる存在感が生まれてきた。憑依するかのようにさりげなくキャラクターに成りきる。いかにも自然体のようだが、キャラクターの出自をふくめ徹底的なリサーチを課した上で演じるなど、不断の努力に裏打ちされている。
 しかも、女優になる前にオペラ歌手に憧れたこともあって、音楽の素養も充分。昨年の『イントゥ・ザ・ウッズ』や『マンマ・ミーア』といったミュージカルをみごとにこなし、ロバート・アルトマンの遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』ではC&Wの歌手をさらりと演じてみせた。
 まさに千変万化のストリープだが、本作で挑んだのは初の役柄、ロック歌手である。およそ彼女の容姿からは想像がつかないかもしれないが、みれば感動。少々、年齢的にくたびれたものの、ロック魂に貫かれた女性が画面に躍動している。
 ストリープ的には実の娘メイミー・ガマーとの共演に惹かれて出演したのだろうが、脚本が『JUNO/ジュノ』でアカデミー賞を手中に収めたディアブロ・コディ、監督が『羊たちの沈黙』でアカデミー監督賞に輝いたジョナサン・デミという魅力的な布陣も後押ししたか。さらに『ワンダとダイヤと優しい奴ら』でアカデミー助演男優賞を獲得し、ストリープとは『ソフィーの選択』で共演したケヴィン・クラインも登場するなど、なんとも映画ファンには応えられない顔合わせなのである。
 監督のデミはトーキング・ヘッズの『ストップ・メイキング・センス』や『二―ル・ヤング/ハート・オブ・ゴールド~孤独の旅路~』などを手がけ、ロック・ミュージックには造詣が深い。ストリープが本作に挑むにあたって、デミから自在にギターを弾きこなせるように命じられたという。本物のバンドのリアリティを映像に焼き付けたかったからだ。
 したがって、バンドマンはそうそうたる顔触れを配した。ストリープ演じるヒロインの恋人にしてバンドのリードギター・マンの役には、「ラヴ・サムバディ」のヒットで知られ、日本でも人気を博したオーストラリア出身のロック歌手リック・スプリングフィールドを起用。ベースにはニール・ヤングとの共演で知られるリック・ローサス、ドラムはイーグルズなどとも仕事をしたジョー・ビテール、キイボードはPファンクの主メンバーであるバーニー・ウォーレルがそれぞれ選ばれている。これらロック界のレジェンドたちと演奏しても、いささかも見劣りしないストリープの演奏ぶりは本作の白眉といっていい。
 この音楽の強烈な裏付けがあってこそ、デミの過不足ない演出のもと、コディの母と子の絆の再生の物語も活き活きと個性を発揮してくる。

 ロサンゼルスのすすけた酒場のハウスバンド“リッキー&ザ・フラッシュ”は往年の名曲から流行りの曲まで幅広いレパートリーを誇っている。リッキーは、愛人であるリードギターのグレックとともに、志をもってロックを演奏し、充実した日々を送っているとはいいながら、金もなく、肉体的にもこたえてきた。
 そんなおり、リッキーのもとに別れた夫ピートから連絡が入る。娘の精神状態がおかしいというのだ。ロックを続けるため、夢を選んで家族を捨てたリッキーだったが、娘のために何を置いても故郷インディアナに向かう。
 娘ジュリーは、長い間、連絡もなかった母親に怒り、反発しながら、少しずつ親しみの感情を取り戻していく。だが、息子たちは彼女に対して、拒否反応を起こす。しかも、ピートの後妻からはあからさまな態度をとられる始末。
 すごすごとロサンゼルスに戻ったリッキーはグレッグに後押しされ、息子の結婚式に素敵なプレゼントをたずさえて出席した――。

 夢の実現のために平凡な主婦の座を捨てても子を思う気持ちは人一倍。ありのまま、飾らないリッキーの生き方が好もしく描き出される。女性が夢を追ってもいいし、周囲が傷つくことがあっても、いつか分かってくれるはず。コディの脚本は常にユニークな女性像を共感込めて描きだしているが、本作も例外ではない。
 貧乏をしていても、気のいい仲間とロックに浸っているヒロインは家庭や子供と無縁に生きてきても、子供の急には何を置いても駆けつける。これさえあれば母親の資格は十分だと、映画は語りかけてくる。
 デミの演出は、さりげない描写のなかにそれぞれのキャラクターを浮かび上がらせ、情の綾を細やかに綴る。グレッグ役のスプリングフィールドが一途な優しさをみせるのに対して、元夫役のクラインはいかにもスクエアな無神経な優しさを垣間見せる。ふたりの対比に、リッキーの選択の正しさが浮かび上がってくる寸法だ。
 ジュリー役にガマーを配したのはベタな気もするが、確かに母娘の雰囲気はきっちりと映像に焼き付けられている。容姿で母親のいいところは似なかった印象ながら、母親を相手に懸命の演技を見せてくれている。
 風変わりな人生を選んだヒロインの、家族との再生物語という本筋を際立たせているのは、デミの狙い通り、リッキー&ザ・フラッシュの演奏シーンだ。ただ、ひたすらストリープのみごとなギターさばきと歌声に魅了される。演奏シーンはすべてライヴで撮影したというが、ベテランのメンバーを従えて、彼女は本当にみごとなセッションを繰り広げる。曲もトム・ぺティの「アメリカン・ガール」、エドガー・ウィンターの「Keep Playing That Rock & Roll」、ドビー・グレイのヒットで知られる「明日なきさすらい」をはじめ、U2、ブルース・スプリングスティーン、さらにレディ・ガガやピンクなどの曲を演奏しまくる。撮影後にベースのローサスが急死したこともふくめ、まことに貴重な演奏シーンである。

 邦題がちょっぴり女性向きになっているが、男性が見ても充分に楽しめる。こういう惚れ惚れするような男前のヒロインも演じきってしまう、ストリープはやはり凄い。演奏シーンだけでも必見だ。