『駆け込み女と駆け出し男』は原田眞人が井上ひさしの晩年の傑作小説を映像化した素敵な時代劇。

「駆込み女と駆出し男」メイン
『駆け込み女と駆け出し男』
5月16日(土)より全国ロードショー
配給:松竹
©2015「駆込み女と駆出し男」製作委員会
公式サイト:http://kakekomi-movie.jp

 

 原田眞人という名を聞けば、年齢を重ねた人は創刊間もない“ポパイ”誌に掲載された、アメリカからの情熱的な映画レポートを頭に思い浮かべることだろう。あるいは今はなき日本ヘラルドが1979年に配給した、川谷拓三の演技が忘れ難い監督デビュー作『さらば映画の友よ インディアンサマー』に思いをはせる人もいるかもしれない。
 このデビュー作以降、原田眞人監督は多彩な作品を発表し続けてきた。とりわけ1999年の『金融腐蝕列島[呪縛]』や2002年の『突入せよ!「あさま山荘」事件』あたりから円熟味を増し、2011年の『わが母の記』では故郷の先達・井上靖の小説に挑戦。母に対する思いをくっきりと映像に焼き付けてみせた。原田監督にとっては初めて小津安二郎の世界を意識した作品となったと語っている。この作品は第35回モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリに輝いたことでも記憶に新しい。

 それから4年、豊かな映画の記憶を誇る原田監督が本作で初めて時代劇に挑戦した。2010年にこの世を去った国民的作家、井上ひさしの晩年の小説「東慶寺花だより」をもとに、原田監督が自ら脚本を担当。江戸時代後期を舞台に、縁切り寺として知られる東慶寺に駆け込む女たちのエピソードを誠実に描き出している。
 きっちりと時代考証を課した上で、さりげないユーモアとペーソスを底流に置きつつ、男と女の細やかな情のドラマを構築している。原田監督のコメントによれば、黒澤明の『赤ひげ』などの時代劇、溝口健二、市川崑、川島雄三の名作、そして女優の描き方に秀で、美しい美術で知られる大映時代劇にオマージュをささげたのだという。
 撮影は、黒澤清の『アカルイミライ』や根岸吉太郎の『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』で知られる柴主高秀。美術には『最後の忠臣蔵』や『武士の献立』の原田哲男が起用されている。原田監督が俳優として名を連ねた『ラスト サムライ』でロケーション地として使われた、姫路の書寫山圓教寺をはじめ、京都、滋賀、奈良、大阪でロケーションを敢行。江戸時代後期の雰囲気、風景をみごとに再現している。
 今よりもはるかに多かったといわれる江戸時代の離婚だが、夫は離縁状を書くことができた一方、妻にとっては縁切り寺に駆け込むことこそが離婚する唯一の方法だった。映画は、江戸時代のしきたりを分かりやすく紡ぎながら、縁切り寺に駆け込む女性たち、彼女たちを見守る人々を軸に、機微に富んだストーリーが構築されていく。

 なによりキャスティングが新鮮だ。『清須会議』や『青天の霹靂』など、最近とみに進境著しい大泉洋に、テレビドラマ「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」や「LIAR GAME」などで知られる戸田恵梨香。『川の底からこんにちは』の満島ひかり、『卒業』の内山理名。さらに宝塚宙組トップスターだった陽月華も顔を出し、樹木希林、堤真一、山崎努、中村嘉葎雄などベテランが脇を固めている。

 天保十二年(1841年)、幕府公認の縁切り寺として知られる鎌倉・東慶寺には、さまざまな理由から離婚を望む女性たちが駆け込む。
 日本橋唐物問屋、堀切屋三郎衛門のめかけ・お吟は決意を胸に秘かに鎌倉に向かった。途中、足を悪くして、同じく東慶寺を目指す“鉄練りのじょご”の助けを借りた。
 ふたりは縁切りの意思表示をして、まず御用宿・柏屋に身を寄せる。ここで聞き込み調査が行なわれるのだ。確認後、駆け込み人の親や夫に飛脚を立てて呼び出し、そこで離婚が成立すれば寺に入る必要がない。話し合いが不調に終わった段階で、東慶寺に二年間、入山することになる。二年後には、夫や親は離婚状を書かなければならない。
 ふたりと時を同じくして、見習い医者にして駆け出し戯作者の信次郎が親戚関係にある柏屋の主人、源兵衛を頼って、居候として転がり込む。
 柏屋で聞き取り調査の手伝いをするうち、信次郎は“鉄練りのじょご”に次第に惹かれていく。
 お吟も“鉄練りのじょご”も東慶寺に入ることになる。お吟の行動に烈火のごとく怒る堀切屋三郎衛門。“鉄練りのじょご”の夫も離婚に応じようとはしなかった。
 ふたりが東慶寺で修業をする間、さまざまな出来事が起きる。信次郎が寺で修業をする女性を妊娠させたという疑われ、やくざにからまれたりもする。なによりも、東慶寺を取り潰さんと画策する、老中水野忠邦の腹心、南町奉行・鳥居耀蔵が密偵を送り込んだことから、寺は混乱を極めていく――。

 原田監督の過不足のない、真っ当な語り口によって最後まで作品の世界に没入できる。『わが母の記』と同じように、おとなの感性でつくりあげられた美しい映像とともに小手先ではない正攻法の演出の素敵さが際立つ。井上ひさしの世界を咀嚼消化して、自らの時代劇を生みだしてみせたことに拍手が送りたくなる。
 江戸時代の離婚という題材のユニークさもさることながら、人と人との情の綾、心の機微をくっきりと浮き彫りにしている。それぞれのキャラクターの哀歓をみごとにストーリーにすくい上げ、見る者のエモーションを静かに刺激する。原田監督の演出はまさに円熟ということばがふさわしい。江戸の風俗、風景をくっきりと映像に焼き付けた撮影もみごとなら、美術もすばらしい。大映時代劇を意識したとの監督のコメントも頷ける。

 出演者では信次郎役の大泉洋がいい。伝説の「水曜どうでしょう」の“いじられ”大学生が俳優としてぐんぐん魅力を増している。『男はつらいよ』の渥美清、『釣りバカ日誌』の西田敏行に相通じる“憎めない厚かましさ”を、大泉洋は持っている。ここでも純情なのに図々しい、頭は回るのに抜けたことのあるキャラクターをきっちりと演じている。
 同様に“鉄練りのじょご”に扮した戸田恵梨香が芯の強い女性像を演じ切れば、満島ひかりは色っぽいお吟に扮して、切ない女の心情を浮かび上がらせている。

 原田監督の演出の妙で最後まで惹きこまれ、心地よい余韻に包まれる。かつての日本映画がもっていた時代劇の楽しさがここにはある。一見をお勧めしたい。