『バイス』はディック・チェイニーのアメリカ副大統領時に至る軌跡を辛辣に暴き出したブラック・コメディ!

『バイス』
4月5日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
配給:ロングライド
© 2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.
公式サイト:http://www.longride.jp/vice/

 2015年にアカデミー賞の作品、助演男優、監督、脚色、編集にノミネートされた『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のアダム・マッケイ、待望の新作である。
 同作品では脚色賞に輝き、演出のみならず脚本家としての才能も認められたマッケイは、シカゴのコメディ劇団“セカンド・シティ”で腕を磨きNBCの「サタデー・ナイト・ライブ」では脚本と演出を担当したという、コメディの王道を進んだ強者。映画でも『俺たちニュースキャスター』(劇場未公開)や『タラデガ・ナイト オーバルの狼』(劇場未公開)などのヒット・コメディを誇るが、それまではアカデミー賞にノミネートされるような作品は皆無だった。
 もっとも「サタデー・ナイト・ライブ」で育んだ、社会に向けられた鋭い風刺精神とユーモアはこれまでの作品でもそこかしこで発揮されてきた。マッケイの権力をものともしない精神は本作で頂点に達したといっていい。
 本作が描くのはジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領を務めたディック・チェイニーの軌跡だ。ふつう、副大統領というとお飾り的な閑職のイメージが強いのだが、チェイニーはお気楽なブッシュのもとで、官僚、軍、エネルギー政策から外交政策に至る実権を握った。9.11同時多発テロを受けて、アフガニスタン、イラクに兵を送って、その後のアメリカの中東に対するスタンスを決定づけたのもチェイニーの為せる業だ。
 マッケイは徹底的にリサーチを行ない、官僚として天才的な手腕を発揮したチェイニーがいかにして生まれたかを紡いでいく。
脚本も書き上げたマッケイを、前作同様ブラッド・ピット率いるプランBがサポートし、豪華なキャスティングを実現した。前作でも出演を果たしたクリスチャン・ベールが20キロ増量し、周到なメイクを施してチェイニーを熱演するのをはじめ、『メッセージ』のエイミー・アダムスがチェイニー夫人、スティーヴ・カレルがドナルド・ラムズフェルド、サム・ロックウェルがジョージ・W・ブッシュ、タイラー・ペリーがコリン・パウエルなど、まさに芸達者による成り切り合戦の様相を呈している。

 1960年代はじめ、ディック・チェイニーはイェール大学に入りながら酒に溺れて退学。ワイオミング州で電気工をしていたが、泥酔して警察の世話になった。その彼を見受けしてくれたのは後に妻となるリン・アン・ヴィンセントだった。愛想を尽かしたと叱咤するリンに、チェイニーは「二度と君を失望させない」と誓う。
 1968年、ワシントンD.C.で連邦議会のインターンシップに参加したチェイニーは、共和党下院議員ドナルド・ラムズフェルドに惚れ込み、彼のもとで働くようになる。まもなくリチャード・ニクソン政権の大統領補佐官となったラムズフェルドがホワイトハウスに入り、チェイニーもつかの間、ホワイトハウスに狭いオフィスを与えられるようになった。
 次第にしたたかさも身につけたチェイニーは、ジェラルド・フォード政権の大統領首席補佐官となり、フォード政権失脚後は下院議員に立候補する。だが脳梗塞に倒れてしまう。この危機を救ったのは妻のリンだった。代わりに選挙戦に立った彼女は爽やかな弁舌で夫を当選に導いた。ロナルド・レーガンに続くジョージ・H・W・ブッシュ政権から国防長官になるが、次女が同性愛者であることがネックとなり、政界を離脱。巨大石油会社のCEOとして家族とともに悠々自適の日々を過ごすことになった。
 この静寂の日々が打ち破られたのは、ジョージ・W・ブッシュが大統領に立候補したことだった。ブッシュは彼を副大統領に据えたがった。チェイニーはお飾り的な副大統領の役割を引き受けるにあたり、官僚、軍、エネルギー政策から外交政策などの業務をも手掛けることを、大統領に約束させる。
 2001年の同時多発テロ事件が起きた後、ブッシュはテロとの戦いを宣言。チェイニーは憲法や国際法を拡大解釈し、巧妙な情報操作のもとで戦線を拡大、ブッシュを巧みに操ってイラク戦争に突入していく――。

 まこと波乱万丈な男の一代記ではある。ひょっとすればワイオミング州の飲んだくれの電気工で終わっていたかもしれない男が、内情の稿を得て、政界に入るとともに官僚的な才覚を発揮。口下手でありながら、深謀遠慮でさまざまな術策を駆使して、政界の存在感を高めていく。 一方で、妻に頭が上がらず、娘たちに優しい家族第一主義の姿勢を貫いた。
 アダム・マッケイはひとりの男の長所も短所も巧みに描き出していく。どちらかといえば、口下手でどんくさい男が、政界に入るやどんどんと頭角を現し、官僚的な気質のもとで術策を弄するようになるプロセスを面白おかしく紡いでみせる。少なくとも未だ生きているチェイニーは不愉快だろうが、こういう男が政界を上り詰めたことに対して仮借ない。ブラックユーモアを随所に散りばめながら、徹底的に笑い者にする。それはこうした存在を許してしまった国民に対する苦い笑いでもある。マッケイの「サタデー・ナイト・ライブ」で培った、権力に対する批判精神が映像に漲っている。
 同時多発テロ事件を巧みに利用して、チェイニーはブッシュにテロとの戦いを宣言させ、憲法や国際法を拡大解釈。アフガニスタンからイラクに戦線を拡大していった。証拠もないのに、イラクには核兵器、生物兵器があると強弁しての派兵だ。そこには石油会社の利権が見え隠れするのに、テロ事件が契機だと強弁する。こうしたチェイニーやラムズフェルドの暴走に対して、マッケイは辛辣に風刺する。ブッシュ政権に対して忖度したメディア、マスコミも俎上に挙げる(奇しくも3月29日公開となる『記者たち 衝撃と畏怖の真実』では、ブッシュ政権への忖度を潔しとしなかった新聞社の戦いを描いている)。

 俳優で傑出しているのはチェイニー役のクリスチャン・ベールだ。体重を増量し、メイクを施すと別人にしか思えないが、この鈍重で口下手の策士をみごとに表現してみせる。『太陽の帝国』で一躍世界に知られた子役がここまでの存在になるとは思いもしなかった。役にあわせて体重の増減を徹底するメソッドを駆使して、本作でも際立った演技を繰り広げている。
 おまけにラムズフェルド役のスティーヴ・カレル、ブッシュ大統領役のサム・ロックウェルとのコラボレーションがみごと。暴走気味のなりきりで画面をさらっている。さらにリン・チェイニー役のエイミー・アダムスのタフな味わいも作品の面白さを倍加している。

 全編、痛快かつスピーディに語られるアメリカ政治裏面史。世界を動かすアメリカがここまで簡単に製作を決定することに驚かされる。面白く、慄然とさせられる仕上がり。トランプ政権の今だからこそ、一見をお勧めしたい。