『シンデレラ』はあのディズニーの名作アニメーション世界が華麗な実写映像となった、素敵な恋の物語。

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『シンデレラ』
4月25日(土)より、TOHOシネマズ日劇ほか、全国ロードショー
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
©2015 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
公式サイト:http://www.disney.co.jp/movie/cinderella.html

 

 昨年から、ウォルト・ディズニー・スタジオ配給作品の進撃が止まらない。超ヒットした『アナと雪の女王』を筆頭に、『マレフィセント』、『プレーンズ』、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』。さらに『ベイマックス』に『イントゥ・ザ・ウッド』と、いずれも群を抜いたヒットを記録している。
 とりわけ『アナと雪の女王』と『マレフィセント』、『イントゥ・ザ・ウッド』の3本はこれまでのディズニー作品が培ってきたセオリーを一新するようなメッセージを内包している点で注目に値する。
『アナと雪の女王』では初めて女性ふたりを主人公に据え、白馬に乗った王子様を待つよりも“ありのままの自分でいる”ことが幸せだと謳いあげ、『マレフィセント』では『眠れる森の美女』で悪役扱いされてきた魔女の切ない心の裡を浮き彫りにしてみせた。加えてミュージカルの『イントゥ・ザ・ウッド』ではお伽話のハッピーエンドの後にも人生が続き、不幸なことも起こることを描いた。
 いずれも時代の雰囲気に呼応して、多くの観客を動員したが、いささか複雑な気分になったのも事実。これまでのディズニー作品のように、夢見るようにロマンチックで幸せの余韻に浸れるファンタジーはもう製作されないのか――。
 ところがディズニー・スタジオの懐は深かった。2015年に入るや、原点回帰とばかりに華やかで心も弾むロマンチック・ファンタジーを発表した。アニメーション名作『シンデレラ』の実写版である。
 もちろん、運命の人が現れることを信じ、魔法の力で結ばれる展開は昔と同じながら、ヒロインを現代の女性が共感できるキャラクターに設定している。単に幸せを受け身で待つのではなく、自分にとっての幸せを決断してつかみとるキャラクターとして描いている。
 脚色は『アバウト・ア・ボーイ』や『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を手がけたクリス・ワイツ。しかも監督が『ハムレット』や『恋の骨折り損』などのウィリアム・シェイクスピア作品の映画化で知られるケネス・ブラナーと来るから、製作者の本気度が分かる。ブラナーは近年では『マイティ・ソー』の演出を引き受けてヒットさせるなど、エンターテインメントのツボは心得ている。ブラナーとワイツは脚本段階で、シンデレラをポジティヴでユーモアのセンスに富んだ強い女性に仕立てたという。
 とはいえコスチューム・プレイの匠がつくりあげた映像世界はまことにゴージャスで美しい。『アビエイター』のダンテ・フェレッティがプロダクション・デザイン、『恋におちたシェイクスピア』のサンディ・パウエルが衣装と、まさに超一流のスタッフが結集した成果である。
 出演は、ヒロインには、テレビドラマ「ダウントン・アビー」の3シーズン目に登場して注目されたリリー・ジェームズ。美人過ぎず、愛嬌のある容姿の持ち主だ。なるほど、ディズニー・スタジオの“共感できるヒロイン”を選ぶという姿勢は徹底している。
 彼女を囲んで実力派が居並ぶ。いじわるな継母には『ブルー・ジャスミン』でアカデミー主演女優賞に輝いたケイト・ブランシェット。魔法を駆使するフェアリー・ゴッドマザーには『アリス・イン・ワンダーランド』や『ダーク・シャドウ』でおなじみのヘレナ・ボナム=カーター。王子にはテレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローン」でブレイクし、パトリス・ルコント監督作『暮れ逢い』にも顔を出していたリチャード・マッデン。
 加えて『グラディエーター』のデレク・ジャコビ、『奇跡の海』のステラン・スカルスガルド、『エージェント:ライアン』のノンソ・アノジーまで、芸達者が選りすぐられている。

 貿易商の父と優しい母の間に生まれたエラは、愛情に恵まれて子供時代を送っていた。だが、「辛いことがあっても、勇気と優しさを忘れないで。それが魔法の力になる」ということばを残して、母が突然にこの世を去ってしまう。
 嘆き悲しんだ父だったが、留守がちな仕事とあって、エラをひとり残しておくのも不安。そんなおりに、ことば巧みに近寄ってきた未亡人のトレメイン夫人に魅せられ、結婚する。夫人はふたりの娘を連れて家に入り込んできたが、健気なエラを不愉快に思うようになる。
 しかも、父も旅先で突然の死を迎える。それ以来、継母はエラを召使のように酷使するようになる。どんないいつけもポジティヴに受け入れてきた彼女を、継母は“シンデレラ(灰まみれのエラ)”と呼ぶようになる。
 悲しみに耐えきれず、森に馬を走らせたエラの前に、キッドと名乗る青年が現れる。青年とことばを交わすうち、エラは青年に好意を寄せるようになる。
 青年は王子だった。彼もエラに恋心を覚え、もう一度会いたいとの思いから、国民のだれもが参加できる舞踏会を開くことにする。だが、継母とその子供たちはエラが舞踏会に参加するのを許しはしない。手縫いのドレスを破られて失意に暮れている彼女の前に、フェアリー・ゴッドマザーが現れる――。

 フェアリー・ゴッドマザーがかぼちゃを馬車に変え、ねずみを馬に、トカゲを御者に変貌させて、ヒロインが舞踏会に向かう趣向はそのままだし、脱げてしまったガラスの靴に合う女性を王子が捜し歩く展開も、私たちが知っているストーリーに忠実に描かれていく。あくまで観客の望む場面は欠かさないという戦略だ。
 では、どこが昔のアニメーションと異なるかといえば、エラをはじめ登場人物の気持ちがきっちりと描きこまれていることだろう。仇役の継母にしても単なる意地悪ではなく、嫉妬心や羨望の発露としてエラを苛める設定となっているし、王子も病身の国王への気持ちから早い結婚を強いられている。つまりはお伽話を構成するひとりひとりの立場や思いを描きだすことによって、深みを持たせているのだ。
 魔法によって馬車やドレスが現れる、特撮全開のカラフルなシーンや舞踏会など、アニメーションを凌駕するほどの豪華絢爛さ。ガラスの靴の輝き、ヒロインの鮮やかなドレスなどうっとりするほど美しい。

 出演者では、ジェームズの可憐さ、健気さもさることながら、ブランシェットの存在感が際立つ。表情だけで意地悪さを表現できるのはさすがだが、決してやりすぎていないところがミソ。あくまでも脇役の立場をわきまえて演技を展開している。
 儲け役はボナム=カーターだろう。おばあさんで登場して、美しいフェアリー・ゴッドマザーに変貌してみせるあたりの弾け方はまことに魅力的だ。

 子供から大人まで楽しめるエンターテインメント。アニメーションで慣れ親しんだ名曲「ビビディ・バビディ・ブー」もラスト・クレジットでちゃんと流れる(ボナム=カーターが歌っている)。春にふさわしい、幸せの余韻に浸れる作品である。