『ディオールと私』は老舗ファッション・ブランドの内側をヴィヴィッドに描いたドキュメンタリー快作!

サブ1
『ディオールと私』
3月14日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
配給:オープンセサミ
©CIM Productions
公式サイト:http://dior-and-i.com/

 

 近年、ドキュメンタリー映画が数多く公開されるようになって、描き出される世界も多岐に及んできた。
 とりわけ、ファッションを題材にした作品は、華やかなイメージが幸いして、劇場公開される機会も増えている。ファッションが題材といっても、有名なデザイナーに注目したものから、ファッション誌の編集長に密着した作品まで、さまざまだ。ただ、イメージが重要な世界だけに、とかくきれいごとで終始する作品も少なくない。対象に深く入り込まずにファッショナブルな映像で押し通す方が、製作が楽なこともある。
 本作は、これまでのファッション・ドキュメンタリーと一線を画している。
描き出されるのは老舗ファッション・ブランド、クリスチャン・ディオールが、2012年の秋冬オートクチュール・コレクションを発表するまでの8週間の日々。ディオールの本社やアトリエ内の撮影が初めて許されたこともあって、ファッションを支える人々の情熱と誇りをくっきりと映像に焼き付けられている。

 映画は、2012年にディオールのアーティスティック・ディレクターにラフ・シモンズが選任されたところから幕を開ける。シモンズはそれまで、自身の名を冠したブランドやジル・サンダーのデザイン担当として活動してきたが、オートクチュールの経験はまったくなかった。それだけでも大きなプレッシャーなのに、本来は半年ほど費やすショーのための準備期間がはるかに短い、8週間しかない。この期間で老舗を支えるお針子、スタッフたちの心をつかみ、最大限の能力を発揮させなければならないのだ。デザイン的にもディオールの名に恥じないコレクションに仕上げることはいうまでもない。
 この難題山積みの世界にあえて身を投じたのは、デザイナーとしての自負があったからに他ならない。シモンズは彼をサポートしてきたピーター・ミュリエーとともに、ディオール本社に乗り込んでいく。
 本社最上階のアトリエで熟練した105名のお針子たち、スタッフと顔合わせをしたシモンズたちは12のコンセプトを立ち上げる。それをもとに150を超えるスケッチが描かれていく。オートクチュールの工程はシモンズが経験してきたものと違うため、シモンズのストレスは高まる一方。頼りにしていたお針子のチーフが、オートクチュールの顧客に呼びつけられて製作途中で抜ける出来事などで、シモンズはますます追い詰められる。
 それでも、シモンズとお針子たち、スタッフは全身全霊を込めて作業に打ち込む。彼はクリスチャン・ディオールの精神、伝統を継ぎながら、抽象画家スターリング・ルビーの絵画をワープ・プリントとしてドレスに再現するなど、独自のアイデアを込めてみせる。シモンズのアイデアに翻弄されながら、スタッフたちはその要求に応える。
 彼らの努力は2012年7月2日のコレクション発表の場で結実することになる。100万本の生花で飾られた会場には女優のマリオン・コティアールやジェニファー・ローレンスも顔をみせるなか、シモンズとお針子、スタッフの入魂のドレスが華麗に披露されていく。

本作の題名は、クリスチャン・ディオールが1956年に発表した回想録のタイトルから撮られている。
 監督はフランス出身で、ニューヨークのコロンビア大学フィルムスクールで映像を学んだフレデリック・チェン。これまでも『Valentino: The Last Emperor』(劇場未公開)の製作・撮影・編集、『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』の共同監督など、ファッション関係の題材を手がけてきた。ここではシモンズ、アトリエに密着。緊張感に満ちた日々をヴィヴィッドに映像化している。同時にチェンはディオール自身を映した記録映像と彼のことばを織り込みながら、その精神が継承されているかを綴っている。
 登場するそれぞれが思いを語り、懸命に仕事に打ち込む。彼らの全身からプロとしての誇りと矜持が立ち上がり、それが画面からにじみ出てくるかのよう。アトリエの雰囲気もふくめ、オートクチュールの現場で働く人の息遣いが感じられる。どんな美辞麗句よりもこうした人々を切り取るだけで、ディオールの素晴らしさを実感できる。
 チェンはドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンの作品群に大きな影響を受け、本作にも反映されているとコメントしている。そのいかんはともかく、時間刻みのサスペンス、臨場感あふれる展開のなかで感動的な結末が待ち受けている。

 90分、いささかも退屈することなく、心地よい余韻に包まれる仕上がり。ファッションにあまり興味がない人でも楽しめる、みごとなエンターテインメントだ。