『名もなき生涯』はいかにもテレンス・マリックらしい内省的なヒューマン・ドラマ。

『名もなき生涯』
2月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2019 Twentieth Century Fox
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/namonaki-shogai/

 

第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、エキュメニカル審査員賞に輝いた作品である。この賞はあまり知られていないが、キリスト教関連の団体から贈られる賞で、カンヌ国際映画祭の独立部門のひとつだ。1974年に創設され、カトリックとプロテスタントの組織の審査員によって「人間の内面を豊かに描いた作品」に対して贈られる。人間の生きることの意味をシンプルに問いかけた本作には、この上なくふさわしい賞といえる。

なによりの話題は、監督・脚本を手掛けたのが、伝説の匠テレンス・マリックということだろう。マリックは1973年に『地獄の逃避行』で絶賛を浴び、1978年には『天国の日々』でカンヌ国際映画祭に輝く。だが、その後、映画界から姿を消してしまう。

復帰したのは1998年の『シン・レッド・ライン』から。まったくブランクを感じさせずに、第2次世界大戦ガダルカナル島の戦いを内省的に映像化。第49階ベルリン国際映画祭金熊賞を手中に収めた。さらに2011年の『ツリー・オブ・ライフ』がカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドールに輝く。以降、作品数は決して多くないが、いずれも見る者の心に沁み入るような映像世界を生み出している。

前作は、宇宙の誕生から未来に至る変遷と生命の歩みを、科学的な考証をもとに圧倒的な映像で描き出した、2016年のドキュメンタリー『ボヤージュ・オブ・タイム』。マリックにとっては念願の題材だっただけに、次にどんな作品を手がけるか注目されていた。

 

本作は、マリックにとっては初めて実在の人物に焦点を当てた人間ドラマ。描かれるのはオーストリアの農夫、フランツ・イェガーシュテッターの軌跡だ。

家族を愛し、労苦を厭わないこの農夫は、他の時代であれば、口の端に上がることもなく生涯を全うしたことだろう。だが彼が生きたのは20世紀前半、ナチスドイツがヨーロッパを席巻していた時代だ。農夫として日々を送る彼は、どんな苦難にも耐えたが、ただナチス体制にくみするのを潔しとしなかった。

ドイツに併合されたオーストリアで徴兵を拒否したイェガーシュテッターは、村の人々から迫害を受け、ついには逮捕されることになる。それでも彼は信念を曲げなかった。その行動を見守る妻のファニも夫の思いに従うことを決意する――。

 

イェガーシュテッターの存在はオーストリアの一地域でしか知られていなかったが、アメリカ人社会学者ゴードン・ザーンが1964年に著作の中で取り上げたことで“殉教者”として評価されることになったという。時代や社会の流れに身を任せることなく、シンプルに自分らしく生きることを選択した農夫と家族の姿に、マリックは魅了され映画化を決意した。脚本を書くにあたり、エルナ・プッツが編纂した、イェガーシュテッターと妻の書簡集 「Franz Jägerstätter: Letters and Writings from Prison」を原案にした。

マリックはまずオーストリアの山間部の農夫の暮らしを瑞々しく映像化する。厳しい自然の中で、黙々と作業をするイェガーシュテッターと妻。生活は決して楽ではないが、それでも喜びがあり、充実した日々を送っていることが明示される。

撮影を担当したのは『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のイェルク・ヴィトマー。『ツリー・オブ・ライフ』や『トゥ・ザ・ワンダー』、『聖杯たちの騎士』などのマリック作品にも撮影班として参画しているので、今回の起用につながった。とりわけヴィトマーはステディカム・オペレーターの名手として知られ、たゆたうように流れる映像にその技術がいかんなく発揮されている。

マリックはイェガーシュテッターと妻の一途な生活をじっくり描きこむ。彼の特徴である内省的なナレーション(本作ではイェガーシュテッターと妻の手紙が使われる)と、漂う映像は、描かれる世界がシンプルなだけにストレートに見る者に伝わってくる。

これだけ世界が複雑になり、余裕なく日々を生きている身にとって、“生きること”の意味など考えることもなくなっている。世界に情報が溢れ、どんな生き方も許容される一方で、妥協することを強いる権威の圧はすさまじく強い。本作に触れると、自分らしく生きることに思いを巡らしてみることが必要なのだと痛感する。

イェガーシュテッターも自分の気持ちを曲げるだけで、村も家族も喜ぶことは分かっている。だが、彼は長いものに巻かれることを納得できない。口先だけでも従うふりはできるのに、そうはしないのだ。日々、額に汗して働くこと、誠実に生きることを考えると、ナチスの一員になって自分をごまかすことはできない。そうしたイェガーシュテッターの姿をみていくうちに、見る者は自分の生き方を省みる。本作の素晴らしさはここにある。

 

出演者も作品にふさわしいキャラクターが選ばれている。イェガーシュテッターには『ヒトラーの贋札』や『イングロリアス・バスターズ』のアウグスト・ディール、妻のファニには『エゴン・シーレ 死と乙女』のヴァレリー・ハフナーがそれぞれ起用されている。どこという際立った容姿ではないが、誠実に生きている風情が浮かび上がってくる。

さらにこれが遺作となった『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツ、『グッバイ、レーニン!』のマリア・シモン、『君と歩く世界』のマティアス・スーナルツなど、共演陣も充実した顔ぶれとなっている。

 

流れるような映像にジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽が加わり、175分の上映時間がいささかも長く感じない。ゆったりと座席に身を埋め、マリックの世界に身を委ねると、そこに大きな喜びが待ち受けている。諦観に包まれ、哲学的でもある。生きるということを真剣に問いかけたくなる。素敵な作品だ。