『存在のない子供たち』は過酷な現実を生きぬく少年の眼差しに胸が熱くなる感動作!

『存在のない子供たち』
7月20日(土)より、シネスイッチ銀座、ヒューマントラスト渋谷、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
©2018MoozFilms/©Fares Sokhon
公式サイト:http://sonzai-movie.jp/

世界中で経済が至上のものになったことから、格差が広がり、差別が助長されるようになった。今や貧困は世界中で存在している。日本も決して例外ではない。貧困が原因となる子どもたちへの虐待は社会的な問題になっている。
もはや宗教もいがみあう道具にしかならず、不寛容な空気は世界中に横溢している。もはや先進国は難民に手を差し伸べることもしない。
こうした時代の被害者となるのは子供たちだ。おとなの勝手な行動を甘受するしかなく、与えられた不条理な環境のなかで生きねばならない。アフリカの少年兵、空爆により死んでいくシリアの子供たち、あるいはヨーロッパに向かうアフリカや中東の難民の子供たちの姿を見るにつけ、大人の犠牲に従うしかない彼らに胸が痛む。

本作が描くのは貧しさのなかで懸命に生きる子供の姿だ。中東のパリと謳われる都会、レバノンのベイルートを舞台に、貧困のなかで生まれ育った少年ゼインの軌跡が綴られる。
女優として出発し、長編監督デビュー作『キャラメル』が高い評価を受けた、レバノン出身のナディーン・ラバキーが3年間に及ぶ徹底的なリサーチを経て完成させた本作は、カンヌ国際映画祭審査員賞に輝き、アメリカ・アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
ラバキーは3年間、貧困地域や拘置所、少年刑務所を訪れて、その間に目撃したことを盛り込んでフィクションとして仕上げていった。
出演者も弁護士に扮したラバキー以外はほとんどが素人。主人公を演じるゼイン・アル=ハッジ、不法移民ラヒル役のヨル・ダノス・シフェラウなど、いずれもキャラクターに近い境遇の人々がキャスティングされている。どこまでもリアルな雰囲気が画面に漂うのは、演者が自ら自身を演じているからに他ならない。

少年ゼインの正確な年齢は分からない。多分、12歳前後だ。
親が出生届を提出しなかったからだし、親もとっくに生まれた年を忘れている。ゼインの妹、弟たちも同様の境遇にいる。彼らのような戸籍のない子供たちが日々の糧を得るために、街に出て働く。ゼインの日常は弟妹を引き連れて街に繰り出し、小銭を稼ぐことに終始する。親は当然のように金を取り上げる。
彼がこうした暮らしに耐えていけるのも可愛い妹が支えになっていたからだが、両親はその妹を怪しげな男と結婚させてしまう。
あまりのことに家を飛び出したゼインだったが、誰も相手にしてくれない。街を彷徨うゼインに声をかけてきたのは赤ん坊を抱えたエチオピア難民のラヒルだった。自分も貧しいのに赤ん坊の子守をするという名目で、ラヒルはゼインとともに暮らし始める。
だが、その日々も長く続かない。ラヒルは不法難民。捕まれば戻ってこられない。赤ん坊を抱えたゼインは困りぬき、赤ん坊の仲介をするという男に頼み、渋々、家に帰ると、待っていたのは妹の訃報だった。
怒りに駆られたゼインは事件を起こし、少年刑務所のなかから両親を訴える裁判を起こす―――。

少年ゼインの軌跡から目が離せない。描き出されるのは身勝手な大人たちのもとで不条理とでもいうべき運命に翻弄される少年の姿だ。だが、ナディーン・ラバキーは決して大上段に振りかぶった大仰な演出はしない。あくまで少年の行動を見つめ、少年の視点から見た世界を誠実に描き出す。両親をはじめとする無責任な大人たちも、単なる悪人にはしない。あくまで過酷な社会で生きていく術を身につけた存在としてとらえつつ、子供に無関心であることの一点で糾弾するのだ。
ゼインの軌跡は、子供を労働力としてしか考えない親の存在を浮かび上がらせ、今も続く少女婚の事実、さらに人身売買や難民ブローカーの存在も明らかにする。これは何もベイルートだけの問題ではない。ヨーロッパ、アジアの如何を問わず、先進国と威張ってみても抱えている問題は大同小異だ。
ナディーン・ラバキーはリアルかつ情感に溢れた映像でこの事実を訴える。ゼインの眼差しは大人たちの行動を、哀しみをもってみつめ、時には諦観さえも感じさせる。屈託のない表情を見せたのはラヒルと過ごした一瞬だけだ。ゼインを人として認めてくれたのは、自分もこの地で人間として認めてもらえない難民だったという設定は心に沁みる。監督は過酷な社会で生きる弱者が持つ優しさを映画に織り込みながら、映像に詩情を湛える。凡百な声高の社会ドラマよりもはるかに、見る者に沁みこむ仕上がりである。

余談ながら、本作がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを競ったのが『万引き家族』だったというのも感慨深い。いずれも貧困をテーマにしているのは、現在の世界が抱えている深刻な問題だから。閉塞感にとらわれているばかりでなく、社会の抱える問題に直面すべき時なのだろう。まずは一見をお勧めしたい。