『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』はフレデリック・ワイズマンの素敵なドキュメンタリー。

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
5月18日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
配給:ミモザフィルムズ/ムヴィオラ
©2017 EX LIBRIS Films LLC – All Rights Reserved
公式サイト:http://moviola.jp/nypl/

 1930年生まれというから、現在、89歳。この年齢になっても、衰えぬ制作意欲で作品をコンスタントに送り出すアメリカ映画界の匠は、ふたりいる。クリント・イーストウッドとフレデリック・ワイズマンだ。ともにフィクションとドキュメンタリーの違いはあるが、さまざまな題材に挑み、個性を貫きつつ時代を浮かび上がらせるところが共通している。
 本作はフレデリック・ワイズマンが2017年に発表したドキュメンタリーだ(余談ながら、すでに彼は2018年に『Monrovia, Indiana』を発表している。驚くべき創作スピード、エネルギーではないか)。
 ワイズマンはアメリカ、ヨーロッパのさまざまな社会、組織、施設を題材にして、あらゆる角度から観察・撮影。そのピースを再構築してワイズマンならではの世界を生みしてきた。彼が現代社会の観察者と呼ばれる所以だ。
 じっくりと取材して些細なことも見逃さない姿勢はいささかも変わらない。日本では2009年の『パリ・オペラ座のすべて』の頃より一般劇場で公開されるようになり、その作風が広く知られるようになったが、どの作品も汲めど尽きせぬ面白さ。余分な説明はなく、ストレートに対象に分け入り、見る者を惹きこむ。ドキュメンタリーの王道としての醍醐味を存分に満喫させてくれる。
 本作でワイズマンは、世界屈指の知の殿堂、本館と92を超える分館に分かれたニューヨーク公共図書館を題材に選んだ。
 前作『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』では、人種の坩堝アメリカを象徴する、多様性に富んだ街ジャクソンハイツにカメラを据えて、アメリカの実像を浮き彫りにしたが、本作ではニューヨーク・マンハッタンにある本館と点在する分館を丁寧に撮影することで、知のメッカたる公共図書館の多彩な個性を抽出。多様なアメリカの凝縮した姿を映像化している。
 図書館に横たわる運営面の問題、集う人々の多様さ、図書館の未来論までが語られるのだが、ワイズマンはニューヨーク公共図書館が誇る「誰もが通える敷居の低さ」に倣って、軽やかかつ分かり易い語り口で押し通す。
 映画は、ノーマン・メイラーやアンディ・ウォーホルも通ったといわれるニューヨーク公共図書館本館で行われるスタッフの運営会議、エルヴィス・コステロやパティ・スミスなどの趣向を凝らしたイヴェント、分館の多様な活動などで構成されている。
 運営会議で討議されるのは、公民協働という形態のこの図書館がいかに予算を確保するか。デジタル革命にどのように適応するべきか。あるいはベストセラーを採るか、残すべき本を採るのか。さらには紙の本か電子本か。そしてホームレスの問題まで、多種多様の議題が上がる。普段は見ることのできない図書館の裏側は生々しく、そして真剣な討議が交わされる。見る者にとっては新鮮さを覚えるところだ。
 なにより図書館のどの職員もニューヨーク市民の生活に密着したサーヴィスを行なうことを念頭にしている。講演やコンサートなども数多い。ここで注目すべきは“市民の生活に密着した”というところだ。
 一口にニューヨークといっても、地域によって住人たちの生活レベルは大きく異なる。たとえば公共図書館本館を利用する人の多くはマンハッタンの中心部、ハイソな人も少なくないということで、催されるイヴェントも有名人の講演や知的な企画が多く行われる。一方、アフリカ系の人たちが多く居住するブロンクスなどでは、より生活に直結したイヴェントが行われることになる。
 ワイズマンは本館、分館を行き来しながら、図書館のサーヴィスの数々を紹介していく。ニューヨーク公共図書館がなぜ世界で最も有名であるのか。その理由のひとつひとつを示す事で、見る者に公共とは何かを問いかける。この図書館の本館、分館はさながらアメリカの縮図であり、ワイズマンは図書館の活動を通してアメリカ社会の理想とする民主主義の在り様を伝えようとしている。

 日本でも近年、公共図書館を利用する人が高齢化しているという。文字を読むのはネット上だけと豪語する人も増えてきている。自らをふりかえっても、地域の図書館を利用することはほとんどなかった。図書館には本のみならず、映像や音楽も借りることができるし、イヴェントも行なっている。本作を見て、今さらながらに図書館の意義に眼が開かされた。本作には図書館の未来についても語られている。
 上映時間は3時間25分と長いが、すべての人に一見をお勧めしたい作品である。