『パッドマン 5億人の女性を救った男』はインド社会のタブーに向き合った、好もしい仕上がりの実話の映画化。

『パッドマン 5億人の女性を救った男』
12月7日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:http://www.padman.jp/site/

 どんな題材であっても映画になることは分かっているが、時には想像を超える作品が登場して驚嘆することがある。本作はその筆頭だろう。
 なにせ女性の生理用品の開発をテーマにしているのだ。しかも実話の映画化にしてインド映画というから驚く他はない。インドはIT産業などで世界を牽引する一方、庶民の世界は旧弊なタブーが未だに数多く存在するという。インドでは「穢れ」とみなされている女性の生理の問題に向き合い、歌や踊りも織り込んだ、堂々たるエンターテインメントに結実させた姿勢は称賛に値する。
 本作のモデルとなった、安価な国産の生理用品を開発した男性はアルナーチャラム・ムルガナンダムという実在の人物。現在は社会企業家として活動する彼の軌跡を、映画はほぼ忠実に紡ぎだす。トゥインクル・カンナーという元人気女優が書いた短編集「The Legend of Lakshmi Prasad」の1篇「The Sanitary Man of Sacred Land」をもとに映像化がなされた。製作にはトゥインクル・カンナーも名を連ねている。
 監督を務めたのはR・バルーキ。日本ではあまりなじみがないが『マダム・イン・ニューヨーク』のプロデューサーに名を連ね、インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパンで上映された『キ&カ~彼女と彼~』の監督として注目された。CFの演出が評価されて映画界に入ったというR・バルーキは『マダム・イン・ニューヨーク』の監督にして彼の妻であるガウリ・シンデーと同様、性差に対して強い思いを抱いている。本作では単純な男の妻への愛がナプキン製作につながり、偏見をものともせずに突き進むという展開のなかで、性差を考えさせるメッセージが浮かび上がってくる仕掛けだ。脚色もR・バルーキが務め、『きっと、うまくいく』などの作詞で知られるスワナンド・カーカーも参加している。
 出演は『チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ~印度から中国へ~』などで知られるボリウッドの人気男優アクシャイ・クマール、さらに『ミルカ』などで人気と実力を誇るソーナム・カプールと演劇出身の実力派ラーディカー・アープテー、インド映画会の超大物俳優アミターブ・バッチャンも顔を出す。ちなみにアクシャイ・クマールの妻はトゥインクル・カンナーである。

 北インド中部、ナルマダ河に面した町マヘーシュワルに住むラクシュミは結婚式を挙げたばかり。誠実で勤勉ながら、物事に熱中しすぎるきらいがある。彼は新妻ガヤトリといつも一緒にいたいのに、彼女が生理になったとき衝撃の事実を知る。
 生理期間は「穢れ」期として部屋に入れず、廊下で寝なくてはならない。さらに生理の処理に古布を繰り返し使っていたのだ。市販のナプキンは高価で使えないという。ラクシュミはナプキンを製作することを決意するが、因習のなかで育ってきたガヤトリは協力してくれない。彼は試作品の使用を女子高生や近所の娘たちに頼むが、そうしたことが周囲に知られ、彼は変態の汚名を着せられる。ガヤトリは実家に戻され、彼も村八分の憂き目となる。
 都会に出たラクシュミはナプキンの研究を意地のように続け、最適の素材を発見。簡易製作機を発明する。やがてデリー在住の女子大生パリーと知り合い、彼女の協力のもとで草の根的な女性による販売活動を展開。その活動は女性の起業につながったことから、世界的な注目を浴び、ついには国連からラクシュミに講演の依頼が届く――。

 それにしても、安価な生理用品を生み出した男の実話を映画製作するという勇気に素直に快哉を叫びたくなる。欧米であってもこの素材を映画化することに躊躇があるはずだ。エンターテインメント作品としてあえて挑んだR・バルーキの姿勢に拍手である。
 妻と片時も離れたくないという単純な思いから出発したことが、古くからの因習によって遮られ、主人公のラクシュミは図らずも女性の苦しみを開放する闘士になる。本人は自らの行動の正当性を証明するために安価な生理用品の製作にのめりこんでいくのだ。この設定、ストーリー展開は十分に説得力がある。
 R・バルーキは魅力的な歌と踊りも織り込んだ平易なインド式語り口のなかに、未だに「穢れ」などという発想に苦しむ女性たちの存在を明らかにし、高らかにフェミニズムを謳いあげる。なによりこのストーリーが2001年を背景にしていること自体に驚かされる。つい最近、21世紀のことだ。いかに発展著しいインドであっても、庶民のレベルでは未だに古い因習に縛られている部分があるわけか。
 映画はラクシュミに対して、ふたりの対照的な女性像を登場させる。彼の新妻ガヤトリは控えめの良妻賢母型ながら伝統的な教えに縛られている。彼女の常識ではラクシュミの行動は常軌を逸しているとしかみえない。男が女性の生理に興味を持つなどということはあってはならないことだからだ。
 一方、デリーの女子大生パリーはラクシュミの考え方に共鳴し、さまざまな協力をする。安価な生理用品がインドに必要なことを理解し、女性主導の販売方式を確立し、簡易的な製作機を各地に広げることによって女性たちの起業を後押しするのだ。ラクシュミはパリーの存在によって人間的に成長し、女性の置かれている状況の改善に努力するようになる。
 だからクライマックスに、ラクシュミが国連で行うスピーチがまことに感動的だ。素直な口調で女性を称え、因習の打破を訴える。R・バルーキの思いを主人公が代弁しているのだ。

 出演者もいい。アクションを得意としてきたというアクシャイ・クマールがラクシュミを演じ、素朴な男が成長していく過程を印象的に演じれば、パリー役のソーナム・カプールは聡明さと美しさを画面にくっきりと焼きつける。ラクシュミに次第に心を寄せていく設定のなかでしっとりとした風情を表現してみせる。一方、ガヤトリ役のラーディカー・アープテーは因習に縛られた頑迷なキャラクターを演じ切る。ふたりの女優それぞれ、タイプの違う美しさ。本当にインドの女優はフォトジェニックだ。

 インド映画の多くは歌に踊り、そして壮大な語り口で観客を惹きこむ。本作は加えてフェミニズム的なメッセージを核にして、みる者に感動をもたらしてくれる。一見をお勧めする所以である。