『30年後の同窓会』は過酷な体験をしたアメリカの男たちに捧げた、リチャード・リンクレーターの感動の人間ドラマ。

『30年後の同窓会』
6月8日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:ショウゲート
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公式サイト:http://30years-dousoukai.jp/

 考えてみれば、第2次大戦以降、アメリカが戦争に関与しなかった時期はなかったといえる。自由主義のリーダーよろしく、朝鮮、ベトナム、グレナダ、パナマ、湾岸戦争、ソマリア、ハイチ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、アフガニスタン、イラクなどなど、紛争のあるところ、常にアメリカの影があった。
 アメリカは世界の警察を標榜し、派兵して戦い続ける。もちろん、正義を口にしながら、背景には経済が大きく作用しているのは間違いない。
 アメリカのこうした姿勢によって紛争は過熱し、多くの人が犠牲になる。それは紛争地の人々ばかりではなく、従軍したアメリカ兵も同様である。アメリカの正義を信じ、愛国心から従軍した兵士たちもまた戦争の現実を知ることになる。国の思惑で見知らぬ土地に送りこまれ、戦争の無意味さを実感する間もなく倒れる。彼らは発言することもなく、話題になることも少ない。
本作が浮き彫りにするのは、そうした兵士たちの姿だ。
『シンデレラ・リバティー/かぎりなき愛』や『さらば冬のかもめ』の原作者として知られるダリル・ポニックサンが2005年に発表した小説「Last Flag Flying」をもとに、『6歳のボクが、大人になるまで』でみる者を圧倒したリチャード・リンクレーターが、原作者とともに脚色。思いのこもった演出を繰り広げる。戦争体験によって人生が大きく変わってしまった男たちの再会をペーソスとユーモア、深い哀しみに満ちた映像で紡ぎだし、心に沁み入る仕上がりとなっている。
 出演は『40歳の童貞男』から『フォックスキャッチャー』まで、コメディ、シリアスと幅広いジャンルで活動するスティーヴ・カレルに、テレビシリーズ「ブレイキング・バッド」で人気を博したブライアン・クランストン。『マトリックス』3部作のローレンス・フィッシュバーン。リンクレーターの求めに応じ、個性の異なる3人がみごとなアンサンブルを形成している。

 2003年12月、ヴァージニア州ノーフォークで酒場を営むサルのもとに、ベトナム戦争時代の旧友ラリーが訪ねてくる。久しぶりの再会に痛飲したふたりは、翌日、古い教会に向かう。そこはベトナム時代にいちばんやんちゃだったミューラーが聖職者として勤める教会だった。
 ラリーは30年ぶりにふたりを訪れた理由を話しはじめる。最愛の妻を病で失い、さらにひとり息子のラリーJr.がイラク戦争で殉死したことを、彼は語り、ふたりに遺体の引き取りに同行してほしいと頼む。ラリーの落ち込みようをみて、ふたりは断ることができない。
 軍の手違いでアーリントン墓地ではなくドーバー空軍基地で遺体に対面することになるが、ドクは顔のない息子の遺体に衝撃を受けると同時に嘘で塗り固められた軍の報告に激高。遺体をアーリントンではなくニューハンプシャーの自宅のそばに埋めると宣言する。
 遺体とともに3人の旅が始まる。その旅は30年前の、3人が会わなくなった理由となった事件の記憶に直面するものとなる――。

 過酷な戦争体験によって、否応もなくその後の人生が大きく変わる。いわゆる戦争後遺症が大きな社会問題になったのはベトナム戦争後のことだ。もちろん、それ以前にも戦争の禍根はあったが、強い政府がその事実を抑え込んだのだ。イノセントな若者が愛国心に駆られて従軍し、生死紙一重の状況のなかで精神的に傷を負っていくのは当然のことだろう。無事に帰国したとしても、戦地と故国のギャップに苦しむことになる。こうした状況を踏まえて、1970年代以降、『帰郷』や『ディア・ハンター』、『ランボー』など、戦争の後遺症に苦しむ元兵士たちの姿を描いた作品も数々、輩出するようになった。
 本作も戦争による兵士たちの精神の傷を題材にしている。リチャード・リンクレーターが本作の映画化を考えたのは原作が刊行された12年も前だったが、イラク戦争の高揚に沸いていた頃とあってはペンディングするしかなかったのだという。もっとも長い期間、熟成されたことによって、より深みのある内容になったことは間違いない。
 登場するラリー、サル、ミューラーはベトナムに従軍し、ある事件に遭遇したことで、心に大きな傷を負った。それ以降、サルは大酒飲みになり、ミューラーは聖職者になった。
 だが、30年ぶりに会うことを望んだラリーにはふたりしか感情を共有できる存在はいなかった。戦地で培った友情を求めての選択。理不尽なことがまかり通る戦争を体験した者だけが知る共感がほしかった。ラリーは妻に先立たれたばかりか、息子をイラクで失ってしまった。自らが受けた傷をじっと耐えてきた彼が行きどころのない憤懣、悲しみを抱えて、訪れるところはふたりのもとしかなかったのだ。
 こうした設定のもとで3人の再会劇が展開していく。遺体引き取りに同行するロードムービーといってもいい。訪れる場所、場所で繰り広げられる青春時代に体験した馬鹿話が過酷な現実をつかの間忘れさせる効果を放つ。ダリル・ポニックサンとリチャード・リンクレーターの脚本は過去の回想シーンを挿入することなく、あくまで3人の会話、行動から過去の影を類推させていく。馬鹿話から3人の思いや悲しみが立ち上がる仕掛けだ。
 リンクレーターはストレートにアメリカが行なってきた戦争、その被害者たるもの言わぬ兵士たちに焦点を当てる。ラリーはきれいごとで死を片付けようとする軍のやり方に怒り、個人で息子の死を悼もうと行動し、ふたりの戦友はその心情に同調するのだ。これまで『恋人までの距離(ディスタンス)』3部作や、12年の歳月をかけて撮影した『6歳のボクが、大人になるまで』などで、意欲的な試みを行なってきたリンクレーターだが、本作では彼らの旅を淡々と紡ぐことに終始する。馬鹿なギャグ、酔っ払いの繰り言を散りばめたストーリーからは戦争を志向し続けるアメリカに対する憤りが漲っている。リンクレーターの演出は好もしく画面から迫ってくるのだ。

 出演者のアンサンブルのみごとさも特筆に値する。スティーヴ・カレルにブライアン・クランストン、ローレンス・フィッシュバーンはリンクレーターが撮影前にリハーサルの期間を設けたことで、アンサンブルを固めたというが、抜群のハーモニーを奏でている。とりわけコメディから出発し、シリアスな『フォックスキャッチャー』や『マネー・ショート 華麗なる大逆転』で存在感を広く知らしめたスティーヴ・カレルが、寡黙で哀しみを裡に秘めるラリー役をくっきりと演じ切っている。そのカレルのなりきりを受け、サル役のブライアン・クランストン、ミューラー役のローレンス・フィッシュバーンがさりげなく個性を披露している。いつもながら、リンクレーターの演出はみごとである。

 本作は最近とみに作品数を増やしているアマゾン・スタジオが製作に参画している。こういう映画化が難しい作品を積極的に支援する姿勢にエールを送りたくなる。おとなこそが本作のペーソスは沁みる。まずはお勧めしたい。