『ゲティ家の身代金』は実際の事件をもとにした、スリリングで濃密な葛藤のドラマ。

『ゲティ家の身代金』
5月25日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
配給:KADOKAWA
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公式サイト:http://getty-ransom.jp/

 スキャンダラスな実際の事件の顛末を、『エイリアン』から『オデッセイ』に至る多彩な作品群で知られるストーリーテラー、リドリー・スコットが手がけるというだけで食指が伸びる。
 実際の事件というのは1973年に起きたジョン・ポール・ゲティ3世誘拐事件。世界屈指の大富豪の孫が誘拐され、1700万ドルの身代金が要求された事件である。このスキャンダラスな事件のニュースは当時の日本でもセンセーショナルに扱われたことが記憶に残っている。
 本作はジョン・ピアースンが1995年に発表したノンフィクションをもとに、『ラスト・キャッスル』や『地球が静止する日』などで知られるデヴィッド・スカルパが脚色。その脚本のクオリティの高さに魅了されたリドリー・スコットが監督を引き受けた。スコットは報道された事件の裏に秘められたシェークスピアの戯曲並みの家族の確執に強く惹かれたという。1973年を活写しながら、スコットは孫の身代金の支払いを拒否した祖父ゲティと、子供を守るために全力を尽くす母アビゲイルの丁々発止のやりとりをスリリングに紡いでいく。
 本作は当初、祖父ゲティ役にケヴィン・スペイシーを起用していたが、スペイシーがセクハラ疑惑で訴えられたため、製作陣は急遽、『サウンド・オブ・ミュージック』から『人生はビギナーズ』まで、息の長い俳優活動を続けるクリストファー・プラマーに変えて再撮影を決断。スコットはわずか9日間で出演シーンを撮了してみせた。一説ではスコットはクリストファー・プラマーを最初から望んでいたが、ネームバリューでスペイシーに決まった経緯があったのだという。クリストファー・プラマーはこの迫真の演技でアカデミー助演男優賞、ゴールデン・グローブ助演男優賞にノミネートされた。
 前述のプラマーに加えて、『ブルーバレンタイン』や『グレイテスト・ショーマン』でみごとな演技を披露したミシェル・フィリップス。さらに『バーニング・オーシャン』や『パトリオット・デイ』など実録ものが多いマーク・ウォールバーグと、テレビドラマ「ボードウォーク・エンパイア」で注目されたチャーリー・プラマーが続く。彼は2017年の『Lean on Pete』の演技でヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人賞)を獲得した若手有望株だ。
 加えて『ルパン』や『ニューヨークの巴里夫』などのセドリック・クラビッシュ作品でお馴染みのロマン・デュリスも登場する。充実のキャスティングである。

 1973年、イタリアのローマで17歳のジョン・ポール・ゲティ3世が拉致された。ゲティは石油で財を成した、世界屈指の大富豪。誘拐の身代金として1700万ドルが要求される。
 だが、ゲティは孫の身代金の支払いを断固として拒否する。ひとつには、ゲティ3世の親権は息子ゲティ2世と別れたアビゲイル・ハリスが持っていたことに起因する。この要求に応じれば他の孫も標的になるというのが理由だ。
 発表の一方で、ゲティは元CIAの部下フレッチャー・チェイスをアビゲイルのもとに向かわせ、誘拐犯との交渉を指示する。アビゲイルは身代金を払わないゲティに対していらだちを募らせていた。やがてゲティ3世が偽装誘拐をジョークにしていたと友人が証言し、祖父ゲティはさらに疑心暗鬼となる。
 アビゲイルのもとには世界中からマスコミが集まり、報道は過熱。追い詰められたアビゲイルの姿を目の当たりにして、フレッチャーは次第にゲティに対して反感を抱くようになる。
 誘拐犯側も焦りの色が強くなる。警察も次第に捜査の輪を狭めつつあった。誘拐犯はゲティ3世の耳を切りとって送り付けた――。

 1973年当時の雰囲気を映像に盛り込みながら、リドリー・スコットはサスペンスを貫きつつ、正攻法のストーリーテリングで祖父ゲティの怪物性を浮き彫りにする。どこまでも吝嗇ながら、自分の支払いを惜しまないゲティは、家族や親族に対してはどこまでも疑り深く、まして離婚した元嫁アビゲイルに対してはひとかけらの同情も持たない。財産を護り増やすかに凝り固まっているのだ。彼には自分の経験を通しての確固たる信念と成功してきた自負がある。
 この冷酷な守銭奴の怪物に対して、アビゲイルは母性で敢然と戦う。そう、本作のメインストーリーは大富豪と元嫁の戦いなのだ。
 ゲティの非情さが徹底的に描かれていくうちに、事を起こした誘拐犯の方がよほど人間的にみえてくる。デヴィッド・スカルパの書いたこの脚本は映画化されていない優れた脚本を対象としたブラックリストにも選ばれただけあって、それぞれのキャラクターをきっちりと造型しつつ、スリリングな展開を最後まで維持している。登場するのが実在の人物ばかりなのにここまで踏み込んで描いたことに感心させられる。
 長年に渡り、多彩な作品を引き受けることでストーリーテラーの道を進んできたリドリー・スコットにとって、クライムドラマの装いで、家族の葛藤のドラマに収斂される本作はまこと挑み甲斐があるものだったに違いない。前作『エイリアン:コヴェナント』よりも巧みな語り口で、犯罪ドラマと家族の葛藤のサスペンスを融合し、ぐいぐいとみる者を惹きつける。みごとなエンターテインメントに収斂させた手腕を称えたくなる。

 出演者では何といってもゲティ役のクリストファー・プラマーが素晴らしい。わずかな期間で代役としての使命を全うし、それが圧巻の演技となっているのだから脱帽するしかない。ゲティの怪物性をここまでくっきりと演じきったのだから、アカデミー・ノミネーションは当然だ。現在88歳。いつまでもスクリーンで活躍してほしいものだ。
 もちろん、アビゲイルに扮したミシェル・ウィリアムズの熱演も見逃せない。母の強さを前面に押し出し、ゲティと戦うヒロイズムを印象的に表現している。1973年という、未だ女性の権利が軽んじられていた時代に子供のために荒波を耐え抜いたアビゲイルはフェミニズムの先駆的な役割を果たしたといえる。
 フレッチャー役のマーク・ウォールバーグはいかにも凡庸な感じがキャラクターにぴったり。誘拐犯に扮するロマン・デュリスもどこか人の好さが顔を出して適役といっていい。さらにジョン・ポール・ゲティ3世役のチャーリー・プラマーのいかにも育ちのいい容姿も映画の魅力を高めている。

 犯罪ドラマの面白さを維持し、葛藤のドラマとして人間の業の深さを浮き彫りにする。これもまたおとなの琴線に触れるエンターテインメントだ。