『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』はグイグイ惹きこまれる、緊張感に満ちた人間ドラマ。

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
3月29日(木)TOHOシネマズ日比谷特別先行上映 3月30日より全国ロードショー
配給:東宝東和
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.
公式サイト:http://pentagonpapers-movie.jp/

 

第90回アカデミー賞の作品賞と主演女優賞にノミネートされた作品である。

監督がスティーヴン・スピルバーグで主演がメリル・ストリープにトム・ハンクスとなれば、堂々たる大作。仕上がりから考えても、むしろノミネーションが少なすぎる印象をもつ。本作は、現在のアメリカや日本で顕著な為政者によるメディア軽視に対する反論といえばいいか。メディアはこうあるべきだとの思いに貫かれている。

 

1967年に国防長官だったロバート・マクナマラの指示によって作成された機密文書「アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史」が1971年に持ち出され、ニューヨークタイムズに持ち込まれた。後にペンタゴン・ペーパーズと呼ばれるようになったこの文書にはトルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの5代に渡る大統領が隠蔽してきたベトナム戦争の事実が書き込まれていた。

そこには軍事行動はもちろん、暗殺、ジュネーヴ条約に違反した行動、不正選挙、議会に対する虚偽の申し立てなどが記されてあった。なにより衝撃的だったのは、ベトナム戦争には勝利がないことを結論づけながら、依然として戦地に兵士を送り込んでいる事実だった。

この情報を、ニューヨークタイムズは綿密なリサーチを経て記事に仕立てた。その後、同じ機密文書を入手したワシントンポストも掲載に動くが、ニクソン政権は裁判所に記事の差し止め命令を要求。機密漏洩罪で罰することも辞さない態度に出る。ことここに至ってワシントンポストの経営陣、編集局は選択を強いられることになった。

本作が描くのはワシントンポストの女性は発行人、キャサリン・グラハムと編集主幹ベン・ブラッドリーを軸にした葛藤のドラマである。政府を敵に回し、経営危機を招くことになっても、発行人は報道の自由を護り、記事を掲載すべきなのか。ましてグラハムはロバート・マクナマラと友人として親しくつきあっていたからだ――。

これが映画化された初の脚本となるリズ・ハンナはグラハムの回顧録を読み、さらにベン・ブラッドリーの回顧録に触れて、ペンタゴン・ペーパーズ公表の決断のドラマに仕立てることに決めたのだという。脚本は『スポットライト 世紀のスクープ』を手がけたジョシュ・シンガーがブラシュアップして監督のスティーヴン・スピルバーグの手に届いた。

スピルバーグは脚本を読むや、直ちにスケジュールを変更して本作の製作に着手。SF大作『レディ・プレイヤー1』の合間を縫って、11週間の期間で本作の撮影を完了してみせた。スピルバーグは脚本を気に入ったばかりか、なによりも本作が映画化されることの意義を感じたからだとコメントしている。

ネットの急激な普及などによって、現在、メディアの力が急激に衰え、トランプをはじめとする為政者にメディアを軽んじる傾向が生まれている。報道の自由を護り、権力に対して常に監視の目を向けることがメディアの役目。きれいごとかもしれないが、ここでメディアの正義を謳うことが必要だと、スピルバーグは考えたに違いない。

演出力に長けたスピルバーグは冒頭から正攻法の語り口でグイグイと惹きこみ、サスペンスを盛り上げながら、ドラマチックにストーリーを紡いでいく。エンターテインメントとしてもみごとな仕上がりだ。

出演は本作でアカデミー主演女優賞にノミネートされた(主演、助演をふくめ21回のノミネート!)メリル・ストリープに『ハドソン川の奇跡』のトム・ハンクス。『キャロル』のサラ・ポールソン、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』のボブ・オデンカーク、『ザ・シークレットマン』のブルース・グリーンウッドなど、実力派俳優で固めている。

 

ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ社会に反戦、厭戦の声が顕著に表れてきた1971年。1967年に国防長官だったロバート・マクナマラの指示によって作成された機密文書「アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史」(ペンタゴン・ペーパーズ)が流失した。文書はベトナム戦争について客観的に調査・分析した内容で7000枚に及ぶ膨大な量だった。

文書はニューヨークタイムズに持ち込まれた。そこには政府に不都合な事実が記載されていた。ニューヨークタイムズは精査した後、ペンタゴン・ペーパーズについてのスクープ記事を掲載する。

ライバル紙のワシントンポストの編集主幹ベン・ブラッドリーはペンタゴン・ペーパーズの入手に奔走。苦労して入手するが、ニクソン大統領率いる政府は裁判所にニューヨークタイムズの記事の差し止め命令を要求した。機密漏洩の罪で訴えるというのだ。

ワシントンポストが記事にすれば、ニューヨークタイムズと同様の憂き目になることは間違いなかった。掲載か、見送るか。社内が大きく2分するなか、決断はアメリカ主要新聞社初の女性発行人キャサリン・グラハムに委ねられた。

夫の死を受けて発行人となった彼女はワシントン社交界でロバート・マクナマラと友人であり、経営陣や編集局からは軽んじられている存在だった。友情、政府への忖度を優先させれば掲載しない方がいい。しかしペンタゴン・ペーパーズには勝てないと分かっていたのに、アメリカ青年を死地に赴かせた事実が書かれていた。それが1971年現在も続いている。

すべてを熟考した後、キャサリン・グラハムはひとつの決断をする――。

 

正義を貫くためにペンタゴン・ペーパーズに書かれている記事を掲載するのが当然と思えるが、発行人にとってはかんたんなことではない。公表して政府と裁判になれば、会社の存亡の危機となりかねないのだ。社員の生活を維持しなければいけないし、一方で読者に対して真実を伝える義務がある。キャサリン・グラハムは新聞人として大きな決断を迫られる。

本作は、ペンタゴン・ペーパーズをめぐって、キャサリン・グラハムが新聞人の誇りと自覚を掴む成長の物語なのだ。おずおずと自信なさげに登場し、社交の場の方が活き活きとしているグラハムが、ペンタゴン・ペーパーズの存在から決断を迫られる。彼女が新聞人としての矜持を持って行動するに至るまでが、スピルバーグの巧みな演出によってきっちりと紡がれる。多少、きれいごとに過ぎる部分はあっても、報道の危機に対して断固として立ち向かう姿はみていて感動的だ。

この出来事を経て、ワシントンポストはウォーターゲート事件のスクープに至るわけで、グラハムの決断がアメリカの在り様を大きく変えることになった。スピルバーグの自在な演出によって、そうした事実がくっきりと浮き彫りにされている。社会派ドラマをこれほど面白いエンターテインメントに仕上げたことに拍手を送りたくなる。

 

俳優陣では圧倒的にメリル・ストリープが素晴らしい。最初は発行人に祭り上げられて困惑しているキャラクターが、周囲の女性蔑視に耐えながら、自分の良心、新聞人としての誇りに従って決断するに至る過程を、みごとに表現してみせる。年齢を重ねるにしたがって、演技に奥行きが生まれ、圧倒的な説得力を放つ。まこと稀有な女優である。

ストリープの存在感の前ではブラッドリー役のトム・ハンクス、マクナマラ役のブルース・グリーンウッドもかすみがちだが、実在の人物を印象深く演じている。

 

本作をみると、日本のメディアの現状が情けなくなってくる。流行語にもなった忖度が横行し、政府を監視するメディアとしての本分が忘れ去られているようだ。本作をみて、報道の在り方を再考してほしいと思う。これはぜひ一見のほどを。